だから人は本を読む著者:福原 義春
販売元:東洋経済新報社
発売日:2009-09-11
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●人生が変わるきっかけとなるかもしれない、深い深い本
今年読んだ100冊以上の書籍の中で、トップレベルでお薦めしたい本。
経済界随一の読書家といわれる資生堂名誉会長の福原義春氏が「本を読む」ということについて語った一冊。
余りにも濃厚で高尚な内容であったため、私のような文才の無い者が安易に書評なんぞ書いても、本書の良さは伝わらない・・・と思い、読後1カ月以上経ってもブログで評する気にならなかったのだが、何度も読み返すうちに、やはりこの本は紹介しておきたいと思い、書くことにした。
先ずは私自身の話で恐縮であるが、過去にも書いたように、私は教育者不信であり、上司もいない。だから、社会人になってから現在に至るまで年間数百冊の本を読んでいる。今の私が持っている知識、技術、思想、哲学、宗教観といったものは、その多くが本から吸収したものであるといえる。そう考えると、著者の福原義春氏もおっしゃるように、「私という人間は今まで読んだ本を編集してでき上がっているのかもしれない」し、「逆にいえば本によって編集されたのが私」(P41)なのかもしれない。
「本を読むということは何かと突き詰めて考えていくと、数多くの先人たちの体験や考えかたなどを、私たちが比較的容易にいくらでも吸収することが可能であるということである。ソクラテスが何十年もかけてようやく到達した思想が、本を読むだけでわかるのだから、読まないのは何とももったいないことか。」(P46)
「われわれの祖先の人々が経験し、考えてきたことが本になって膨大な『知』が残っているのだから、それを読んでいくことによって、私たち一人の人生というのは厚くなり、深くなるのではないだろうか。」(P47)
ただし、気を付けるべきは、本を読むということは、単に知識や情報を集積することや、物知り、博識家になることではないということ。「教養」を身につけるということである。
「教養」とは何かという点について、著者は非常にうまく説明している。つまり、「人間という入れ物の中で知性(インテリジェンス)に変換された人間性の一部」(P53)であり、「物の本質をどこまでも、いつまでも追い求める姿勢」(P54)であると。
かつて、私は、尊敬できる経営者とそうでない名ばかり経営者の違いはどこにあるのだろうかと考えた時期があったが、尊敬できる経営者は、決まって大の読書家であり、かつ、何らかの宗教観を持っているという結論になった。彼らは、読書を通して、教養を高め、聖書、古典、哲学、思想といった教養の柱、精神的な支柱というものを持ち、それを通して人間の本質や経営の本質といったものを追及し続けているのである。学校での知識詰め込み型の教育では、こういった本質的なことを学ぶことはできないはずである。
結局のところ、教養を高めると「『自分とは何なのか』というところに最後には辿り着く」(P69)というのは同感であり、人生というものは自分探しの旅であり、そのために、多くの本を読み、多くの人と出会い、多くの経験を重ね、次なるステージに上がるということを繰り返さなければならない。
「だた『自分探し』をすること自体が人間の最終のゴールではない。その過程を通じての自分という存在に深み、厚みが加わってくるはずなのだ。そして『自分探し』を通じて自分という人間が完成に少しでも向かうのだ。」(P72)
これが、人生の充実であり、豊かさではないだろうか。
「何につけても本を読もう。」(P198)
以上。
■目次
第1章 私の読書体験
第2章 読書と教養
第3章 仕事は読書によって磨かれる
第4章 私が影響を受けてきた本
第5章 読書と日本人
第6章 出版・活字文化の大いなる課題





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