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おすすめの本

世界最高の疲労回復

夙川_桜

自宅の近くの桜の名所も、今年は花見禁止。散策のみOKということで、必要火急の用事で通りかかった際にスマホで撮ってみた。我ながら上手く撮れた。

陸上ハンマー投げの室伏広治さん(2004年アテネ五輪 金メダリスト)は、ハンマー投げ選手の父の指導により、3歳の頃から発泡スチロール製のハンマーに触れていた。高校生で日本選手権に出場し、大学3年の時に初優勝。以後、前人未到の20連覇(20年連続優勝)を達成する。20歳頃〜40歳頃まで勝ち続けたということになる。

これだけの偉業を成し遂げた室伏広治さんだが、30歳の時に身体が悲鳴を上げる(それでも日本選手権に出場して優勝するのだが)。いわゆる「バーンアウトシンドローム」(燃え尽き症候群)を体験する。室伏さんは、このまま頑張っても十分納得する結果が得られないと判断し、(国内に敵無しの状況であったにも関わらず)1シーズンを休養に充てるという決断をする。

「休む」という決断は、非常につらく、不安なものだったという。最前列から離れたら、自分の居場所がなくなるかもしれない。しかし、「休む」からこそ、疲れから解放され、新しい自分の力を見出す突破口になる。室伏さんは、思い切って休んだことによって、これまでの常識・固定概念・強迫観念からは考えられなかったトレーニング法を編み出す。これまで16ポンド(7.26kg)の金属製ハンマーを遠くに投げるために、負荷をかけたトレーニングをしていたが、なんと、紙飛行機を投げるトレーニングまで取り入れる。そうやって、身体・筋肉・神経・感覚を、これまでとは全く違う使い方をしていった。眠っている可能性を呼び覚ましたのだ。そして、上述の通り、40歳頃まで勝ち続ける。

室伏さんは、疲れを「悪」と捉えてはならないと言う。疲れたら「休む」。イヤな状況から、物理的、時間的な距離を取ること。忘れること。逃げること。捨てること。こだわらないこと。心の病を抱える人は、「強いこだわり」を満ち続けてしまうことが多いらしい。

経済の流れが変わってしまった今、何をしていいか分からないという人の声を聞くが、抗っても仕方ないことは抗わない方がいいと思う。月末の支払いも出来ないという状況なら知恵を絞るしかない。そうでないなら、高く飛び立つために、いったんしゃがむのもいいかもしれない。昨日も書いたが、ネットなどの情報に惑わされず、冷静に、知的に、自分の頭で考えることが必要だと思う。



室伏式 世界最高の疲労回復
室伏 広治
KADOKAWA
2019-12-20

粋にふるまえ

東京駅_自粛

東京都が不要不急の外出を控えるよう呼びかけた週末、都内に住むパートナーが東京駅の写真を送ってきてくれた。「不要不急」(=重要でなく、急ぎでもないこと)の外出を控えるように要請しているだけなのに、東京駅構内も、新幹線の車内も、ほぼ無人だったようだ。ネットでは(匿名で)徹底して政治をバッシングしている人達がウヨウヨといるのに、外出自粛要請を出したらピタっと街から人がいなくなるという変な同調性がウイルスより怖い。旅をしながら絶景写真をアップしている著名なインスタグラマーが、しばらく投稿を控えると言う。こんな時に旅をしているだけで非国民扱いされ、叩きのめされるのだろうか。在宅に疲れたという声をよく聞くが、一部の人間からの同調圧力や他者監視も疲れる。

さて、この週末も特に予定はなく、必要火急の用事も、不眠不休の仕事もないので、ひたすら読書day。

昨年亡くなった小池一夫さん(享年82歳、Twitterのフォロワー86万人以上)が、Twitterでのツイートをまとめた『だめなら逃げてみる』などの作品は今でも書店で平積みされているが、これとは別に『人生の結論』という本を上梓されている(亡くなる数ヶ月前に上梓されている)。

『人生の結論』といいながら260ページくらいあり、なかなか結論に辿り着かないのだが、86万人もの人を共感させ、感動させてきただけある。一頁一頁、一言一言が共感できる。「八方美人は八方塞がり」、「仕事を選ぶことは人生を選ぶこと」、「許しは過去との決別」、「不機嫌は無言の暴力」、「人に与える愛だけが、己に残る愛」・・・などなど。

本書の最後の方で、小池氏は「人生は二毛作も三毛作も可能だ」というようなことを言っている(P253〜)。プロスポーツ選手のように、ファーストキャリアが終わったら、さっさと次の人生を生きれば良いのだ。ちょうど昨日、「人生のシナリオや、ビジネスのシナリオを描き換えるタイミングなんだろう」と書いたところなので、この箇所は大きく頷いた。もう一つの畑を耕そうと思う。

