大学入学共通テストの問題が新聞に載っていたので何問か解いてみたのだが、相変わらず下らない問題ばかりだねぇ〜。文科省によると、このテストは「思考力・判断力・表現力を中心に評価を行うもの」らしいが、「思考力・判断力・表現力」を4択の問題で判断できるというのか。そもそも学生の「思考力・判断力・表現力」が60分や90分のペーパーテストで分かるというのか。それ以前にこれらの問題のどこが「思考力・判断力・表現力」を問うているというのか。こんな問題をクリアするために、高校生が学生生活の貴重な時間を「知識の詰め込み」に当てているのかと思うと悲しい気分になる。

小中高と12年間も試験・受験のために「知識の詰め込み」をさせられ、強みを伸ばすことよりも弱点補強をさせられ、「知識の有無による格付け」の競争を闘い抜いた学生は、正解のない問いに対して、自分の頭で考え、自分で解を導くということができない。思考することを放棄し、すぐに答えを求める。1つの問いに何時間も何日も考え、思想する、哲学するということを経験をしたことがないから、そういう時間は効率が悪いと避ける。そうやって学ぶことにもタイパとコスパを持ち込み、すぐに答えが出ないものから逃げる。すべては試験・受験の弊害だと思う。

教育がすべきことは、まず「暗記力」で評価することを止めるべきだ。そして、ネット時代・AI時代に全く無意味な「偏差値」で人を測ることを止めるべきだ。で、大学入試共通テストという下らない制度を廃止すべきだ。学生に個性を求める以前に、教育現場(特に大学)が個性と独自性を出すべきだ(同じようなことを大前研一氏も著書で述べていた)。

とはいえ、戦後から変わらない制度がすぐに変わるとは思えない(おそらく今後も変わらない)。海外の学校に行くという選択肢、または、大学受験をせずに大学に行くという選択肢、もしくは、公教育に頼らないという選択肢も持っておくべきだろう。

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厚生労働省の発表によると、2024年の小中高生の自殺は527人で統計のある1980年以降過去最多となった(下図参照)。原因別の内訳をみると、いじめよりも、学業不振や入試・進路の悩みによるものが圧倒的に多い。

小中高生の自殺者数
出所

学習・学びというのは、本来、楽しいものであり、ワクワクするものであるはずなのに、小中高生を苦しめるものになっている。大学もまた然り。私のクラスの学生達からも「大学が面白くない」「大学に通う意味が分からない」「聴くに値する授業はない」といったことを耳にタコができるほど聞いてきた。30年前、私が大学生だった時も「聴くに値しない授業」ばかりで大学に幻滅したことがあるが、いまでも教育は変わっていないことに絶望的な気分になる。

いったい、どんなモチベーション、テンション、パッションで授業をすれば「聴くに値しない授業」ができるのだろうか。どういう志を持って教壇に立っているのだろうか。ホントに教えてほしい。

繰り返すが、学ぶということは、本来、楽しいものであり、ワクワクするものであるはずだ。下らない授業も、下らない試験も、下らない学校も、全部淘汰された方がいい。以前も書いたことがあるが、私は全校を「N校化」すればいいと思っているくらい、既存校に意味を感じていない。その道の超一流講師の授業を全国にネット配信すればいいのだ。教員不足も解決でき、不登校も自殺も減るに違いない。

自殺予防のために、学校にカウンセラーや精神科医が支援できる仕組みを作るべきという意見があるが、根本的な問題解決にならないと思う。問題はそこではない。学校に通うこと、学校にいることが苦痛で苦痛で仕方ないのだ。変えるべきは生徒ではなく、学校であり、教育者であり、教育委員会であり、文科省なのだ。

教育とは何なのか、教育は何を評価してきたのか、学生達に何を教えてきたのか。

そして、私に何ができるのか。

教育者の端くれとして、いつもそんなことを考える。


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今日、沖縄から関西へ移動し、京都の顧問先で打ち合わせ。
体感気温、マイナス1℃。
死にそうだった。

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