地元の新聞に掲載されていた書評を読み、購入。

現在104歳の日野原重明先生が72歳頃に出版された本。
それまでの45年余の内科医としての生活の中で、亡くなった患者さんは600人を超えるようですが、『その方々の死を通して、私が人間としての生き方を教えられ、命の尊厳を印象づけられた』という22名の生の終焉の実相が書き綴られています。

最も印象に残っているのは、日野原先生が医師になってはじめて受けもった16歳の少女の話。小学校を出るとすぐに紡績工場で働き、結核性腹膜炎となった。死が迫っていることを悟った少女は、「先生、お母さんに心配をかけつづけて、申し訳なく思っていますので、先生からお母さんに、よろしくお伝えください」と日野原先生に頼みます。しかし、日野原先生は、どう答えていいか分からず、「あなたの病気はまたよくなるのですよ。死んでゆくなんてことはないから元気をだしなさい」と言ってしまうのです。そのとたん、彼女の顔色が急に変わる。日野原先生は少女の耳元で叫ぶ。「しっかりしなさい。死ぬなんてことはない。」と。少女は、2つ3つ大きな呼吸をしてから無呼吸となった。

日野原先生にとっての死との対決の最初の経験となった。

日野原先生は、少女の死のあと、このように思ったといいます。

なぜ私は、「安心して成仏しなさい」といわなかったのか?
なぜ、「お母さんには、あなたの気持ちを充分に伝えてあげますよ」といえなかったのか?
なぜ、脈をみるよりも、彼女の手を握ってあげなかったのか?

日野原先生は、「16歳の少女が、死を受容し、私に美しい言葉で訣別したその事実を、私はあとからくる若い医師に伝えたい」と述べてます。

本書を読んで感じるのは、「死」というものは、生まれてから老いていくというプロセスの最終地点にくるものではなく、ある日突然やってくるということ(それは、先日紹介した吉本隆明さんの本にも書かれていました)。そして、「死の受容」は難しく、人まちまちであるということ。

日野原先生は、鈴木大拙の死をも看取られたようです。死の数時間前まで、病室の枕元に黙して坐っておられたようです。誰にも会わず、一人で過ごし、眼を閉じた。横になり、2時間後息を引き取った。
鈴木大拙のそばに付き添っていた秘書が、「先生がそこに動かずに横たわっていられたことが、生きていられることの続きのように思えて、生きている先生と死なれた先生の間に、さほどの大きな変化の起こったような気がしなかった」と述べられている言葉が心に引っかかります。死に様も人まちまちですが、死に様こそが人生の縮図かもしれません。

ちなみに、鈴木大拙は95歳で亡くなったようですが、90歳を超えてからも親鸞の教典の英訳をされていたようです。同級生だった西田幾多郎とは逆に、東洋思想を西洋に伝えることを生きがいにされていたのは想像に難くないですが、90歳を過ぎてからも全力投球されていた姿にはしびれるものがあります。

だれもが死に向かって生きていく中、自分はどう生きていくのか、本書から大切なことを教えてもらった気がします。


最近、文庫化されたようです。