沖縄慰霊の日

今日(6/23)は「沖縄慰霊の日」。

日本人にとっての終戦記念日は8月15日であり、アメリカ人にとっての終戦記念日は9月2日であるが、沖縄では6月23日である。1945年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸して始まった沖縄戦は、同年6月23日に牛島満大将が自決して日本軍の組織的戦闘は終わった。この84日間で民間人を含め約20万人の犠牲者を出した。沖縄県ではこの日を条例で休日と定め「沖縄全戦没者追悼式」が行われる。この日だけは、戦闘機が空を飛ぶことがない。静かな1日。

上の写真は、私のジョギングコースでもある北谷町砂辺海岸。1945年4月1日に米軍が上陸した場所のひとつである。

79年が経ち、戦場の面影のない美しい海岸となったが、いまでも嘉手納基地を発着する戦闘機が爆音を轟かせながらこの頭上を行き来する。普天間基地の移転先もまだあやふや。戦後はまだ終わっていない。



沖縄慰霊の日
([出所]日経電子版(2022/6/23)より)

2年前の6月23日の「春秋」、これは全国民に読んでほしい。

沖縄の多くの民間人を死に追い込んだのは、(米兵のみならず)日本であり、日本兵だった。沖縄に移住してから何冊かの「沖縄本」を読んだが、沖縄戦の生存者の多くが「敵は日本兵だった」「日本軍が死に追い込んだ」というような証言をしている(例えば、この本)。

79年経っても、人と違うことをする人間を徹底的に潰そうとする日本人。

最後の一文、「その罪深さ」は我々に向けられてるのでは。



-----


午後、授業の前乗りで大阪へ。

夜、学生の聖地 西北(西宮北口)で学生と合流。
西北にありながらミシュランガイドに掲載したことがあるイタリアン『ダ ゴイーノ』(Da GOINO)へ。まだ大学3年生なのにワインが好きだというので、1本開けた。


1dagoino


前も書いたが、大学は、パワハラ、セクハラ、アカハラを防止するために、大学教職員が学生達にプライベートの付き合いに強要することは禁止されている。だから、私から学生達を食事に誘うことはしない。

しかし、学生から誘われたら断らないと決めている。沖縄から西宮まで自腹で来て、宿泊費にも充たない薄給をもらって、すぐに沖縄に戻ってどーすんだ。「教育する」と決めたなら、教室以外の場所でもとことん学生と向き合って、対話して、学生の人生を変えるくらいのことをしてやろうじゃないか。教育を通して、常識を変え、人生を変え、「天才」をつくる、という私の(第2の)理念を、全うしていきたい。

今日会った学生は、1ヶ月前の授業の後、教室の外で「出待ち」してくれ、「食事連れてってください!」と言ってくれた。即OKしたが、予定が埋まっており、ようやく今日の開催となった。

私に聞きたいことがたくさんあったようで、色んなことを聞いてくれた。ペンとノートと机に出して、私の話をノートに書き留めてくれていた。数ページにわたって色々と書き込んでくれていたのではないだろうか。素晴らしい。ちなみに、ノートはモレスキンだった。授業内で私が日々使っているモレスキンを学生に見せたことがあるが、彼もマネしてモレスキンを買ったらしい。学生にとっては高額すぎる文具だと思うが、そういう投資はいいと思う。ボロボロになるまで使い込んだモレスキンが財産になるはず。モレスキンに人生を詰め込んでほしい。

22時位に他の客が引いていき、我々のみになったので、店主に「閉店は何時ですか?」と聞いたら、「何時でもいいですよ」というので、遠慮なく話し込んでいたのだが、22時半に「すみません、そろそろ閉めます」と言われ、店を出ることにした。おい、何時でもって言ったやん…。

けど、4時間以上も向き合い、学生から「一生忘れられない時間になった」と言ってもらえた。そう言ってもらえることが最大の報酬だよ。LINEを交換して別れた。授業はあと数回で終わるけど、関学の先輩・後輩としてのお付き合いは続けていきましょう。

今日も、楽しく記憶に残る1日となった。
No Fun, No Life!!