公認会計士武田雄治のブログ

公認会計士武田雄治のもう1つのブログです。

旅の話

ぷらっと石垣島 Day7 〜クリスタルビーチとマーペーとフラペチーノ

石垣島_クリスタルビーチ

朝6時、旅人Tさんから「起きてる?」とLINEが来る。
寝てたが、起きた。

私とTさんが山原(ヤマバレ)という集落にある宿に泊まったのは、宿の素晴らしさもあるが、宿の近くにある秘境「クリスタルビーチ」(山原海岸)を潜るためだ。

干潮の時間に飛び込むと、すぐに水深数十メートルの場所に出る。そこから飛び込んだら透明度数十メートルのグランブルーの世界が広がり、数百、数千の魚に囲まれる。石垣島に来たら、どうしてもここを潜りたかった。

午前7時に「クリスタルビーチ」へ。当然に無人。ちょうど干潮の時間で、水が沖まで引いていた。ビーチに着くや飛び込んだ。今年は台風が少ないが、台風が来ないと水がどんどん濁っていき、サンゴが死滅してしまうらしい。なので、今日はいつもより水が濁っていたが、それでも水深数十メートルの場所まで見えるくらいにキレイな光景を楽しめた。


石垣島_クリスタルビーチ


ひと泳ぎして、宿をチェックアウトした。
今回もオーナーさんが、宿の外まで見送りをしてくれた。また来ることを約束して、お別れした。レンタカーの姿が視えなくなるまで両手を振り続けてくれた。一つ一つのサービスが気持ちいい。

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昨日発生した台風6号が八重山諸島を直撃しそう。明日から石垣島空港は閉鎖されるという。沖縄本島も3日ほど荒れるだろうと。

Tさんは、今日から3日ほど那覇に移動して、台風を通り過ぎるのを待ち、また旅を続けようとしていたが、私は「いったん関空へ帰れ」と提案した。勢力を保ったままの台風を那覇で待ち受けるのは危険だし、那覇で3日も何すんだ・・・!?

結局、私もTさんも、今日16時の便で関空へ戻ることになった。

さて、16時まで何をしようか・・・。

Tさんが「マーペーに行こうか!?」と誘ってくれた。野底岳(通称:マーペー)という標高282mの山の上から石垣島の全貌が見ることができる。前回石垣島に来た時は、登山道がぬかるんでいて登頂を諦めたのだが、今回は登ることができた。


石垣島_野底岳(マーペー)

35℃くらいある中での山登りは相当キツかったが、山頂に着いたら、風が吹いていて気持ちよかった。何より、絶景が気持ちいい。


石垣島_野底岳(マーペー)

山の緑、海の青、空の雲、ただただ気持ちいい。




石垣島_野底岳(マーペー)

Tさんに撮られた。


石垣島_野底岳(マーペー)

Tさんを撮り返す。

恋人か・・・^^;


石垣島_野底岳(マーペー)

登山と暑さで疲労困憊のTさん。

7日間ありがとう。


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レンタカーを返却して、新石垣空港へ。
与那国島にはなかったスタバが新石垣空港にはある。

「沖縄 かりー ちんすこうフラペチーノ」なるものを頼んでみた。「かりー」とは乾杯という意味らしい。ちんすこうとフラペチーノは意外とマッチした。美味しかった。


沖縄_フラペチーノ


この7日間は、一人旅では絶対に味わえない経験ができた。
一人旅もいいが、気の置けない友との旅もいいもんだ。

早速、Tさんと次はどこへ行こうかという話題になる。
その時間もまた楽しい。

楽しむことに躊躇せず、弾を打ち続けよう。
No Fun,No Life!!
See you on your next trip!!

ぷらっと石垣島 Day6 〜シュノーケルとかSUPとか

石垣島


トランジットの関係もあり、与那国島を出た我々は再び石垣島で宿泊することにした。

今年4月に泊まった「island village」という宿に今回も泊まることにした。旅人Tさんもこの宿に泊まったことがある。前回チェックアウトする時に、宿のオーナーさんから「次は、Tさんと一緒に来てくださいよ!」と言われ、私は「次はTさんと必ず来ますよ!」と約束をした。その3ヶ月後に約束を果たしたので、オーナーさんも喜んでくれた。宿の予約をした直後に御礼と喜びのメールをくれたほど。


石垣島


宿は山原(ヤマバレ)という集落にある。目の前がビーチで、ここの海がめちゃくちゃ良い。潜るとすぐにテーブルサンゴがどこまでも広がっている。石垣島の秘境だと思う。

今日も、朝起きてすぐに潜った。


石垣島_island village

SUPもやった。
久しぶりすぎて、バランスを取るのが難しかった…。



石垣島_川平湾

ニャンさんは石垣島に3歳くらいの時に訪れたことがあるらしいが、記憶に残っていないというので、石垣島の観光名所「川平湾」(かびらわん)を観光した。いつ見てもキレイ。



