哲学者 戸谷洋志氏の新刊書『生きることは頼ること』(講談社現代新書)、読了。
副題は、「自己責任」から「弱い責任」へ。
日本人には「自己責任論」という人間感が跋扈している。我々の記憶にこびりついているのが、2004年4月にイラクで発生した日本人3人の人質事件ではないだろうか(P32〜)。彼らはイラクの子供たちへの支援や真実の報道という目的のため、政府の渡航自粛勧告を無視して現地に入国し、武装勢力に誘拐された。
この時、渡航自粛勧告を無視してイラクに渡航したのは本人たちの「自己責任」であるから、武装勢力の要求(イラクに駐屯している自衛隊の撤退)を飲むべきではないし、その結果として3人が処刑されても構わない、という意見が多くあがった(P33参照)。
3人は全員解放され、無事帰国することができたが、事件が終結した後も、「自己責任論」の是非は大きな論争となった。
ちなみに、この3人のうちの1人は私の友人である。帰国後、彼のもとには「頼むから死んでくれ」「税金泥棒」などの罵倒の手紙や電話が止まらなかったという。下の写真が、その時に彼のもとに届いた手紙の一部。
(出所)
彼が果たそうとしたイラクの子供たちへの支援という尊い目的は無視され、「政府に迷惑をかけた」ということだけがクローズアップされ、「許せない」「自業自得だ」「処刑されるべきだ」という残虐な言説となった。
他者から援助をしてもらうことは迷惑なことなのだろうか。他者に頼ることは恥じるべき行為なのだろうか。自分で考えて行動した人間を、何も考えずに周囲に同調して「許せない」とバッシングしているだけではないのか。自分で考えて行動した人間を「無責任な行動だ」と非難・批判することこそが無責任であり、欺瞞であり、思考の欠如であり、暴力への加担ではないか。
人は誰しも他者に依存し、同時に誰かから依存されているという相互依存の関係にある。「本当の意味で個人として生きている人間など、一人として存在しない」(P176)。生まれた時も、死ぬ間際も、やはり他者の力を借りなければならないのだ。「それを否定することは、もはや、人間の存在そのものを否定することを意味するのではないだろうか」(P148)。
ここでいう依存とは、対人関係における支配・依存関係とは違うものだし、自律しているかどうかという議論とも性質が違うものだと私は思う。
相互依存の対人関係において、他者に頼ることなく、すべての責任を一人で引き受けること(これを本書では「強い責任」と呼んでいる)は、結果として他者に頼らざるを得ない状況を生む可能性が高く、むしろ「無責任」であると著者はいう。そこで、著者は、他者を頼り、外部に助けを求めながら責任も引き受ける「弱い責任」を提案する。
気鋭の哲学者と称される著者の本とあり、何名かの哲学者の文献が登場し、文章もややこしく、小難しく、論調に偏りもあるが、個人的には興味深い内容だった。
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今日(9/20)から関学の秋学期が始まった。
私は秋学期も月曜日の授業を担当するので、9/30(月)が第1講となる。あと10日。まだ履修登録期限前であるが、既に多くの履修登録があり、予定していた教室の定員を超えたらしい。春学期に続いて、秋学期も教室変更。嬉しい悲鳴だね。いつか関学の中央講堂で授業をしてみたい。