生きるぼくら (徳間文庫)
原田 マハ
徳間書店
2015-09-04



先日読んだ原田マハさんの『旅屋おかえり』 (集英社文庫)が面白かったので、もう一冊、原田マハさんの本を読みたいと思った。

書店に行くと、昨年、蓼科(長野県)で観た「御射鹿池」(みしゃかいけ)が表紙の『生きるぼくら』を見付けた。

「ジャケ買い」したが、この小説はめちゃくちゃ良かった!
最近読んだ小説では、NO.1。

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中学生の頃から壮絶・執拗ないじめにあい、不登校になり、長年引きこもり生活をしていた「心に傷を負った者」(20代青年)と、認知症になり「記憶を失った者」(青年のおばあさん)の物語。

この青年は、いじめにあう前に父を喪っている。引きこもりの数年間、母が必死に働きながら育ててくれたが、ある時、母が少しのお金を残して家を出ていく。まさに、「砂を噛むような」困難な人生を小さな頃から味わってきた。

引きこもりは、なぜ引きこもるのか。なぜ地べたにへばりついたまま起き上がらないのか。それは、「過酷な社会の中で自分は伸びていけないのかもしれない」と感じる恐怖があるからなのだ(P333)。「あっち側」の人間は、こちらの気持ちなんて分からないし、思いやりの欠片もない。平然と人を傷つけ、追い詰め、ときには再起不能なほど叩きのめす。それでいて、罪悪感など微塵もない。それは、学校だけではなく、家庭にも会社にも大人の世界にもはびこっている。何かに追い詰められた人間は、地を這うような努力はできないのだ。地にへばりついたまま起き上がらないことが最大の自己防衛となる。

しかし、この青年は母に捨てられた。生きていくために、外に出なければならない状況となり、数年ぶりに外に出る決意をする。母が置いていった年賀状だけを頼りに蓼科のおばあさんに会いに行く。そして蓼科で、認知症になったおばあさんと、心に傷を負った青年が、いろんな人のチカラを借りながら、お米の苗が少しずつ生長するように、自分を取り戻していく。

心の傷が完全に消えたり、記憶を完全に取り戻すことはないかもしれない。しかし、彼らは、自分の中で眠っている本当の自分を呼び起こしていくのだ。そう、人間には、お米の苗のように、伸びていこうとする本能が備わっているのだ。そうやって、かつてスマホを手放せなかった引きこもりの青年は、スマホを捨て、笑顔を取り戻していく。

本書は、いじめ、引きこもり、スマホ、家族、人間関係…といった現代の大きな社会問題を取り上げ、『生きるぼくら』の原点を教えてくれる感動の内容。

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最後、記憶を少しずつ取り戻してきたおばあさんが、自分の孫(青年)に、自分を捨てた母と仲直りする方法を助言するシーンがある。

お母さんと仲直りする、とっておきの方法、教えてあげるわ。それはね、とっても簡単なこと。さきにあやまっちゃうのよ。

そしてね、お礼を言うの。ありがとうって。

怒らせて、ごめんね。怒ってくれて、ありがとう。

さあ、思い切って、言ってごらんなさい。

あなたの大好きな、お母さんに。
(P367)


そして、この青年はお母さんに会いに行く。
これまで僕に与えてくれたものを、今度は僕が持って行く。

自分を捨てたお母さんも、我が子を忘れるはずがない。ずっと連絡を待ってたんだよねぇ〜。お母さんも、それまで辛かったと思う。だからこそ、息子と再会し、息子からのギフトに大粒の涙を浮かべる。

「本当の自分」は、自分の中で眠っている。蓋をするのも自分。呼び起こすのも自分。自分ひとりで呼び起こせないなら、身近な人の力を借りたらいい。迷惑をかけてもいい。一歩踏み出し自分を差し出すところから始めたらしいと思う。そして、思い切って言えばいい。「ごめんね」「ありがとう」って。

それが、シンプルに、「生きる」ってことかもしれない。