第4章の「粋について」は、他の章と趣が異なる。電車でスマホを見るな、食事中にケータイを触るな、喫煙可の飲食店だからといってチェーンスモーキングするな、高級料理店に小さな子供を連れて行くな、モノにはこだわれ・・・と、一見「不要不急」と思われるようなことが書かれているが、私はとても大切なことだと思う。「人は人、自分は自分」と思って生きるのは構わないが、周りが不快に思うようなことを平然とすべきでない。人は外見に美意識、知見、生き様が表れる。単に年だけを重ねた幼稚な人間にはなりたくない。

著者は80万人以上もの人にフォローされていたので、一つのツイートに対して、心無いリプライや攻撃、バッシングがあったという。しかし、そういう人のツイートを観察すると、「生きている自分の世界が驚くほど狭い」人であり(P131)、「自己評価も低い」人であり(P33)、「パソコンという小さな窓から世界を眺めることに、あまりにも慣れすぎている」人だという(P192)。精神科医の中野信子さんは「カミカゼ遺伝子」というコトバを使って、この日本人の生得的で特異な特性を説明しているが、こういった特異な遺伝子の欲望のままに熱狂や炎上を起こす人達を見ていても疲れる。

結局のところ、『人生の結論』における結論は、「人として美しいほう」「楽しいほう」「相手が喜んでくれるほう」を選べ、と書かれている(最終ページ参照)。何も難しいことではないが、成熟した人生を歩むためには、よいほうを選択しながら生きていくことが必要となる。果たして、この3つが実践できているだろうか。この裏には「(ネットばっかり見てないで)自分の頭で考えろよ」と言われているような気がする。



人生の結論 (朝日新書)
小池一夫
朝日新聞出版
2018-08-10



野村克也著『野村ノート』 (小学館文庫)

野村ノート (小学館文庫)
野村 克也
小学館
2009-11-19



先日読んだ野村監督の『エースの品格』が良かったので、『野村ノート』も読んでみた。こちらの方が売れてるらしい。

本書『野村ノート』は、阪神の監督時代に記したものがベースになっているらしい。野球界にいた約50年間、指導者となった約30年間の中で、野村監督が学んだこと、指導者としての在り方・原理原則などがまとまった一冊。『エースの品格』はプレイヤー向けに書かれた本だと思うが、『野村ノート』は指導者向けに書かれた本。野球の指導者だけではなく、人の上に立つ者や、教育者、子育て中のパパ・ママなどにも大いに参考になると思う。

上に立つ者が、下の者にどうやって指導するかは非常に難しい。本書を読んで、全体的に感じたところは、野村監督ほどの実績・経験・技術をもった野球経験者であっても、選手に「技術」を手取り足取り教えるということをする前に、選手にヒントを与え、自分で気づかせ、成長するのを待つ、という一貫した姿勢で選手と向き合っている点。監督は「気づかせ屋」でなえればならないとも言っている(P180)。

それでも成長がなければ、人間の根本の部分に欠点があるわけだから、もう一度人間教育から繰り返す、とも言っている(P181)。この箇所は、特に共感した。私は多くの少年野球指導者、毒親、エセ教育者をみてきたが、彼らに共通するのは、「気づかせる」前に「教える」。そして成長がないと「他人と比較する」。そして「叱る」。そうやって、成長の芽を潰す。

野村監督は、「管理する者は、絶対に結果論で部下を叱ってはいけない」(P44)とも言う。これも大共感。その結果に至るまでに、どう考えて、何をしてきたのかという「プロセス」を見るべきだ。「見逃し三振を許さないという監督がいるが、そういう叱り方をするから(略)”勝負”できなくなる」(P44)のである。教育も子育てもまた然り。下の者が萎縮するのは、上の者に原因がある。

野村監督は、技術向上・基礎体力向上よりも、人間とは何か(人間学)、人生とは何か(人生観)、野球とは何か(社会学)、チームとは何か(組織学)といった「人づくり」に励んできた(第1章参照)。人生論が確立されていない限り、いい仕事はできないからだ(P5)。野村監督にいうところの指導者としての在り方・原理原則とは、ここにある。

本書は、管理者・指導者・教育者・保護者といわれる人にとっては耳が痛い話のオンパレードだと思うが、読むべき一冊かもしれない。野球に関する記述が多いが、そこをすっ飛ばして読んでも、巷のマネジメント関連本より有益だと感じる。


【関連記事】
2019/1/19 毒になる親

『あやうく一生懸命生きるところだった』

あやうく一生懸命生きるところだった
ハ・ワン
ダイヤモンド社
2020-01-16


私が20代、30代の頃は、夜中や明け方まで働き、土日も働くことがフツーだった。一生懸命働いていたと思う。しかし、40歳手前で、そんな生活をパタっとやめた。体力的にも精神的にも限界を超えた。それより、仕事や人生に対する「価値観」が変わった。一生懸命働くことに意味はあるし、努力は裏切らないと今でも思っているが、努力すれば必ず報われるわけではないし、億万長者になったら豊かになれるわけでもなし、欲しいものを手に入れたら満たされるわけでもないと実感したことが大きい。何より幸福感がなかった。幸せじゃなきゃ意味がないのに。

