前回の授業後に提出してもらったコメントシートに、こんな意見・質問があった。
《Q》授業内で読書の重要性を話して頂いたが、本は一冊読むのは、YouTubeの書評動画を見るより、はるかに時間がかかります。時間がかかりすぎることにより、情報やが偏ることになるのではないでしょうか。学者や専門家がネットで語っている話を拾っていけば、それなりに信憑性のある情報を偏りなく得られるような気がします。先生はどう思いますか?(2年生、男性)
まず、前回の授業でも言ったが、本の情報とネットの情報はクオリティが100倍違う。YouTubeで数分の書評を見て、本を読んだ気になってる人も多いだろうが、あんなものは読んだうちに入らない。ファスト教養なんてものも教養ではない。じっくりと時間をかけて書かれた本を、じっくりと時間をかけて読む。難しくても読む。それが教養だ。
あと、情報をインプット(input)することだけを目的にしているから、YouTubeで数分の書評を見ればいいという発想になる。映画を早送りでみる若者が多いらしが、それも同じ発想。知識の詰め込みと知識の暗記ばかりやってきたから、そういう発想になる。
何のために学ぶのか、何のために本を読むのかといえば、クイズ王みたいに知識を蓄えることではない。今の時代、そんなものはググればいいし、AIに聞けばいい。学ぶ目的も、本を読む目的も、input (情報入手)ではなく、throughput(自分の頭で考える)、output(自分の言葉で発言する)が本来の目的である。
(講義の板書より)
throughput(自分の頭で考える)とoutput(自分の言葉で発言する)は時間がかかる。というか、時間をかけるべきだ。ざっくりいえば、自分の頭で考えるということが「思想する」ということであり、そこで自分なりの『解』を導いて、自分の言葉で発言するということが「哲学する」ということだ。世の思想家、哲学者というのは、1つの問に対して、何年も、時には何十年も考え、自分なりの『解』を導いている。ユダヤ系ドイツ人のハンナ・アーレントという政治学者であり思想家であり哲学者がいたが(1906-1975)、全体主義を批判し、なぜナチスのようなことが起こってしまったのかを問い続けた。ホロコーストの責任者だったアイヒマンの裁判も傍聴したアーレントは、アイヒマンは根源的な悪人ではなく、上からの命令に従っただけだと感じ取った。アーレントは思考の結果、『悪の凡庸さ』、『悪の陳腐さ』という言葉を残した。人間は思考することができなくなると、平凡な人間が残虐行為をも起こしてしまうのだ。つまり、誰でもアイヒマンになりうるということだ。
これからの学生生活(さらに社会人に出てからも)、タイパやコスパのいいスマホからの情報収集(input)ばかりの生活はほどほどにして、非効率でノイズだからけかもしれないけど本やノートに向き合うことを習慣にし、自分の頭で考え(throughput)、自分の言葉で意見を発する(output)という訓練をしてほしい。その時間が、皆さんの無形資産として蓄積されていく。人は誰でもアイヒマンになれるし、人は誰でも哲学者になれる、ということを忘れないでほしい。
なお、input は、「答えのある情報」を蓄えることだけではない。「答えのない問い」に答えることも、体験・経験も、発見も、出会いも、すべてinputである。机の上で学ぶことだけが勉強ではないということも知っておいて欲しい。
(ちなみに、矢野久美子著『ハンナ・アーレント』(中公新書) を読むと、アーレントがどれほど「思考」をしたかが強烈に伝わってくる。)
別の学生からは、「授業や講演の準備はどれくらいしていますか」という質問を頂いたが、関学の授業も、社会人向けのセミナーも、ほとんどしていない。何十枚ものパワポや資料を作って、それをだだ読んでいるだけの授業や講義や講演が多すぎるが、普段から自分の頭で考え(throughput)、自分の言葉で意見を発する(output)ということをやっていないから、原稿を読むしかないのだ。普段から自分の言葉で発信している人間であれば、原稿なんてなくても何時間でも喋ることはできる(上の板書参照)。
この学生の質問に、正しく答えるとすると、「この90分の授業のために、30年準備した」ということになろうか。
今日の昼休みは、どのレストランも長蛇の列だったので、キッチンカーで食べることにした。日替わりで色んなキッチンカーが学内にやってきてくれる。今日は台湾料理屋さん。
学食の倍以上の値段がするので、ここは並ばずに食べられる。
ルーロー飯と台湾ビーフンのセットを買った。1000円也。うーん。私でも高いと思うが、これでも経営的には厳しいだろうね。
教室以外での、こういうちょっとした学生との対話の時間も楽しい。
では、また来週!