石垣島_川平湾

人魚の像。



石垣島

川平湾の近くにあるタバガービーチ。




石垣島_猪俣ストア

宿の近く、吉原地区に一つだけある商店「猪俣ストア」。
地元の農家さんが栽培した島野菜がどれでも100円で売られている。 今日は14時から採れたてのマンゴーが売られると聞いて、14時ジャストに訪問した。1袋(2個か3個入り)1000円。店が1割位のマージンを取ってるらしいが、この売値でも十分に農家さんは利益が出る。都会のスーパーで1個3000円とか5000円とかでマンゴーが売られていることがあるが、それは傷がなく、色がキレイなものを厳選しているから。多少の傷があっても、色が不揃いでも、味は変わらない。傷モノは、タダ同然の値段でカキ氷や洋菓子の原料として出荷されているが、それでも十分に美味しい。地元の商店や道の駅で果実は安く買えるが、地元の農家に行けばさらに安く買える。傷モノならタダでもらえるかもしれない。私は都会のスーパーで果実を買うことはほとんどないが、沖縄に来ると買ってしまう。



石垣島_island village

石垣島も緊急事態宣言中で、外で飲めるお店がない。宿泊している山原(ヤマバレ)地区周辺でも飲食店がすべて休業中。なので、観光の後、スーパーやワインショップで夕食を仕入れ、宿で「ゆんたく」した。

今日も17時頃から24時頃まで、よく飲み、よく笑った。

今日も楽しい1日だった。
人生楽しんでなんぼ。
明日も朝から潜ろう。


石垣島_island village

ぷらっと与那国島 Day5 〜馬と共棲する島

与那国島_フィエスタ

あっという間に与那国島の最終日。

朝9時にチェックアウトした。起きたばかりというゲストもいたが、手を振って見送ってくれたゲストもいた。




チェックアウトした我々は、なぜか腹がペコペコだった。
「どこかで何か食べよう」となったが、ここにはマクドもスタバもない。喫茶店のようなものも見たことがない。google mapで島中の飲食店を調べたが、大半のお店が11:30開店か、臨時休業だった(臨時休業のお店までタイムリーに教えてくれるgoogle先生はすごいと思う)。ちなみに、朝からテイクアウトできる店もないし、コンビニも1軒もない。難民になった。

11:00に開店するお店が比川という小さな集落にあったので、比川までレンタカーで向かったら、11:00前から「営業中」のノボリを掲げている店を見付けた。八重山そばのお店だった。八重山そばが食べたいと思っていたのでラッキー。


与那国島_楓食堂


店内は70代の女性がひとりで切り盛りをしていた。聞けば、5年前に与那国島に作られた陸上自衛隊駐屯地で働く人たちの朝食を提供するために、朝7時から店を開けることがあるという。

陸上自衛隊が与那国島に進出する際は、賛成派と反対派で大きく分かれたらしい。両者の気持ちはよく分かる。本土(内地)からの移住者が大量に人が流れてきたら与那国島の文化や伝統が守れなくなるかもしれない。とは言え、戦後(1950年前後)6,000人以上いた人口が1,689人まで減少している(2021月6月末時点)。この島には高校がないため、小中学校を卒業すると、多くの人は島を出る。島を出た人の多くは戻ってこない。人口減少に歯止めがかからない上に、隣国の軍事的脅威もある。駐屯地ができることのメリットも大きい。

6年前の住民投票の結果、賛成派多数となり、陸上自衛隊駐屯地が設立された。その結果、与那国町は、個人住民税収の増加率(2019年と2009年の比較)で日本トップの自治体となった(増加率152%)。人口も9%増加した(日経新聞(2021/7/3)より)。自衛隊員は(駐屯地にモノがそろっているため)町にそれほどお金を落とさないらしいが、税収も人口も大きく増加したことのメリットは大きい(はず)。

だが、良い話ばかりではない。

「お母さんは賛成だったんですか?」と聞くと、「私は賛成に投じた」という。米軍基地ができる訳じゃない。自衛隊なのだ。実際に台風の時など島の復旧に尽力してくれて助かっているという。しかし、小さな集落が3つあるだけの町である。誰が賛成し、誰が反対したか、全員が知ることになる。そして、反対派の人は、お母さんのお店に来なくなった。いまだに「分断」が起きているという。悲しいかな、小さな島に大きな問題が横たわることになった。

お母さんも、小中学校を卒業した後、島を出た。医療関係の仕事を東京・九州・沖縄本島でやってきた。65歳で定年退職してこの島に戻ってきた。何か商売しなきゃと思って食堂を始めた。この島の住民は、お母さんのように内地から戻ってきた人や、移住者が多い。ずっと島にいるのは漁師や役所勤めをしている人など少数なのかもしれない。お母さんは言う。「島を出たことがない人が役所勤めをしてるんだから町が変わる訳がないよね…」。かといって、移住者を増やせばいいという問題でもない。それは「分断」の問題だけではない。与那国には、日本とも沖縄とも違う文化、伝統、慣習があるのだ。言い出したらキリがないが、大病院も火葬場もなく、土葬の文化が残る島で、どうやって骨を埋めるというのか。「Dr.コトー診療所」なんて実在せず、病気や怪我をすればヘリをチャーターしなければならない時もある。「与那国に住むのはカネがかかるのよ」「移住なんてするもんじゃいわ」とお母さん。それだけではない。この町にはプライバシーはない。おいそれと移住者が永住することができるとは思えない。