もしそのようなターニングポイントがなかったら、『あやうく一生懸命生きるところだった』かもしれない。

本書は、韓国でベストセラーになった本らしい。タイトルが気に入って購入した。著者も40歳手前で勤めていた会社を退職し一生懸命をやめた方。どこまで本当なのか分からないが、「ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課」だという。本書は、そんな著者が、新しい生き方を教えてくれる一冊。自由に生きてる人のようだが、嫌味なところがないどころか、真っ当なことが書かれている。

・・・ここ数年は幸せを感じる瞬間が増えた。状況が好転したからではない。
ありのままの自分から目をそらして苦労し続けることをやめ、今の自分を好きになろう、認めようと決めたからだ
(第4章)

自分が自分の人生を愛さずして、誰が愛してくれるだろうか?(第4章)

これは実体験として、非常に分かる。そのとおりだと思う。

本書にも書かれているが、「人はそれぞれ、その人なりの速度を持っている」(第4章)のに、他人の速度に合わせようとする。だから疲れる。学校の成績、試験の順位、会社内の評価、年収、諸々、なんでも「他人との比較」をして一喜一憂をしている人がいるが、著者はこういう生き方を「最も簡単に、早く、自分を不幸にする方法」だという。「人生の大事な時間を、自分の幸せな理由を探すより、不幸な理由を探すことに費やしているかも」と。

一生懸命働くことを否定するつもりは全くないが、倒れる前に立ち止まって、自分に問うてみた方がいい。「今の延長に最大幸福があるのか?」と。

本書には、他人が”蟹”だとしても、自分が ”カニかまぼこ” でもいいじゃないか、というようなことが書かれている。「カニかまぼこだって栄養価が高くて美味しい」と。この箇所はなんか笑えた。

私も過去は「他人との比較」をして、”たらば蟹” を目指していた。でも、40歳手前で ”カニかまぼこ” の人生もアリや! と思えたらから、人生は変わった。それは同時に、「他人との比較」をやめた時。他人からどう思われようがで放っておけばいい。人生は一度きりで、いつ終わるか分からない。楽しむしかないし、幸せになるしかない。自分を愛すれば人生は変わる。

ちょっとした息抜きにオススメの一冊。

清水研著『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)




著者は、精神腫瘍医(がん専門の精神科医・心療内科医)として国立がん研究センター中央病院に勤務されている先生。肉体的・精神的苦しみを抱えるがん患者やそのご家族と向き合い続け、これまで3500人以上の方々をケアしてきたという。

がんの告知されると、多くの方がショックを受ける。「解離状態」(心の機能がバラバラになる状態)になり、怒り、悲しむ。しかし、「死」を意識することにより、価値観、他者との関係、人間としての強さなどの変化も表れる。

「人生は一回切りの旅」である。人生には必ず終着点がある。であるならば、「must」(〜しなければならない、〜してはいけない)ではなく、「want」(〜したい)を生きるべきである。「死」を意識する人はそういう心境に変化を見せることがあるらしいが、「死」を意識していない人は「must」に生きているのではないだろうか。

例えば、仕事をしなければならない、勉強をしなければならない、お金は貯めなければならない、節約しなければならない、成功しなければならない、家事をしなければならない、PTAに参加しなければならない、週末は家族と過ごさなければならない、ゲームをしてはならない、本を読まなければならない、不貞を働いてはいけない、夜遊びしてはならない・・・などなど、「must」に生きることを「仕方ない」ことだと思っていないだろうか。「must」に生きているのに「want」に生きていると言い聞かせていないだろうか。

もしも一年後、この世にいないとしたら、今の仕事をするか? 勉強するか? お金を貯めるか? 節約するか? 

「死」を意識するということは、自分と向き合うことであり、「本当の自分」を取り戻すことと言えるかもしれない。

「本当の自分」とは「want」に生きることであり、「must」に生きることは「もうひとりの自分」なのだ。「must」に生きているからレジリエンス(悩みと向き合う力)を阻んでいる。我々は「本当の自分」を生きる権利がある。

他人の目や他人の評価に縛られ、自分の気持ちに正直にならず、自分を殺して生きていていいのか。目の前の事をしなければならないと思い込み、余裕のない生活をこれからも繰り返していくのか。

これまで、将来のため、他人のために、「今」を犠牲にしてきた人は、「今」の生き方が分からないかもしれない。しかし、「いまここ」を十二分に味わってはどうか今の自分に心地よいと思うことをしてはどうか大切な人との時間を大切にしてはどうか自分の心のどこにワクワクするのかという「want」の声を聴いてみてはどうか

