北野武さんの本。
書かれていることは共感できることばかりなのですが、
読みながら昔のイヤなことをアレコレと思い出しました。
小学校の頃の「道徳」の時間。
あの時分でも、心の底から「くだらねえー授業だなぁー」って思いながら聞いたフリをしていました。
中学校は、運動場に二宮金次郎像がある学校に通っていたので、「道徳」の授業は二宮金次郎の教えを説くものでした。
「薪を背負うどころか、本を読んだこともない人間が、なにを偉そうなこと言ってんの?」って思いながら、こちらも冷めた顔して聞いたフリをしていました。
まったく教師から評価されないクソガキだったと思います(実際、通知簿はひどかった)。
そもそも、「道徳」を教師が教えるなんてことができるのか??
本書にも、同じようなことが書かれていました。
誰かに親切にして、いい気持ちになるというのは、自分で発見してはじめて意味がある。
それをクスリの効能書きかなんかのように、いいことをしたら気持ちいいぞ、気持ちいいぞ、って書いてあるのが道徳の教科書だ。薄っぺらいにもほどがある。
まるで、インチキ臭い洗脳だ。
洗脳される子どもがいるかもしれないけど、そういう奴はどうせロクな大人にはならない。(P22)
なんで道徳を守らなきゃいけないかってことを、教える側がまずよく考えることだ。
道徳とは何か。
人はなぜ道徳を守らなくてはいけないのか。
そんなこともよく考えずに道徳を教えることこそ、不道徳の極みだろう。(P66)
結局のところ、道徳は自分で身に付けるものなのだ。(P148 )
ホント、おっしゃるとおり。
古くさい道徳を子どもに押し付けたって、世の中は良くなんかならない。そんなことより、自分の頭で考え、自分の心で判断できる子どもを育てる方が大切だろう。
そのためには、まず大人が自分の頭で考えることだ。
道徳を他人まかせにしちゃいけない。
それがいいたくて、この本を書いた。
あとは自分で考えてほしい。(P191、「おわりに」より)
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