「イノベーション」なんて横文字が最も似合わない場所だと思うが、このままでは衰退しかないことは誰もが分かっているはず。これが日本の果てで起きている問題ではなく、日本全体の問題だということも。与那国島にいると日本の大きな問題が対岸の火事でないことが分かる。

八重山そばだけで随分と長居をしてしまったが、最後にすごく良い話を聞かせてもらえた。


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ランチを終えた我々は、飛行機の時間まで島内を観光した。

道路の上を与那国馬が歩く。歩行 ”馬” 優先。

日本にこんな場所があろうとは。

与那国島


与那国島


与那国島


与那国島_ニャンさん

Tさん、ニャンさんと。
ここでYouTubeの収録をしたが、Tさんには逃げられた。。。


与那国島


与那国島


与那国島


与那国島への移住者になることはないが、旅人としてはまた来たい。これまで色んな所へ旅をしたが、そのどれとも異なる場所だった。短い時間だったが、貴重な経験ができた。

我々は、午後の便で再び石垣島へ戻った。


ぷらっと与那国島 Day4 〜カジキマグロ漁へ

カジキマグロ漁_勝丸

朝7時、与那国島の西の端にある久部良港へ。

我が人生において、カジキマグロ漁を経験する日が来ようとは思いもよらなかった。そもそも素人がカジキマグロ漁船に乗ることが出来るということも知らなかったし、仮に知っていたとしても旅人Tさんから誘われなければ申し込むこともなかっただろう。

Tさんが「勝丸」という船をチャーターしてくれていた。


カジキマグロ漁_勝丸

我々が到着するや、漁師さんは船を西(台湾の方向)に走らせる。
上の写真は、海からみた与那国島。
地図で見るとポツンと小さな島にしか見えないが、海から見ると大きな島だ。

与那国島から西に1時間程走ると、今度は台湾が大きく見えてくる。これはちょっと感動した。先日も書いたが、沢木耕太郎『視えない共和国』によると、明治時代までは与那国島と台湾の間の交流は盛んだったのだ。しかし、「国境」が引かれることにより、与那国島は「日本の果ての島」という位置づけになってしまう。1本の線が、豊かだった島を「果ての島」にしてしまったのだ。

話は反れるが、与那国島に「国境」という名の飲み屋がある。「こっきょう」と読んでいたのだが、正しくは「はて」と読むらしい。「はて」というと、なんとなく自虐的だなぁと思ったのだが、こちらの人はどのようなニュアンスでこのコトバを使っているのだろうか。


カジキマグロ漁_勝丸

朝8時、与那国島から西(台湾側)へ数十キロ、水深1000mもあるという沖合まで出て、カジキマグロの餌となる魚を釣る。あっという間に数匹の魚が捕れた。これを漁師さんが竿の先に結びつけてくれる(上の写真)。

いよいよカジキマグロ漁開始。

漁船は、沖合を時速何十kmかの速度で大きく旋回しながら走り続ける。30分、1時間と待つが、獲物が引っ掛かる気配はない。そう簡単にカジキが釣れるとは思っていないので、船上で風を浴びながら竿から伸びる糸を見続ける。

しばらくするとお腹が空いてきた。時計を見ると11時だった。3時間経過。普段は1日1食だが、船上では空腹過ぎるのも気分が悪くなりそうなので、おにぎりを1つ食べる。

午後になると猛烈な日差しが照り付ける。漁船最後尾に取り付けられている「ファイティングシート」に座る人は、いつカジキが引っ掛かるかを見ておかなければならないが、強い日差しが体力を奪っていく。そこで、我々4人は、誰が言い出した訳でもなく、15分毎に「ファイティングシート」に座る担当を交代することにした。すると45分は日陰で休んでられるし、昼寝もできる。

そうやって、仮眠を取りながら、12時、13時・・・と竿先にアタリが来るのを待つ。

船のチャーターは8時間(15時まで)なので、14時を過ぎた辺りで諦めモードになってきた。死闘7時間。100kg超えのカジキマグロを釣って、インスタ映えするような写真を撮りたかったが、叶わなかった…。




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船は港に向けて舵を取りはじめ、与那国島に近づいたその時、なんと、竿先にアタリが!!

そんなドラマみたいな話があるか!?

漁師さんが「糸を巻け!」と叫ぶ。その時の模様が下の写真。まだ余裕がある。


カジキマグロ漁1



大阪出身の漁師さんが「死闘は30分続くで」という。「そんなに続くんですか?」「カジキが暴れだすと手に負えへんからなぁ」

漁師さんの言う通りだった。数十mで大きなカジキが暴れているのが見える。遂に100kg超えのカジキマグロを捕らえたか!? 今日も運を引き寄せた!

