本書は、坂本龍一氏と福岡伸ー氏のNHKでの対談をまとめたものであるが、御二人は共にニューヨークに住んでいたこともあり、20年ものお付き合いがあるらしい。「教授」と「ハカセ」の対話はめちゃくちゃ面白く、特に第1章(PART 1)は何度か読み返した。
かつて、教授はテクノミュージックを、ハカセは遺伝子研究を手放した。一直線に進む時間の中で、音楽も科学も、それ以外のあらゆるものも、いま握っているものを手放し、いまあるものを壊しながら、進んで行かなければならない中で、過去に執着し余計なことを足してしまうことを恐れなければならない。
人間は、あらゆるものを線形的思考でロゴス化(言語化)してきたし、特に資本主義経済下では右肩上がりの直線で無限に成長することを前提に物事を考えてきたが、一直線に進むことなんてできないのだ。坂本龍一氏は、人間のそういったアルゴリズム的思考を「本当にバカバカしい」と批判し、福岡伸一氏も「レンガを積んでいくという愚かさ」が人間にはあると述べている(P74)。
この話を読みながら、以前、『撤退論』という本の中で、映画監督の想田和弘氏が述べていた「文明の時間」(直進する時間)と循環し回帰する「自然の時間」(循環する時間)の話を思い出した。想田氏もNYに住んでいた。しかし、牛窓に移り住み、直進する「文明の時間」から撤退し、循環する「自然の時間」とともに生きることになった。
私も今年、長年住んでいた関西の生活を手放し、沖縄に移り住んだ。これは、想田氏のいうところの「文明の時間」からの逃避である。
坂本龍一氏も言っている。「人間が作り出した発想から、できるだけ遠ざかりたかったという気持ちが、僕の中でどんどん強くなっています」と(P53)。人間が作った電子音はアルゴリズム化されたが、本来の自然音はノイズだらけだ。自然というのは、ノイズだらけで、ギザギザで、循環している。あらゆるものがグレート・リセットした今、「自然」の豊かさを回復していくべきだ。