kwanseigakuin

秋学期 第7講。
全14講なので、もう半分が過ぎた。早い。

キャンパス内の日本庭園は先週よりも赤くなってきた。秋だね。




Pocky

教室に入ると、学生がポッキーをくれた。
11月11日は「ポッキー&プリッツの日」ということで。
ありがと!




3年生の学生(女性)から以下のようなコメントシートを頂いた。
前回の授業で「自分の強みも弱みも丸ごと愛してくれる人と付き合った方がいい」という話を伺いましたが、私は物心がついた時から自分のことが嫌いで、仲良くしてくれる友人や好いてくれる人に「なぜこんな私と一緒に居てくれるのか」と申し訳ない気持ちになることがよくあります。関係を疑ってしまう自分にさらに嫌気が差すのですが、どうしても自分のことが好きになれません。

自分というものが定まっていないため、自己評価が他人軸だったり、無意識のうちに他人と比較してしまい、自分が嫌いになるループから抜け出せません。

先生のお話や、先生が紹介して下さった本を読み、自分なりに噛み砕いて、自己肯定感を上げられるように努力したいです。先生のような様々なこと、多くのことを深く考えている大人の方のお話しを聞いて、感銘を受けたり、心に響いたり、そういうお話しが聞けることを心待ちにしていたのだと思います。先生のお話しを聞いて、自分の曲がった考えが徐々に矯正されているように感じます。色んなことを教えて下さる武田先生にも、この授業を勧めてくれた友人にも、とても感謝をしています。ありがとうございます。

とても嬉しいコメント。

私が学生達に再三言っていることは、他人軸で生きていたり、他人と比較したりしている人は、絶対に幸せになれないということ。そして、誰しもが自分にしかない才能(の原石)を持っているのだから、それを磨き続けるべきだということ。

最近「自己肯定感」というコトバがブームになってるけど、それほど自己肯定感がない人が多いということだ。長年我が国の教育は、個性を潰し、協調性を重んじ、他人と違うことをすることを許さなかったので、「自分のことが好き」という人の割合が世界的にみて極めて少ない。

戦後、マッカーサーが憲法を改正したが、日本国憲法で最も大切な条文は13条の「個人の尊重」(すべて国民は、個人として尊重される)と「幸福追求権」(生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする)だと言われている(詳細はこちら参照)。人は皆違うし、違っていいし、人と違うことは素晴らしいことだ、と憲法が謳っている。

私は、教育者や保護者という者は、人々の個性を尊重し、才能を伸ばすために在ると思っている。否定ゼロ、肯定100。自分を愛してあげて欲しいと思う。



2年生(男性)より。
前回の授業で「短所・弱点は、『克服すべきもの』と『諦めるべきもの』に分けることが大切で、全てを克服しなくていい」とおっしゃっていましたが、私の短所は積極的にコミュニケーションが取れないことです。しかし、成功する人は、行動力があり、コミュニケーションが上手いと思います。

私のこの短所は、性格的なもので直る気がしませんが、改善すべきでしょうか。私は、本当の自分を押し曲げてでも直す必要はないと思っています。無理矢理自分を押し曲げることは、偽りの自分を演じていると思うからです。

社会に適応するためには協調性も求められると思いますが、このバランスがとても難しいと感じています。

いい質問。

性格(キャラ)は変えられないので克服しなくていいと思う。学校教育では、こういった性格的な弱点までも矯正しようとし、「人と同じこと」をさせようとするから、学校が嫌いになる人が多いんじゃないかな。

私も積極的なコミュニケーションは上手ではないけど、傾聴力はある方だと思う。性格的な短所があることが社会に適応できないことではないと思う。自分らしく、自分の人生を演じるべき。



2年生(女性)より。
以前の授業で、「社会人の最初の2年で同期につけた差は一生埋まらない」「最初に2年でどこまで高い所まで行くかがとても大事」という話がありましたが(※)、「2〜3年くらいで転職する人も多いのに、就活にチカラを入れすぎじゃないか」という話もありました。

このお話しは、どうせ2年で辞めるんだから、とりあえず就活して良い企業に入って、テキトーにやって、また転職すればいい、という考えとは違いますよね? 会社を変えても自分の軸は変えず、何十年も同じことをやり続けることが自分の価値を高めることであり、転職は自分のステップアップのためにやるものだと思ったのですが、この点について詳しく教えて頂けると嬉しいです。
(※ なお、この話は、拙著『公認会計士 「試験」「仕事」「キャリア」のすべてがわかる本』にも書いている)