Tさんが「ファイティングシート」に座り、糸を巻こうとするが、糸を巻く以前に、竿を支えるだけで精一杯。すごい勢いで竿を持っていかれる。次第にTさんも余裕がなくなり、力の限界に達し、叫び続ける。カジキが波にのった一瞬のすきに糸を巻き、また叫び、を繰り返す死闘を20分ほど続け、ようやくカジキが目の前に表れてきた。


カジキマグロ漁_勝丸




遂に捕まえた。でかい!

カジキマグロ漁_勝丸



引き揚げるのは漁師さんがやってくれた。めちゃくちゃ重そう。

カジキマグロ漁_勝丸



漁師さんが「食べられたー!」と叫ぶ。

なんと・・・胴体がサメに食べられていた。

カジキマグロ漁_勝丸


ガーーーン。

「こんな経験は初めてや…」と漁師さん。

頭だけでも推定20kg。もし胴体があれば、推定70〜80kgの大物だった。残念無念。


カジキマグロ漁_勝丸



残念ではあったが、我々は落ち込むこともなかった。
8時間、めちゃくちゃ楽しい経験ができた。
普段できないような経験をすることができて、大満足だった。
Tさん、ありがと。

港に戻るまでの数十分は、戦いを終えたアスリートのような快感だった。

カジキマグロ漁_勝丸


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久部良港に戻ると、漁師さんが釣った魚をさばいてくれた。

カジキマグロ漁_勝丸



最初に釣ったキハダマグロ。

カジキマグロ漁_勝丸



3匹さばいてくれた。
「これだけあれば夕食に充分やろ?」と。
充分です。


カジキマグロ漁_勝丸



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腹ペコの我々は、宿に戻り、早速キハダマグロに包丁を入れる。

マグロを切る経験すらない我々に、宿のオーナーさんが見るに見かねて包丁を握ってくれた。しかもマグロの硬い箇所を小さく刻み、マグロ漬けまで作ってくれた。

旅で出会う人は、みんな優しいなぁ。

カジキマグロ漁_勝丸



早めの時間から、宿のルーフテラスで捕れたばかりのマグロを食した。
自分達で釣ったマグロ。
ホントに美味しかった。

与那国島fiesta


昨日の海底遺跡、今日のカジキマグロ漁の経験は、一生の思い出になるだろう。

一人旅もいいが、気の置けない友との旅もいい。

腹をかかえて笑ったのはいつ以来だろうか。

私は、幸せとは「笑い転げること」と定義している。

今日も幸せだった。

人生楽しんでなんぼ。
No Fun,No Life!!


マジメに働いて、コツコツとカネを貯めるのもいいかもしれないが、貯めたカネは経験に使うべき。その経験が人生の彩りとなる。旅は人生を変える。与那国島の最後の夜は、そんな当たり前のことを思い出させてくれた。

ぷらっと与那国島 Day3 〜海底遺跡へ

与那国島

与那国島の朝。
泊まっている宿のルーフテラスより。

先月20日、TV「世界の果てまでイッテQ」という番組で与那国島の特集をやっていた。与那国町の観光大使であるみやぞんさんがカジキ釣りに挑戦したり、与那国島の沖合の海底にある「海底遺跡」を紹介したりというものだった。番組が終わった直後に、旅人Tさんから「カジキ釣りと海底遺跡に興味ない?」とLINEが来た。Tさんの家にはTVがないはずだが、旅先のホテルでたまたまTVを観ていたのだろうか。「めっちゃ興味ある」と秒速で返事したら、瞬速でツアーを申し込んでくれた。

という訳で、今回のぷらっと旅は、カジキ釣りと海底遺跡ツアーのみ予定が入っている(それ以外は何も予定はない)。


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で、今日は朝から「海底遺跡」のツアーへ。

「海底遺跡」は、沖合約100m付近の海底、水深は20m〜25m程度の場所にある。1986年に地元のダイバーが発見したという。この沖合は、夏場は流れがきつく初心者がダイビングをするには危険なエリアであるため、ツアーに申し込みをしても「海底遺跡」を見ることができない人の方が多いらしい(なので冬場に申し込んだ方がいい)。今回も「見れる可能性は半分以下」と言われていた。が、運良く海底の流れは穏やかで、潜ることができた。


与那国島_海底遺跡


いきなり巨大な二枚岩がお目見えする。なぜ同じ大きさの長方形の岩がタテに並んでいるのか。

そもそも、この「海底遺跡」が人工的に作られたものなのか、自然に出来上がっただけのものなのかは説が分かれいる。その道の学者が現在も研究しているらしいが、結論は分かれたまま。

今回自分の目で、これが人工的な「遺跡」なのか、自然に出来上がったものなのかを確かめたかったのだが、この二枚岩を見ただけでも自然に出来上がったものとは思えない。



与那国島_海底遺跡


「メインテラス」と呼ばれる大きな岩場があったり、階段状に岩が積み上がった場所があったり、こんなものが自然に出来上がるものだろうか。


与那国島_海底遺跡


かといって、人工的な「遺跡」だとしても、誰が、いつ、何のために、こんなものを作ったのかは謎。

「ムー大陸説」を思い出す。

「遺跡」かどうかは分からないままだが、自分の目で見れて良かった。


与那国島_海底遺跡


約5時間のツアーが終わり、記念撮影。
旅人Tさんのお陰で、楽しい1日だった。


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与那国島で1日過ごしただけで、フツーの場所でないことが分かる。
空の色、時間の流れが全く違うことだけでなく、街の景色がまるで違う。コンビニもなければ、大手スーパーも、都市銀行も、スタバもマクドもない。タリーズもミスドもない。コメダももちろんない。

