西洋哲学・西洋思想と、東洋哲学・東洋思想には明らかな違いがあります。では日本人の思想の土台は何なのか、日本人の思想はどうやって形成されたのかというと、明確ではありません。本書は、こういったテーマについて、吉本隆明・梅原猛・中沢新一の3人の思想家・哲学者・宗教家が鼎談したもの。初めは難しい内容だなぁーと思ったのですが、読めば読むほど吸い込まれ、この1ヶ月で10回以上読み返したと思います。

そろそろアウトプットしなければいつまでも読み続けると思い、無理矢理にブログに向かっている次第。

西洋は、自然中心(自然哲学)から人間中心へと移っていったが、東洋は逆に人間中心から自然中心(自然崇拝)へと移っていきました。そのため、西洋では、体系的・抽象的な思想が生まれましたが、日本は呪術的で祈祷師的な「得体の知れない宗教性」が生まれ、その「曖昧な領域」から、茶とか、禅とか、能とか、舞踊とか、和歌とか、そういったユニークで明確な思想が生まれてきました。

そこで、日本の宗教は、村落的な宗教と、中国の浄土門の純粋な正統派の宗教とが融合した「二極構造」となっている。

これはなぜなのかということを考えると、「毛坊主」の存在だ、という話が展開されるのですが、この辺りは目からうろこ。

話は京都学派にまで及びます。西洋は「在る」ことがすべての出発点になっているが、日本における最初の哲学者といわれる西田幾多郎は「無」を基底として思想した(無の哲学)。もちろん、和辻哲郎、田辺元へと話は展開します。

本書は、「日本人」の視点を持ちながら、縄文、古墳時代から、現代に至るまでの時間軸と、世界から日本という断面軸の、2軸で「思想」を俯瞰することができます。これまで読んだ本で、こんな本は初めてです。今から20年前の1995年に対談されたものですが、今読んでも脳地図が書き換えられそうな内容です。


文庫版は絶版されているかもしれませんが、ハードカバー版はまだ売られているようです。






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