隣の芝は青く見えるので、青い芝を目指してバッタのようにぴょんぴょん飛び跳ねながら生きている人がいる。私のような歳になっても、そんな人間は多い。もし私がそんな人間だったとしたら、皆さんは私の授業を聞きたいと思うか? もし皆さんが経営者だとしたら、私をコンサルタントとして雇いたいか? 20年も30年も働いていて、何が専門なのかも分からない人に、誰が仕事の依頼をするのかね。逆に、20年も30年もひとつのことにコツコツと打ち込んで、その分野では誰にも負けないというものを持つことができたら、誰が貴方以外に仕事の依頼をするというのかね。私の周りにもバッタのような生き方をしている会計士・税理士がいる。いつも青い芝の上にいるので、そこそこ儲かってるのかもしれんが、そんな人間と一緒に仕事がしたいとは思わんし、そもそもそんな人間を信頼できない。

どんな会社に内定が出ようが、どんな部署に配属されようが、好き嫌いなく、与えられた仕事に打ち込み、極めるべき。きっとそれが天職になる。その会社から享受できるものは何も無いと思ったら、違う会社に転職するなり、独立するなり、次の道に進めばいい。転職・独立すべきタイミングで行動できないのは、行動して失敗することの何倍も失敗だと思う。行動して失敗することは成長の種になるが、行動しないという失敗はほんまもんの失敗であり、いつまで経っても成長も成功もない。

バッタのように飛び跳ねながら生きているのもどうかと思うが、動かなさすぎるのもどうかと思う。



4年生(男性)より。
最近、他人と関わる中で、その相手についての良くない噂を聞いてから、その人の言動に対してフィルターがかかってしまい、その人を直視できなくなりました。偏見のようなものに惑わされないようにするためには、どうしたらいいと思いますか?

「噂」を聞いて、「フィルター」がかかり、「偏見」を持つ。

おいおい。

「事実は1つ」だけど、「解釈は無限」であり、この話は「解釈」でしょ? 「事実」は何なの?? 「解釈」にすぎないことで勝手なフィルターをかけて、勝手な感情に揺さぶられて、誰得なの??

この世の中は「解釈」で溢れているが、「事実」を見るようにすべき。新聞報道を含むマスコミが報じていることですら「事実」ではないことが多いからね。本来のマスメディアは「事実」の裏にある「真実」を伝えるべきなのに、「事実」すら歪めている(だから「マスゴミ」と言われるのだ)。TVやネットの情報も大半が「2次情報」であり、「解釈」が含まれていると思った方がいい。できるだけ「1次情報」にあたり、「事実」を確かめ、「真実」を探るべき

我が国には癌で亡くなる人が多いということは聞いたことがあると思うが、興味がある人は、そのデータ(事実)を確かめ、そのような結果になっている理由(真実)を探ってほしい。マスコミが絶対に報じないことが分かると思う。



と、こんなやり取りをしながら、今日も『「経理」の本分』について授業を行った。

100分なんてあっという間。6時間くらい喋りたい。



kwansei

授業後、学生と。
20歳の学生を可愛くて仕方がないと思うのは、ワシがオッサンになったということだな。彼女達の父親より年上なんだから、オッサンなんだよ。事実は1つだ。


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授業後、京都の顧問先へ。3時間ほど密なミーティング。ほぼコーチング。

夜、行きつけの串屋へ。もう4〜5年前から通っているので、店の方も私の好みを分かってくれている。今日は、メニューに載っていないBaroloのバックヴィンテージを開けてくれた。香りだけでも満足。

Kyoto



Baroloに合わせて串を出してくれた。
これもメニューにはない逆ペアリングのサービス。

Kyoto


ホテルに戻ると、いつも接客してくれるソムリエ(たぶん20代の女性)から御礼のLINEが届いていた。「ご来店ありがとうございました!」「沖縄のお店にも行きたいです」「また連絡させて頂きます」「出張おつかれさまでした!」などなど。

こういう「情緒的な繋がり」を大切にしてくれるお店にはまた何度も通いたいと思うし、私が飲食店に興味があり飲食店投資をしているのもこういうところにある。不動産投資をしても入居者と接することなんて全くないからね。

今日も1日、楽しく充実しまくりだった。

「人生で楽しいことベスト10」を毎日・毎週・毎月・毎年やり続ける人生にしよう。