沖縄本島から500km以上も離れた場所であるが、ここも「沖縄県」になるので、緊急事態宣言中は酒類提供を自粛する店ばかりか、終日臨時休業をしている店が多い。そもそも飲食店が少ない島内で、多くの店が臨時休業となると、観光客のみならず、地元民も困る。食事難民になりかねない。そこで与那国町は、OPENしている店や、テイクアウト可能な店のリストを用意してくれている。このリストは重宝した。

今回宿泊した祖納(そない)という集落の中で、最も有名な商店が、この青いビルの崎原商店。大きさはコンビニ程度であるが、酒から、生鮮食品から、弁当から、日用品まで、最低限のものは置いてある。いつ行っても地元民と観光客で賑わっていた。他の田舎のコンビニの日商をはるかに上回る売上ではないだろうか。

結局、この崎原商店は、滞在中、毎日通うことになる。


与那国島_崎原商店


夜、外で飲める店が島内に1店舗もなさそうなので、崎原商店でビールを大量に買い、テイクアウト可能なお店で酒のツマミを仕入れ、宿で食べることにした。


与那国島_フィエスタ


今回泊まっている宿は「Fiesta」というゲストハウス。オーナーは北海道の方。大卒後、旅行代理店に勤務して、世界中を飛び回っていたらしいが、何を思ったのか日本最西端の与那国島に越してきて、小さな息子さんと2人で暮らしている。

「Fiesta」には、我々以外にも数名のゲストが宿泊していた。


与那国島_フィエスタ


宿には、大きなキッチンとダイニングテーブルがあり、「ゆんたく」できるようになっている。置いている酒は、1杯100円で飲んでいいというシステムになっており、キッチンには貯金箱が置かれていた。アルコール度数78度の「花酒」まで置かれていた(ゲストが置いていったものかもしれないが)。


与那国島_フィエスタ


本棚を見ると、旅に関する本や、世界の歴史・文化等を紹介した本が多い。過去のゲストが置いていった本なんだろうか。オーナーの趣味なんだろうか。



クエ


我々は17時位から飲みはじめたのだが、19時頃から他のゲストも集まりはじめ、それぞれが酒と食事を持ち寄り、ワイワイガヤガヤが始まる。

我々より前から宿泊している人達が「大将」と呼んでいるゲストがいた。みな短期滞在者なのに、数日の滞在で「あだ名」で呼び合うほどにゲスト同士仲が良い。「大将」は大阪の立ち飲み屋でホントに「大将」をしている人だった。しかも、私が以前食事をしたお店の隣の店の大将だった。世界は狭いもんだ。営業の時短要請が完全に解除されるまで店を休業にして転々と旅行することにしたらしい。次の行き先は決めてないという。旅人Tさんと同じことを言う。自由な旅人は行き先を決めずに旅をする。

その「大将」が、他のゲストのために、クエを捌き、焼いてくれた。これはめちゃくちゃ美味しかった。さすがの料理人。さらに、さばいたクエの頭で出汁を取って、味噌汁まで作ってくれた。神ゲスト。

わたしはゲストハウスに泊まるのは人生で初めてだったのだが、こうやって旅人同士がワイガヤするのも面白いもんだ。人生楽しんでなんぼ。


オリオンビール


タイに行けばシンハービール。沖縄に来たらオリオンビール。
2019年にファンドに買収され、もう沖縄資本じゃなくなったけどね。

星が3つのロゴマークは、オリオン座からきている。



「ゆんたく」は夜中まで続いたようだが、我々は明日、7時からカジキマグロ漁なので、いつもより早めに床についた。全力で遊んだので、秒で眠りについた。


(※ 海底遺跡の3枚の写真はネットから拝借した)

ぷらっと与那国島 Day2

与那国島

朝、石垣島空港に戻る。
日本最西端の与那国島へ向かう私の後ろ姿。


与那国島

久しぶりのプロペラ機


与那国島

行ってきます。


与那国島

30分で与那国空港に到着。


与那国島

滑走路1本の小さな空港。回転台もめちゃ小さい。


与那国島

与那国島には3つの集落があり、その中で1番大きな「祖納」(そない)という場所のゲストハウスにチェックインして、ぷらっと集落を散歩する。歩いて1分で汗が吹き出る。猛烈な暑さだった。

ちなみに、前方に見える赤い建物は、ドラマ「Dr.コトー診療所」のお食事処として使われた建物。実際はお食事処でも店舗でもなく、ただの赤い建物。



与那国島_ナンタ浜

少し歩くと「ナンタ浜」というビーチに出る。とてもキレイ。しばらく見惚れた。

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与那国島は以前から行きたい島の一つだった。ホントは5月上旬頃に一人で来る予定だったが、GWと重なり、宿が空いてなかったので断念した。今回、旅人Tさんが、与那国島に行くというので乗っかった。それをニャンに言ったら、ニャンさんも乗っかった。

