6月最終日。もう1年の半分が過ぎたのか。
今日の午前便で那覇空港から伊丹空港へ。
大阪でちょっと時間を潰してから、西宮の苦楽園口駅へ。かつて10年位住んでいた場所。
ここで去年まで私の授業を履修してくれていた卒業生Nさんと待ち合わせ。「一緒に食事に行かせて頂きたいです」と連絡を頂いたので、彼女の自宅の近くでもあり、懐かしいの場所でもある苦楽園で会うことに。
苦楽園口駅の近くにある「トロ」(CARBONIERA del TORO)というイタリアンへ。苦楽園在住時はよく来たお店だが、随分とお久しぶりの訪問。
Nさんは昨年の私の授業を受けて、監査の仕事に興味を持ってくれたのだが、先月末の公認会計士試験(短答式試験)の合格発表で不合格だった。公認会計士を志すことは一旦断念し、事業会社への就活に切り替え、既に幾つかの企業と面接をしているという。その報告だった。
就活は順調そうだった。学生時代や公認会計士試験受験時代に学んだことは決して無駄にはならないと思うので、これまで学んだことを武器にして、また新しい志を持って前に進んでほしいと思う。
「就活の良い報告ができるように頑張ります!」、「就活が落ち着いたら、また授業にお邪魔させてください!」と言ってくれた。頑張ってね。応援してるよ。
学生から受ける相談の1位は人間関係、2位は就活。
人間関係も、就活も、完璧を求めすぎている学生が多いため、悩みも相談も多い。理想を手にしなければ人生が終わってしまうとでも思っているのかもしれないが、理想なんて分かるはずない。人間関係も仕事も、細胞と同じように数年で全部入れ替わるものだ。一生同じ企業で働くような時代ではないし、一生同じ人間関係ということもない。万物は絶えず変化していくものだ。就職先も幅広く色んな企業を回ってみて、御縁があった企業でコツコツと働いたらいい(という位の気持ちで就活すべきだと思う)。働いてみて合わなけば違う企業に行けばいい。
沢木耕太郎の本に『世界は「使われなかった人生」であふれている』という本がある(初出2001年、文庫化2007年)。映画評であるが、タイトルが大好き。世界は「使われなかった人生」や「ありえたかもしれない人生」であるれているのだ。「もしあの時、◯◯をしていたら」というものが誰にでも存在するはず(私にも何十個もある)。私たちは、「使われなかった人生」を抱えながら生きていくものなのだ。どの道に進んでも「使われなかった人生」に想いを馳せることになる。であるなら、いまの人生を精一杯楽しみ尽くし、慈しむことだね。