春学期 第10講目。
授業は実質あと2回。Time flies.
今日もコメントシートのフィードバックから始めた。
私の「したいことリスト」の中に、「大学生で恋愛をする」というものがあります。しかし、これに関しては自分ひとりではどうしようもないと思うのですが、どうしたら恋愛できると思いますか? 変な質問をしてすみません。(3年生女性)
学生から恋愛の相談まで受けるようになったが、これは素直に嬉しいことよ。信頼関係がなければ、自分の父親くらいの歳のオッサンに、こんな話は普通はしない。
まず、この質問に対して、「これに関しては自分ひとりではどうしようもない」と思っている時点で恋愛はできない。好きになった人がいても、「その人は私のことに興味がないはずだ」、「その人には意中の相手がいるかもしれない」、「迷惑かもしれない」なんて『勝手な解釈』をしているのではないか? こういうのを『被害者意識』というのだ。
恋愛関係に限らず、人間関係を構築するためには、それなりの主体的な努力が必要で、その努力をすることもなく、恋愛ができない、友達ができない、なんて、当たり前だろ。「友達ができない」じゃなくて、作ろうよ。隣の席の人に挨拶しようよ。「恋人ができない」じゃなくて、作ろうよ。好きな人に気持ちを伝えようよ。
昨日(6/21)は「父の日」だったけど、父親に連絡した人はどれだけいる? (半分くらいの学生は手を挙げず。)そこなんだよね。身近な人にすら愛と感謝を伝えられない人が、どうして他人に愛と感謝を伝えられるというのか。「口にしなくても分かってくれる」とでも思っている人がいたら、はっきり言わせてもらうが、相手には何も伝わってないよ。親子関係であっても、口にしないと伝わらない。何も言わずに、「なんで私の気持ちが分かってくれないんだ!」と不機嫌な顔をする人もいるが、不機嫌を態度に出す人は人間的に幼稚すぎる。赤ちゃんと同じだよ。
思っていることを口にすることは、恥ずかしいことかもしれないが、口に出さなければ伝わらない。けど、口に出せば伝わる。愛と感謝を伝えることが、人間関係や恋愛関係の土台ではないか。恥ずかしくても心を開いて自分から伝えるということをすれば、自分自身が幸せになれるはず。
「愛とは何か」ということを定義して、ノートに書き留めておくのもいいと思う。
愛とは、相手に対して尊敬、信頼、思いやりを持って接することともいえるが、私は「愛とは、相手の存在が、自分の存在を強めてくれること」、「愛とは、相手の存在が、自分自身を愛させてくれること」だと定義している。(ちなみに、後者は平野啓一郎著『私とは何か』に書かれている愛の定義とほぼ同じ)。
そういう相手が傍にいることは、とても幸せなことだと思う。自分から心を開けば、そういう相手が見付かると思う。心を閉ざしていると、そういう相手が傍にいても気が付かない。自分がどういう恋人を求めているのか、どういう友達を求めているのか、ということを定義できている人は、そういう人を引き寄せるんじゃないだろうか。恋人ができない、友達ができないと焦ってはダメ。焦ると顔に出るからね。じっくり時間をかけていいから、引き寄せるんだ。
と、こんなスモールトークから始めたのだが、「愛とは・・・」みたいな話も、ゴリゴリと手を動かしてノートを取り続ける学生達の姿を教壇から見ていると、ちょっと滑稽だった。けど、そんな学生達を誇りに思う。たった3ヶ月で、彼らの授業を受ける姿勢、態度、目つきは明らかに変わった。
以前、ある学生が、「先生の授業は、『名言だらけ』なので、すべて書き留めなきゃ!となってしまう」と言ってくれた。是非そのノートを編集して書籍にしてほしい。
関学の新月池にいるカルガモ。
毎朝癒される。












