chatan

いつもより1日遅れで沖縄に戻ってきた。中3日の沖縄。
本州は秋の風が吹いているが、沖縄はまだ真夏。



chatan

久しぶりに台風(23号)が上陸するかと思ったが、反れた。しかし、波はいつもより高かった。お構いなく潜る外国人たち。こんな日は、ウチナンチュは海に近づかない。今日は走っている人も少なかった。私も途中で引き返した。海風がキツすぎた。





arakoya

東京から友達が来てくれた。ハンディキャップを抱える長女を含む3人の子供を育てながら、毎日忙しく働くママだが、理解ある旦那さんに子供を預けて、一人旅をしている道中に北谷に寄ってくれた。

自分と同じようにハンディキャップの子供を持つママのチカラになりたいと、私のセミナーも受講しながら事業化に向けて色々と頑張っている。しかし、そのような努力に水を指すような人間が現れてるという話を聞いて悲しくなった。自立していない人間ほど、他人のやる事なす事に干渉する。そして他人を自分の思い通りに動かそうとする。幼稚だ。そんな線香花火のように儚い生き方の人間とは一刻も早く縁を切った方がいい。

私も、プライベートな領域まで土足で踏み込んでくる人間に付きまとわれたことがある。かつてビジネスパートナーと呼んでいた人間だが、気持ち悪いので縁を切った。私は、所属はしても、依存はしない。相手が誰であろうと。依存関係の中にあるものは、すべて偽りだから。




chatan

毎週土曜日は花火の日。今日は自宅からでなく、真下で観るとデカい。



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阿部恭子著『近親性交』(小学館新書)読了。


父親にレイプされた息子
父親に抱かれた娘
姉をレイプした弟
息子との子供を出産した母親
兄の子供を出産した妹・・・

本書には様々な近親性交(近親相姦)の事例が紹介されている。

一番安心な場所であるはずの家庭の中の「闇」を暴いた衝撃の内容。

「そろそろあんたがお父さんの相手しなさいよ」と娘にコンドームを渡す母親。「ちゃんと教えておかないと」と、その娘の下着を脱がせて性行為を始める父親。この近親性交は娘が13歳の時から大学を卒業するまで約10年続く。父が浮気して捨てられることを恐れた母と娘が取った異常なまでの依存関係。

単なる性欲では説明が付かない関係である。捨てられたくない、孤独になりたくない、傷つきたくないという恐怖心が、このような異常な「支配・依存の関係」(共依存関係)を生んでしまう。

しかし、なぜ、家庭の中なのか。

最終章(第5章)において、それは、「家族による性の呪縛」だと述べている。日本では、諸外国に比べて、「私」よりも「家族」が重視される傾向にある。親と子の間に支配・服従の上下関係が残っている家庭も少なくないし、子の受験・就職・結婚などに親が干渉する家族も少なくない。さらに、「私」と「家族」の境界線が不在であり、「世間」を過度に気にすることから、問題を抱える家族こそ、社会に迷惑をかけずに、家族のことは家族で解決すべきと考える傾向がある。このような「家」の文化が、かえって家庭内では傍若無人し、「家族による性の呪縛」がはじまる。日本や韓国では凶悪犯罪が少ないのに、家庭内殺人の割合が高いことも、家族を重んじる国の特徴なのだろう。

「家族」や「世間」を過度に気にする日本人の特性が、家庭内での近親性交に繋がっているというのは如何ともしがたい話であり、法規制でなんとかなる話ではない気がする。個々人が(共依存から抜け出し)自立するしかないのかもしれないが、それもまた簡単で話ではないことくらい素人でも分かる。日本人の人間関係における根本的な問題にぶち当たってる気がする。