萩2日目。
萩に来るたびに必ず寄る店がある。『いそ萬』。開店と同時に来た。
そして、毎回注文するのが、この「イカイカウニ丼」。
萩は、フグだけではなく、イカも美味しいことで有名。
イカイカの上にウニ。美味いに決まってる。
名物サザエのつぼ焼きも。
朝から超満腹。
いわしみりん干しは自宅に送った。
帰ってから、ビールと共に。
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「松下村塾」から少し丘を上がったところに、吉田松陰先生のお墓がある。
(萩の方は「吉田松陰先生」というらしい)
初めてお墓参りをさせて頂いた。
吉田松陰先生のお墓の傍には、久坂玄瑞の墓、高杉晋作の墓もある。
この小さな町から、どれだけ偉大な人物が出てきたんだ。
お墓を少し下ると、「吉田松陰先生誕生の地」がある。
揮毫は松下村塾の門下生 山縣有朋。
吉田松陰は1830年に萩藩市杉百合之助の次男としてこの地に誕生した。場所は萩城下を一望できる最高のロケーション。吉田松陰はここで19歳頃まで過ごしたらしい。
家屋は現存していないが、間取りだけが残されている。居間のあったところに私も座ってみた。
「吉田松陰先生像」
揮毫は佐藤栄作。
師の吉田松陰と弟子の金子重之助(重助)の2体の銅像。海外密航を企てた2人が下田海岸でペリー艦隊を望見する姿が描かれている。
墓参りを終えて、今年も「松陰神社」へ。
この石柱の「松陰神社」の文字は、吉田松陰自筆の文字(吉田松陰の書簡等から文字を抜き出したもの)。吉田松陰は29歳で没しているため、20代に書いたもの。「留魂録」を見ても思うが、松陰先生、めちゃくちゃ達筆。
松陰神社内にある「松下村塾」(世界遺産)へ。5年連続の訪問。
8畳と10畳半の間が2つあるのみ。松蔭が20代の頃に、僅か2年余り指導に当たっただけだが、この小さな畳の間から、明治維新のリーダーや、伊藤博文、山県有朋、木戸孝允、久坂玄瑞、高杉晋作などの内閣総理大臣やリーダーを生んだのだ。
コロナ禍で日本中を旅したが、その中で痺れた場所のうちの一つが「松下村塾」だった。この小さな平屋から明治維新のリーダーを育て、明治維新の原動力になったかと思うと、信念を貫いて生きようと奮い立たされる。そして,教育を変え、人を変え、社会を変え、吉田松陰のように社会に足跡を残す教育者になりたいと強く思う。
萩城下町へ。
淋しいくらい観光客がいない。
こんな美しい場所が日本にあるというのに。
日が暮れると阿武川上流は大量の蛍が輝きだす。
スマホではこれが限界だが、肉眼ではこの何倍もの蛍が飛んでいる。我が人生において、これほど大量の蛍の光を見たのは初めてだ。感動した。
萩市は「消滅可能性自治体」に入っており、2050年までに人口が半分以下になる。しかし、5つも世界遺産があり、日本の近代化の原点となった場所でもある。若い人が流出するのは仕方ないとしても、観光地として絶対に残さなければならない場所だと思う。隣の長門市も「消滅可能性自治体」に入っているが、長門は温泉地としても有名だし、萩と並んでブランド力のある酒造がある。カルストロードのある美祢市も、これまた「消滅可能性自治体」に入っているが、観光地としては素晴らしい場所なのだ。山口市がニューヨーク・タイムズに掲載されて外国人観光客が増えたらしいが、福岡や京都に比べるとまだまだ少ない。今回福岡に行った時は、韓国人の多さにちょっと引いたが、山口では見ることがなかった。アクセスの問題もあるが、もう少し盛り上がってもいいんじゃないか。
「黒字社長塾」を松下村塾でやろう! みたいな話もあるのだが、せっかくならフグの季節にやりたいね。