ニャンさんが、「与那国島といえば、沢木耕太郎の『視えない共和国』やなぁ〜」という。「何のこと?」、「え、タケちゃん、知らんのかいな!」、「タイ人がなんで沢木耕太郎を知ってんねん!」、「タイ人も読んどるわい!」・・・ということで、石垣島・与那国島に来る飛行機の中で『視えない共和国』が収録されている『人の砂漠』という本を読んでいた。

沢木耕太郎といえば、私の人生観を変えた『深夜特急』の著者であるが、『視えない共和国』は、沢木耕太郎が『深夜特急』を書く前、それこそ、海外旅行に行ったこともない時期に書いたノンフィクション。おそらく取材・執筆したのは20代の頃と思われる。20代の頃からこれほどの取材を重ねて文章を書いていたことに驚かされた。

その『視えない共和国』に「ナンタ浜」が出てくる。この本が出たのは約40年前。当時は、与那国島は人も多く、景気も良かった。夜になると誰からともなく「浜へ行こう」となり、月夜のナンタ浜に出て、若い男女が集まったらしい。闇夜となれば、また若い男女が集まる。何がなされていたかはハッキリと書かれていないが、おおよそ想像できる…。そういう場所だったらしい。いまはその面影もないが。


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日本最西端

日本最西端の島の最西端まで行った。


日本最西端

遠くに台湾が見える。

与那国島は沖縄本島から500km以上離れているが、台湾まで約100km。沢木耕太郎『視えない共和国』によると、明治時代までは与那国島と台湾の間の交流は盛んだったらしい(P175)。台湾の貨幣まで流通していたという。そこで様々な貿易・売買・交換が行われていいたため、与那国島はとても豊かな島だった。

しかし、国境が引かれることにより、与那国島は「日本の果ての島」という位置づけになってしまう。もし国境線がなければ、この島は「果ての島」ではなく、どこにでもある「単なる島」だったのだ(P177)。

『昔、与那国は台湾のひとつだった。台湾さえ離れなきゃ、もっと与那国は豊かだった。戦争でいちばん損したのは沖縄で、それより損をしたのが与那国だろうな』(P175)

国境とな何なのだろうか。


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Dr.コトー診療所

島の南には、ドラマ「Dr.コトー診療所」のロケ地となった診療所(志木那島診療所)が残っている。


Dr.コトー診療所

私はこのドラマを見たことがないので、ナンノコッチャわからんのだが、このドラマのために作られたセットらしい。


Dr.コトー診療所

待合室や入院室などもそのまま残されていた。


Dr.コトー診療所

ドラマでは、与那国島ではなく、志木那島(しきなじま)だったらしい。

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与那国島

与那国島は、日本最西端なので、日本で最も日の入りが遅い。
今日の日の入りは19:40だった。
宿のルーフテラスより。


与那国島

20:00頃に暗くなり、幻想的な光のカーテンが与那国島を覆う。

街頭も自動車もほとんどない集落は、しばらくすると闇夜と変わり、満天の星空が姿をあらわす。砂を散りばめたような星空だった。

丸い地球に「最果ての島」なんてない。果てを作ってるのは人間が勝手に引いた国境なのだ。自由に国境を超えて、地球上を舐め回したい。

ぷらっと石垣島 Day1

石垣島


今年3度目の石垣島。

到着は夕方だったが、めちゃくちゃ暑い



ishigaki


現地で、旅人会計士のTさんと、YouTubeディレクターのNyanさん達と合流。

沖縄県は緊急事態宣言発令中につき、ノンアルコールワインで乾杯。



ishigaki


2軒目は沖縄民謡ライブが聴けるお店へ。
今日からライブを再会したらしい。ラッキー。

ステージに透明のカーテンを敷いて、感染防止もバッチリ。

♪ オジー自慢のオリオンビール〜
などを聴きながら、踊る、飲む。


明日は、本当の目的地である日本最西端 与那国島へ。

ぷらっと旧福知山線廃線敷ハイキングコースへ

旧福知山線_生瀬_武田尾_198606

今日は何の予定もなかったので、ぷらっと旧福知山線廃線跡のハイキングコースへ行ってきた。

JR宝塚駅の1つ北の駅「生瀬駅」から、3つ北の駅「武田尾駅」までの間の廃線跡が約5kmのハイキングコースになっている。1986年まで武庫川渓谷沿いを単線で走っていたが、すぐ西側にトンネルを掘って、複線の新線が走ることに伴い、旧線は廃線に。いまは人気のハイキングコースとなっている。


ということで、まずは「生瀬駅」で降りる。宝塚出身の私だが、生瀬駅で降りるのは初めて。隣の宝塚駅と違って、とても小さな駅だった。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



生瀬駅から15分位歩くと、ハイキングコース入口。いきなり絶景でびっくり。
ここから武庫川の渓谷を北上していく。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



