先週まで、来春から始まる「黒字社長塾」のオンライン会員&コミュニティ会員用のセミナー動画の収録で激務だったため、運動する余裕もなかったが、今週からルーティングに戻った。いつもの海岸を軽くジョギング。気持ちいい。
([出所]読売新聞オンライン(2024/12/14)より)
「住み続けたい街」で北谷が1位に。納得だね。
([出所]日経電子版(2024/12/13)より一部抜粋)
読書は「ノイズ」として敬遠されてるのか。
資生堂名誉会長の福原義春氏の『だから人は本を読む』という本に書いてあった、「私という人間は今まで読んだ本を編集してでき上がっているのかもしれない」し、「逆にいえば本によって編集されたのが私」(P41)なのかもしれないというのは、共感しまくりだし、その通りだと思う。
「インターネットで自分の欲しい情報に接すれば事足りるのに、書物には余計な知識が紛れ込み、忙しい人々のニーズとずれている」というのは、なかなか衝撃的な一文ではないか。「忙しい人々」にとって、書物はノイズであり、読書のニーズがないのか…。
「タイパ」「コスパ」を追い求め、書評を読んで書物を読んだ気になり、知識を得た気になったところで、何が身に付くというのか。ソローの『森の生活』の「むすび」にも書かれているが、複雑な考えや多様な解釈の軽視が「脳の腐敗」につながるのだ。
「タイパ」「コスパ」といってる人ほどスマホを見てる時間が長いはずだし、そもそも「タイパ」「コスパ」といってる人で幸せそうな人を見たことがない。
すぐに役立つ知識は、すぐに役立たなくなる。それよりも、一冊の本をじっくりと読み、考え、自分の考えをまとめるというプロセスが、自分の哲学を完成させることになる。そういう時間を少しでも持つべきだと思う。
上の「春秋」で紹介されている三宅香帆著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』において、著者は、働きながら本を読めるように、「全身」で働くのではなく、あえて「半身」で働こうと提案している。本が読めないのはストレスだ。仕事はほどほどに。空いた時間でちょっとでも本が読みたい。
([出所]日経電子版(2024/12/12)より一部抜粋。窪美澄さんのコラムより。)
確かに、幾つかの本が開かないドアを開けてくれた。
だから書籍代だけはケチりたくない。引き寄せた本はとりあえず買う。積読でもいい。必要なタイミングで読めば、開かなかったドアが開くかもしれない。
午後はカフェで読書。
夜は、最近知り合った元米軍のTさんと飲みに行った。前から「いつか ”Nommunication” しよう」と言ってたのだが、Tさんの方から誘ってくれた。こっちの米軍関係者は(車移動が多いため)外で飲まない人が多いのだが、Tさんはめちゃんこ飲む人だったのが嬉しい。
そろそろ今年1年を振り返ろうと思っているのだが、この1年の大きな変化のひとつは、英会話をやり直したことと、北谷に友達が増えたことかな。
(ネットから拝借した)
小倉智昭が亡くなられた。歯に衣着せぬ物言いが好きで、「とくダネ」は毎日のように見ていた。
生前から話題になっていた上の記事が、訃報直後から再びネットに流れてきた。
「若いうちにやれることがあったらやっておいたほうがいい」
この歳になるとホントそう思う。
来年は関学に行く回数が今年の半分になるので、たっぷりと時間が取れる。やれることをやりたおそうと思う。

















