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関学 秋学期 第5講目。
西宮は急激に寒くなってきた。先週までポロシャツだったが、今日から長袖シャツにした。



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大学構内にある日本庭園の紅葉の葉も少し赤くなってきた。
来月には真っ赤になるのだろう。



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いつも授業開始の1時間前に大学に来る。
正門から入り、中央芝生から時計台の写真を撮る。日本庭園に行って木々や池の写真を撮る。意味はない。これが「生きがい」というものだ。




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1週間しか経っていないのに、葉の色も鮮やかさも変化していく。それを眺めているだけで幸福度が上がる。こんな素晴らしいキャンパスに毎週通えることが幸せだと、つくづく思う。



今日も、授業の冒頭では、前回の授業で提出してもらったコメントシートのフィードバックから始めた。

今回も、人間関係の相談・質問が多かった。

ある学生からは、小学生の時からの友達と少し距離を取りたいというもの。その友達は、月に1〜2回連絡が来ては「死にたい」と言ってくる。私から返信しなかったら死んでしまうのではないかと思って、どんな時も返事をするようにしているが、これは「共依存」にあたるのだろうか。何とか救ってあげたいと思うが、もう救いようがないような気がする、という内容。

体操教室のコーチのバイトをしている別の学生からは、バイト先の店長が変わり、前店長がやっていた(体操コーチとは関係のない)事務作業などの仕事までバイトの私に振ってくるようになった。私以外にコーチがいないため、生徒の子供達を思うと可哀想で辞める決断ができないという内容。

また別の学生からは、本人が自覚することなく悪い方向に向かっている友達を引き止めないことは酷なことだと思いますか、という内容。

この3人からの相談・質問には、まとめて回答した。

結論として、「他人の人生」「他人の課題」「他人の領域」に踏み込む必要なない。というか、踏み込むべきではない。それは、幼馴染みであっても、親子間、恋人間、夫婦間であっても同じ。幼馴染みを救ってあげたい、体操教室の子どもたちが可哀想、悪に向かってる友達を助けたい、という他人を思いやる気持ちは素晴らしいことであるが、「自分は自分、他人は他人」という割り切りがなければ、いつまでも他人に自分の人生を注ぐことになる。

逆にいえば、あなた達の人生・課題・領域も、他人には関係のないことだという割り切りも必要である。心理学者のアルフレッド・アドラーが、「他人が自分をどう思うかは、相手の課題であって、自分の課題ではない」と言っている。友達が自分のことを嫌っていたとしても、それは他人が勝手に決めたことであり、自分が負うべき問題ではない。勝手に嫌っておけばいい。勝手に離れていけばいい。

生きていくにあたって大切なことは、(繰り返すが)「他人の人生」「他人の課題」「他人の領域」に過度に介入しないことだ。他人に対する思いやりの気持ちは大切だが、いつでも手を差し伸べてあげられる距離感にいてあげることが真の人間関係であり、介入・干渉・支配・従属の関係は真の人間関係ではない。


ちなみに、前回の授業で、アドラーの研究家でもある岸見一郎さんの『つながらない覚悟』という本を紹介した。この本の中に、共依存関係は「偽りのつながり」であり、自立した者同士の関係が「真のつながり」である、というようなことが書かれている。自立している人は、自分に価値があると思っているから、他人からの承認は必要ないし、他人の期待を満たす必要もない。だからこそ、他人を支配したり、服従したりすることなく、対人関係に自発的に入っていくことができる。そんなことが書かれている本である。

この話を受けて、ある学生が、「私は依存関係にある人より、自立している人の方が孤独であるように感じます」というコメントをくれた。

実は、そのとおりなのだ。

『つながらない覚悟』には、自立している人は孤独でなければならない、とも述べている。「偽りのつながり」で満たされている人は、孤独をおそれるから、つながりを強制する(もしくは支配される)。しかし、自立している人は、自分の人生を自分で生きる人である。孤独であることを自分の意思で選べる人である。だから、この学生がいうように、「自立している人の方が孤独である」というのは、そのとおりなのだ。

モンテーニュは『エセー』の中で、孤独は「精神の自由」だと言っている。私はこれに深く共感する。私は孤独の時間(独りの時間)がないことは苦痛だ。孤独であることが、自分を広げてくれる。

他人やスマホに依存しすぎるのではなく、自分と向き合う時間を大切にしよう。

今日はそんな話から授業に入った。
授業の話も書きたいのだが、長くなるので、また気が向いたら。


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夜、昨年から履修してくれている学生と食事に行った。2人で飲みに行くのは3度目かな。

kobe


彼に希望により、ワインが美味しいお店へ。

私と同じ歳のお父様が相当なお酒好きらしく、家でもいいお酒を飲んでるらしい。その影響か遺伝か環境か分からんが、21歳にして私より酒が強い。そしてお酒の味をちゃんと分かっている(じゃなければ、こんな店には連れていかねーよ)。

飲みながらも、ちゃんと私の話をノートに書き写していた。優等生だわ。

今日はめちゃくちゃ飲んだが、こういうのも楽しい時間だ。生きがいだ。せっかく沖縄から出てきてるんだから、授業以外の時間もできるだけ学生と向き合いたいと思う。胃袋も時間も足りない。関西にいる時は大忙しよ。