秋学期 第12講。
授業は全14講で、最終講は授業内試験(期末試験)を実施するため、授業はあと2コマ。
もうすぐ今の学生達とお別れかと思うと寂しいねぇ。
時計台の後ろにそびえる甲山はまだ赤いが、キャンパス内の紅葉は散ってしまった。
4年生(男性)から、こんなコメントシートを頂いた。
以前の授業で「『自立』とは人に頼らないことではなく、複数の人に頼れる人。『依存』とは、特定の人に頼ること」という話しをして頂きました。僕は人に頼るのが苦手です。いつも「自分でやらなきゃ」「自分でやってしまった方が早い」と考えてしまいます。なので、先生はどういう時に人に頼るのかをお聞きしたいです。僕の考えは、できる所まで自分でやった上で、どうしてもできない時に人に頼るのがいいのかな、と思っています。
とてもいい質問だと思ったので、今回の授業もこの質問へのフィードバックから始めた。
私もずっと同じように思っていた・・・
と、過去形で書いてしまったが、仕事に関しては、今も人に頼らずにやっている。「自分でやってしまった方が早い」、さらに、「自分でやった方が良い成果が出せる」ため、社員を雇うこともなく、生涯ピン芸人を宣言している。
但し、この考え方が正しいとは思わない。
『自分でやった方が早い病』という本があるが、これは一種の病気なのだ。人に頼ることができない病。
自分一人で仕事してもキャパシティの限界がすぐに来るが、
チームで仕事をすれば無限にやれることが広がる可能性がある。
自分一人で何かを成し遂げようとしても限界がすぐに来るが
人に助けてもらいながらやれば容易く限界を超えることができる可能性がある。
自分一人で幸せにはなれないが、
人に頼り、人に頼られることにより、幸福度は何百倍にも増す可能性がある。
ということは、言われなくても分かると思う。
つまり、人に頼れないと、自分の限界の先に辿り着けない。そして、自分の強みも活かせなくなる。
「完璧な人間なんていない」し、「自分は完璧な人間ではない」ということは自覚した上で、人にうまく頼った方がいい。「自分でやってしまった方が早い」という気持ちはめっちゃ分かるけど、自分一人でできることなんてしれてるからね。他人にうまく甘えられる人になった方が絶対いいと思う。「人に頼れるプロ」になった方がいい(でも、丸投げは絶対ダメ)。
4年生(女性)より。
ネットの発達により何が本当なのか、何を信じるべきなのか、判断が難しくなっていると感じます。「正しい」と主観的に認識(解釈)していることもありますので、常に正しいものを選ぶことは不可能です。
情報過多な現代に生きる私達が、それらの情報に踊らされすぎないようにするためには、様々な情報に触れ、、「自分は間違えているかもしれない」と意識し続けるしかないのではないでしょうか。
めちゃいいコメント。
人間として成長するための要件のひとつは、「自分は間違えているかもしれない」と意識し続けることだと思う。
(上述の通り)「完璧な人間なんていない」し、「自分は完璧な人間ではない」とだから、そういう前提に立った上で、あらゆる情報を真に受けず、批判の対象をも学びの機会にすべきであろう。
すべての人間がそうなれば、冤罪事件なんて世の中から消えるはずなのに。
4年生(女性)より。
先日の授業で、「ルーティンの先にしか結果はない」というお話しがありましたが、私は、毎日の日記でそれを痛感しています。最初の1〜2ヶ月は少し面倒だと思うことがありましたが、3ヶ月目からは自分の思考が整理できはじめ、1年以上続けている今では生活の一部になり、自分の思考を深めてくれている大きな要因になっています。
部活も習い事もアルバイトも、続けたものは一生自分の財産になっている気がします。
素晴らしいコメント!
何事も続けなければ自分の財産にはならない。コツコツと継続することが成功や成長への近道。日記をつける、ノートに向かい合う、という習慣は死ぬまで続けてほしい。
別の4年生(女性)より。
先生の授業を受け始めた当初は、人の話を全てストレートに、そのまま何も考えずに受け取っていました。昔から、人の話や意見、どこから湧いてきたのか分からない情報をうのみにして、自分で考えることを放棄していたように思います。
今では、自分の考えもふまえながら、自分の中に落とし込むことができるようになりました。何でも自分で考えて、自分の意見をしっかり持った上で、他人と向き合うことで、振り回されず、自分軸で生きていこうと思いました。
昨日から泊まっている定宿のホテルは、毎朝、朝刊を届けてくれる。古臭いサービスだなぁ〜と思ってるが、「天声人語」と「折々のことば」が読みたいので、朝日新聞を指定している。
今朝の「天声人語」に、ソロー『森の生活』が取り上げられていた。ソローが20代の末にボストン郊外のウォールデンの湖畔に小屋を建て、2年余りを自然の中で自給自足の生活をしてから170年経ったが、本書の結びで書かれてる警告が、現代のSNS世代に広がってないかという内容だった。
すなわち、複雑な考え方や多様な解釈を軽視し「脳の腐敗」が起こっているのではないかと。
確実に起こっている。
私がこの授業を通して、学生達に再三言い続けていることは、「自分の頭で考えろ」、「考えることを放棄するな」ということだ。「本を読め」、「ノートに向かい合え」とも言っているのも同じ理由であるが、それをしなければ「脳が腐敗」するのだ。情報をインプットするよりも、考えろ。それこそが真の学びだと思う。
コメントをくれた学生が、私の授業を通して、思考が変わり、行動が変わり、生き方が変わったことは、とても嬉しいことだ。こういうコメントを頂くと、毎週上ケ原まで通ってて良かったと思う。
本題の会計の授業では、『経理の本分』の中の決算・開示について。本書の中の最もコアな内容であるため、実務経験のない学生には難しい内容だと思うが、少しでも実務に興味を持ってくれたらそれで良い。
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授業後、京都の顧問先へ。
同社への訪問は今年最後になるので、忘年会をやりましょうとご提案を頂いた。社長御婦人も来られるとのことで、私のパートナーも沖縄から来てもらい、4人で食事に行った。
京都七条の『Enoteca Via Salaria』 (エノテカ ヴィア サラーリア)へ。
京都で好きなレストランのひとつ。
夫婦2人で営む、1日3組限定の小さなワインレストランを、今日は貸し切りにして頂いた。日本とイタリア双方のソムリエ資格を持つ御主人と、国内外の一流店で腕を磨いたシェフの御婦人、という組み合わせも珍しいが、履き物を脱いで入店するイタリア料理店も珍しい。
お料理はコースのみ。飲み物はワインのペアリングのみ。
食材からメニューを考えるのではなく、提供したいワインからコース料理を考えているという。「ワインが主体、お料理が寄り添い、ワインを引き立てる」という考えがとても素敵。ワイン好きにはたまらない。
料理ももちろん美味しい。
今日は巨大な伊勢海老を使った料理の他、驚くような料理の数々を胃袋崩壊寸前まで頂いた。
いつも素敵なお店を取ってくれる社長に感謝。
年の瀬、という感じが全くしないが、今年もあと少し。
顧問先の社長御夫妻に限らず、今年も多くの方々にお世話になった。新たな出会いも多かった。人の縁が9割。縁尋機妙。縁あって出会えた皆様には心から感謝したい。
またどこかで1年を振り返ってエントリーしようと思うが、ブログの更新が追いつかない程に日々が充実している。時差投稿が続くが御了承ください。ボチボチやります。