夜と霧 新版
ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房
2014-11-07



先日紹介した『小川洋子が読みとく「アンネの日記」』を読んでいる時から、ヴィクトール・フランクル の『夜と霧』を再読したいと思い、久しぶりに本棚から取り出した。

蔵書が多すぎて、これまで読んだ本の9割は捨てたが、『夜と霧』をはじめ、ヴィクトール・フランクルの本は捨てずに置いていた(というか、フランクルの本は捨てられない)。本棚に置いていた『夜と霧』は、「新版」で、2009年発行のものだった。何度か読み返した本ではあるが、おそらく15年ぶり位に読み返したと思う。

本書は、アウシュヴィッツ強制収容所に移送されるところから始まる。荷物がすべて没収され、身ぐるみをすべて剥がされ、体中の毛を剃られ、シャワー室に追い立てられるという話から。

医師であり心理学者であるフランクルは、冷静に状況を分析する。被収容者は最初、ショックの反応を示すが、数日で「感情の消滅段階」へ移行していく。感情が喪失し、無関心になるのだ。収容所生活が何ヶ月も続くと、自分の未来をも信じることができなくなり、収容所内で破綻していく。

非常に印象に残る話が書かれている。この収容所は、1944年のクリスマスと1945年の新年の間に、かつてないほどの大量の死者を出したという話。季節の変化でも、悪化した食料事情でもない。多くの被収容者が「クリスマスには家に帰れる」という希望にすがっていたのだ。クリスマスを過ぎても家に帰れなかった被収容者たちは、落胆と失望にうちひしがれ、抵抗力を失い死んでいったのだ。「生きる意味」を見出だせないものは、崩れていく。

では、「生きる意味」とは何なのか。それは、この本の中の最も有名な一節だろう。すなわち、私達が「何を期待するか」を問うのではなく、「何を期待されているか」に答えることなのだ。

絶望的な環境においても、自分がどのような精神的存在になるかについては、自分自身で決めることができる。自分がどう振る舞うかという人間としての最後の自由だけは誰にも奪えない。

フランクルは、生き延びる見込みなど皆無の状況にいながらユーモアを忘れなかった。愛する人を心の支えにした。そして、収容所から解放された後に医師として心理学者として何ができるかを考えた。

私は、自分に与えられた人生に、どう答えるのか。
私は、いまの状況に対して、どういう人間として振る舞うか。

この本は、読者の側にも問うてくるのだ。