廃線跡は市によってキレイに整備されている。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



枕木はまだ残っているので、歩きにくい箇所が多かった。凸凹の場所が多く、普通に歩くよりも時間がかかる。一人だけ自転車(マウンテンバイク)で来てる人がいたが、やめた方がいいと思う。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



いまもJR西日本の土地なんだね。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



しばらく歩くとトンネルが。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



トンネル内は照明がない。本当に真っ暗闇。ひとりでここを通るのは若干怖かった。懐中電灯は必須。スマホのライトでは足元が見えず、コケると思う。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



2つ目のトンネル(北山第2トンネル)。
ここが最も長く(413m)、最も暗く、最も怖かった。
懐中電灯を消すと、ホントに足元すら見えない。
所々で水たまりもある。汚れていい靴で来た方がいいと思う。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



ほとんど人はいなかった。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



またトンネル。ハイキングコースに合計6箇所のトンネルがある。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



200m位のトンネルでも、出口の光が見えない。
歩いていって、出口の光が見えるとホッとする。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



トンネルを抜けると、気持ちの良い景色が広がる。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



枕木が残っている…。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



またトンネル…。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



これは映えるね。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



武庫川第2橋梁。橋はキチンと歩道として整備されている。ここに汽車が走ってたんだねぇ。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



ゴールが近くなるとさらに絶景が広がる。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



我ながら良い写真が撮れた。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



最後のトンネルは91mと短いので、出口の光が見える。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース



最後のトンネル、最後の写真。
このトンネルの先がハイキングコースのゴール。2時間弱、約1万歩のリフレッシュ。かなり暑かったけど、気持ちよかった。

旧福知山線廃線敷ハイキングコース


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ゴール地点に、ポツンと1軒屋。
こんなところに、ジビエ料理のお店が。

武田尾_畑熊商店



お腹ペコペコだったので、ここでランチ。
焼ボタン定食(=猪肉定食)、赤の他人丼(=猪肉丼)、猪肉カレーライスなどがあり、「どれも食べたいぞ!」と思ったが、焼ボタン定食を頼んだ。めちゃくちゃ美味かった。

武田尾_畑熊商店



追加で「ミックス串カツ」も頼む。猪肉と鹿肉の串カツ。
あぁ〜、ビールが飲みたい。
が、緊急事態宣言中につき、酒類提供は自粛しておりました。。。

武田尾_畑熊商店


このお店がある場所は、JR武田尾駅の近く。宝塚市になる。なんでここで猪肉なんだろうか。店の方に聞いたら、肉は丹波篠山から仕入れているらしい。a-ha。納得。
次、またハイキングに来たら、必ずこの店に寄りたい。その時は緊急事態宣言が終わり、ビールが飲めるようになっていればいいが。


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私が武田です。

武田尾温泉



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JR武田尾駅に到着。

武田尾駅



ここは無人駅。券売機は1つだけ。こんな券売機、初めて見たぞー。

武田尾駅



んじゃ、帰りまーす。
楽しかった!

武田尾駅



(※ 一番上の写真のみネットから拝借した。あとは私のスマホで撮影。)

ぷらっと宮城県 (仙台城跡、輪王寺)

肉そば藤七


昨夜会ったKさんから、「せっかくグルメ」ということで、「藤七」という行列ができる蕎麦屋を薦められた。

開店直後に行ったのだが、既に行列が出来ていた。立ち食い蕎麦屋なので回転は早く、10分位で店に入れた。「肉そば」というのが有名らしいが、そこに「ゲソ天」をトッピングするのがツーらしい。それを注文。

「蕎麦にゲソ天!?」「その組み合わせ、合うのか!?」と思ったが、合うんだねぇ〜これが。美味い(しかも安い)。行列ができるのが分かる。蕎麦の量に比べて多すぎるんじゃないかという位の大量の肉が載ってる上に、ゲソ天トッピング。私は7割位食べたところで満腹になったが、周りの客を見渡すと若い客の多くの人が大盛を注文していた(上の写真は私が注文した並。大盛はおそらく麺が2倍あると思う。)。

満腹・満足。

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仙台城跡

帰りの飛行機まで時間があったので、「仙台城跡」へ。
仙台市街が一望できる高台にある。いい所に城を構えてたんだねぇ。伊達さん。


仙台城跡

大広間跡が残っている。


仙台城跡

伊達政宗造。


仙台城跡


同じ敷地内に、明治維新以後の戦死・戦没者の御霊約56,000余柱を祀っている宮城縣護國神社があり、その境内に「英霊顕彰館」ってのがある。戦艦大和の展示をしていたので入館してみた。明治維新から大東亜戦争までのあらゆる展示がされていて面白かった。私は戦国史より近現代史の方が好きだ(じゃ、仙台城跡になぜ来たのだ…?)。


