多読術 (ちくまプリマー新書)
松岡正剛
筑摩書房
2020-07-24



松岡正剛著『多読術』を再読。

本書は、「読書」というものの考え方を変えてくれた本の一冊であり、読書の概念を覆してくれ、本を読む楽しさを教えてくれる本でもある。

2009年の発売以来、何度読んだか分からないが、次回の「黒字社長塾」(2025年3月7日開催)の課題図書に選んだこともあり、再び熟読した。

セイゴー流の読書法・多読術とはどのようなものなのか。私なりに要約すると、次の通り。

読書には「読前」「読中」「読後」があり本を読む前から読書は始まっている。(P80、P123)

「読前」に目次を3分見て、柔らかい「知のマップ」のようなものを浮かび上がらせる。(目次読書法、P70)

読書の醍醐味は「無知から未知へ」。こちらが無知だからこそ読書は面白い。(P69)

読書は「読む」という単立した行為ではなく、様々なことを感じるという複線的行為である(P78)

著者が送り手で、読者が受け手と考えてはいけない。執筆も読書も「双方向的な相互コミュニケーション」とみる。(P95)

読んだ本には必ず「はずれ」がある。三割五分の打率で上々。(P59、P79)

「本をノートにする」、読みながらマーキングしていく。再読の時にマーキングを追うだけで初読時以上に立体的に立ち上がる。(マーキング読書法、P82〜、P110〜)

セイゴー氏のマーキングの写真がP85に掲載されているが、これを見るだけでも本書を買う価値あり。



良書は何度読んでも良い。常に新たな気付きがある。本書にも書かれているが、「読書は二度する」方がいい(P14)。時間と空間をまたぎ、改めて眺めることで、一度目に感じたことと違うことを感じる。これも読書の楽しみである。

読書とは、著者が書いたことを理解するためだけにあるのではなく、著者が書いたことと自分が感じることが「まざる」ことであり、「コラボレーション」であり、「相互編集」である(P76〜参照)、という視点はとても大事だと思う。

著者も人間であれば、読者も人間である。著者の思想、書き方、言葉づかいなどが、読者の受容能力でははるかに処理できないことは多々ある(P73参照)。つまり、なじめない本、受容できない本、はずれ本、ってものは必ずある。だから「読前」が大事なのだが、それでも買った本が100%「当たり」ということは有り得ない。だから、本を全部理解しようなんて思わないことだし、全力で読もうなんて思わないことだ、と述べている。

全体を通してセイゴー氏が言いたかったことは、食べたいものを食べ、着たい服を着るように、読みたい本を読んだからいいんだよ、ということだろう。自分の「好み」を大切にして、自分の「テイスト」を作っていけばいいのだ。

昔、セイゴー氏の講演会を拝聴したことがあるが、その時でも、「読書はポップなもので、カジュアルなものだ」と強調されていた。未知の箱を開けるということを楽しめばいい。それが読書の醍醐味というものだ。