Kyoto

京都出張

この時期の京都はのぼせ上がるほど暑いことを覚悟していたが、涼しかった。




Kyoto

仕事の前に、『京都ぷりん堂』にて、抹茶のお重を頂いた。3種の抹茶スイーツが重箱に入ったアフタヌーンティー。センス良すぎ。京都っぽくて最高。左下のガトーショコラがめちゃくちゃ濃厚で美味しかった。左上の抹茶ぷりんも美味しかった。



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顧問先の社長と定例の打ち合わせをした後、京都四条のめちゃくちゃ好きな串✕鉄板焼屋の『ぞろんぱ』へ。沖縄移住後も年2〜3回は通っている。美味しい料理は「美味しい」としか形容できない。とにかく美味しい。


Kyoto


社長からちょっとした人生相談を受けた。

以前から尊敬する人がいて、直接教えを請うていたが、「最近疑問を持つようになった」と。この先もその人から教えを請うのか、離れるべきかを悩んでいると。

おそらく、尊敬できなくなったのだろう。完璧な人間なんて1人もいないんだから、同じ人間をずっと尊敬できることなんてないと思うし、師弟関係が永続することもない。どこかで離れていくものだと思う。

だから、私は誰の弟子にもならないと決めているし、誰も弟子にしないと決めている。私自身が「完璧」から程遠い人間であることを自覚しているし、「弟子にしてください」と言ってくる人に私にはない才能の原石があることも分かるので、師弟関係にもなる必要はない。とっとと、私を超えればいい。だから、勝手に「師匠」と呼んでくる人が数名いるが、私は弟子とは思わないし、彼らには「さん」付けで呼ぶようにしている。多くの師弟関係は、「共依存」の関係にあると思う。共依存とは自立の対極である。そんな関係を自ら築きたいとは思わない。

尊敬できる人やモデルになる人がいることは素晴らしいことだと思うし、その人に直接会い、直接教えを請うことはもっと素晴らしいことだと思う。会いたい人に会いに行くことが最大の自己投資であるから、尊敬できる人がいたら、いかなる手段を使ってでも直接会いに行くべきだというのが私の考えである。もし直接教えを請う機会を得ることができれば、大きな成長の機会を得たことになる。自分の強みや自分のバリューをひたすら伸ばす努力をすべきだと思う。その人を超えるほどに。

そうやって成功する人は、いずれは師から離れていくものだ。師から離れられない弟、弟から離れられない師こそ共依存だと思うし、師弟関係の長さを自慢しているのは気持ち悪い。享受できるものを享受したら、とっとと離れていくことが健全な関係ではないか。



Kyoto

行きつけのお店は幾つかあるが、私のことを「先生」と呼ぶのはこの店のソムリエさんだけだ。いつも顧問先の社長と行くからだろう。

「予約を頂いたときから、先生に飲んでほしいワインを置いておきました」と、グラスで幾つかのワインを出してくれた。私の好みを熟知してくれてる。最高のホスピタリティだ。高価なワインを出す訳ではないが、その時に頼んだ料理に合わせて、最も合うワインを提供してくれる。そのバランスがとても良い。

私が一番好きなソムリエさんで、彼女から毎回学ぶことは多い。ワインの銘柄だけでなく、表現方法、提供方法、ホスピタリティに至るまで。学びはどこにでもあると思う。学ぶことがなくなったら、また違うことを学びたいと思うはずだ。人間ってそういう生き物ではないか。

最後に私が社長に伝えたのは、「もう守破離の離に向かってください」ということ。

真っ先に私が解約されたりしてねー。

人生なりゆき。
Just go with the flow.