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秘書ちゃんが、仙台の情報もLINEで送ってくれた。

「輪王寺」(りんのうじ)の山門からの山道が美しく、庭園が綺麗だと(ちなみに情報源はInstagramらしい)。

輪王寺

確かに、山門からの山道は美しい。初夏だ。


輪王寺

そして、庭園がホントに素晴らしい。
日本全国いろんな日本庭園を廻ってきたが、ここはめちゃくちゃ気に入った。


輪王寺

ため息が出るほど美しい。


輪王寺

三重塔まである。


輪王寺

ここの席が気に入った。


輪王寺

その席からの眺め。

ここでただぼんやりと過ごした。

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今回の東北旅行も、いつもの如く詰め込んで廻った。レンタカーの走行距離は4日で800キロを超えていた。うち200キロ以上は峠道だったと思う。「セナ足」でぶっ飛ばしたため身体中が痛い。本当は男鹿半島(秋田県)や酒田(山形県)辺りも行く予定だったが、身体が持たないと思い、ルート変更した。次は白神山地を目指したい。

今回の旅で一番印象に残っているのは、陸前高田市の全てが流された光景だ。全てが流され、人が戻って来ていない場所に、数メートルのコンクリートの壁(堤防)を作り、街と海を分断してしまった。そうせざるを得ないとしても、あの光景はショックだった。そして、その場所で、いまでもショベルカーの音だけが響いていたことも。阪神大震災の復興とは次元が違う。

その日のブログにも似たようなことを書いたが、「生きてるだけでいいじゃないか」と思った。人間は、他人の価値観に左右され、悩み、苦しみ、ストレスを抱えながら生きている生き物だと思う。しかし、サミュエル・バトラーがいうように、『人間を別にすれば、あらゆる動物たちは、生きていることの主たる仕事が、生を楽しむことだということを知っている』のだ。

私も、自由奔放に生きてるように見られるが、当然に悩み、苦しみ、ストレスを抱え、それを克服するために多少の努力もしてきた。だけど、あらゆる動物たちは、いつか、必ず死ぬ。それは今日かもしれない。もう正義感を振りかざしたり、正論述べたり、他人に同調したりして、ムリしなくていいんじゃないか。自分らしく、生を楽しむことを最優先に、ライフシフトをしていいんじゃないか。人生は所詮フィクションなんだから。

人生に深みを求めすぎず、完全なる善を求めすぎず、その時その時を楽しんでいこうと思う。

(完)

ぷらっと宮城県 (仙台市)

(つづき)

蔵王、秋保と周って、仙台市に戻ってきた。
戻ってきてから「秋保大滝」に行きそびれたことに気付いた。「華厳の滝」(​栃木県)、「那智の滝」(和歌山県)にならぶ日本三名瀑の一つなので、絶対に見ておきたかったのだが、秋保でガトーショコラを食べて満足してしまった。後からじわりじわりとショック・・・。次は秋保温泉に泊まれ! という神のお告げと、ポジティブに考えることにする。

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夜、高校・大学の先輩のKさんと合流した。今回の東北の旅は、Kさんに会うために来たのであるが、800kmくらい遠回りしてしまった。

高校・大学の先輩といっても、4つ離れているので、学校で会ったことはない。飲食系メーカーで経理をされていたので、私のことを随分前から知っていたらしいし、セミナーも受講してくれたことがあったらしい。10年くらい前に、知人の紹介で食事する機会があり、それがキッカケでこの会社の海外進出やM&Aを支援をすることになった。必然的に国内外の出張で一緒に過ごす時間が増え、プライベートでも飲む関係になった。

2年前、突然仙台に異動することになり、「仙台に遊びに来てや〜」「行きまっせ〜」みたいな会話をしたのだが、直後に新型コロナが広がり、実現できず。今回、2年越しで約束を果たすことができた。

遠距離恋愛していた恋人と久しぶりに再会するような気分だった。Kさんもそうだったのだろう。自宅から30分も離れた私のステイ先のホテルのロビーまで迎えに来てくれた。


で、まずは牛タンを食べようってことになり、「仙台銀座」という場所に連れていってくれた。どこにでも銀座ってあるんやな。厚切りのタン、最高だった。

sendai



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仙台市も緊急事態宣言発令中であるが、飲食店に対する要請は(仙台で最も賑わう)「青葉区」への営業時間短縮協力要請をしているのみ(ということに驚く)。

であれば、人は(当然に)「青葉区」以外に流れる。

我々も、2軒目は仙台駅の逆側の「宮城野区」に向かう。新宿東口から新宿西口に移動するようなもんだ。人は灯りがあるところへ向かう。

仙台_通木


入った店は、カウンター2席だけが空いていた。
「緊急事態宣言が発令されるまではガラガラだったんですけどねぇ」と、店主にんまり。今日は遅い時間までずっと満席だった。

1軒目でお互い満腹だったのだが、最後の夜なので、店主のオススメの料理と日本酒を出してもらった。どれも美味しかった。右上はアジのフライ。

仙台_通木


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ずっと経理畑だったのに、本社から地方へ異動。しかも営業部門。飛行機が減便続きで、家族ともなかなか会えず。人生は思い通りにならないが、我慢はよくない。色々と考えていることがあるようだ。「また相談にのってな」、「もちろんですよ」。

Kさんは、帰りもホテルまで見送ってくれた。恋人か(笑)。
仙台にいる間に、もう一度、しっぽり飲みましょう。

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