人生の終わりがいつやってくるか分からない。だからこそ、今を生きるべきだ。
旅の終わりで後悔しないように。

本書からそういったメッセージを強く受け取った。


野村克也著『エースの品格 ― 一流と二流の違いとは』 (小学館文庫)




これは良い本! 面白かった。

プレーヤーにも、指導者にも、野球に関心ない人にも、大人にも子供にも、オススメ。

サブタイトルにもあるように、「一流と二流の違いとは」について書かれており、一流の人間になるための「原理原則」がまとまっている。

野村監督は、南海ホークスにブルペン捕手として入団したが、1年目のオフに解雇通知を受けている。試合で使ってもらって成績を残せなかったなら仕方ないが、使ってもらっていないのに解雇されるのは受け入れられず、必死の思いで頼み込んで解雇を免れた。そこから手が豆だらけになるほど素振りをし、一軍レギュラーの座を確保するが、稲尾和久にはいともたやすくひねられ続けた。そこで、稲尾の投球を撮影し、血眼になって研究する。そうすると、振りかぶった時、グラブの合間から見えるボールの面積が投球によって変化することに気付く。そこから一挙に打率をアップさせる。稲尾は、不思議そうにマウンドで首をひねっていたという(P26〜)。これが野村監督の「データ野球」(ID野球)の始まりなのだ。天才型ではなく、努力型。他者と劣る点があれば、努力により埋めていく(P57参照)。そうして、戦後初の三冠王を獲得する名選手となる。

指導者となってからも、緻密な努力を重ねてきた方だが、いわゆる「コーチ」というものがどういう役割なのかを考えた上で指導・監督している点は特に共感した。「技術についてハナから手取り足取り面倒をみることは、けっして愛情ではない」(P196)と言い切り、人間の意欲を引き出すことが「コーチ」であり、指導者の役割だと言う。技術よりも人間形成を重視している点も共感できる。本書の中でたびたび「人間的成長なくして技術的進歩はない」といったコトバが出てくるが、プロの世界においても一流と二流の違いはここにあると思う。

私は野球観戦が好きなので、かつては甲子園球場に何度も足を運んだし、全試合が観たいがためにケーブルテレビにも加入した。だが、最近は甲子園球場に行くことも、TVを観ることもなくなってしまった。応援が下品でダサいというのもあるが、プロ野球選手の見た目(茶髪、髭、ネックレス、ピアス、ガム)が気持ち悪い。野村監督も「野球選手がそのような行為に及ぶことを私は許さない」(P197)と言っている。いい年した大人が、子どもたちの前で、何たる態度で仕事をしてるんだと絶望的な気持ちになる。技術や実績では一流とされても、精神的に未成熟であれば、一流とはいえない。本書は、社会に足跡を残す一流の人間になるためにはどう在るべきかを教えてくれる。プロ野球選手を目指す息子にも読ませたいと思う。

宮本輝『朝の歓び』(講談社文庫)






読書仲間から「一番好きな小説」と紹介してくれた本。
宮本輝さんの小説を読むのは30年ぶりくらいかもしれない。宮本輝さんの自宅と私の実家が近くということもあり、昔はよく読んだ。

本書『朝の歓び』は、これまで私の中にあった宮本輝ワールドとは全く違うものだった。想定外の小説だったが、とても面白いものだった。

老若男女、色んな人が登場する。それぞれが複雑な人間関係の中で生きている。読みながら自分の過去の様々な出来事が走馬灯のように駆け巡っていった。有り得ない嘘をつかれたこともあった。傷つけられたこともあった。

そういう出来事が「断片」「かけら」として記憶されているが、人生はそれらの集積という訳ではない。そういう「断片」「かけら」が、何十年という人生の中で「花火」となって打ち上がり、輝くのだ。

どういう人生を歩もうと、幸せにならなきゃ意味がない、改めてそういうことを思わされた一冊だった。


不倫と特攻

空気を読む脳 (講談社+α新書)
中野 信子
講談社
2020-02-20



芸能人の不倫、政治家の失言、芸能人の不適切な振る舞い、弱者へのいじめ、他人への過干渉・・・、寄ってたかって特定の人物を攻撃する協調性同調性)を、日本人は生得的に(先天的、遺伝的に)持っている。

今般のコロナウイルスの騒動においても、この日本人の特性が顕著に表れたのではないだろうか。御上の人々に対する批判、SNSでの不安と同調の拡散、トイレットペーパーの買い占めなどなど。冷静で知的とは思えない衝動的な行動を起こし、群れを作り、それが既得権益層を生み出し、そのヒエラルキーに入らない者を非国民扱いし、さらに叩きのめす。

Twitterにおいて、ある方が、ドラッグストアにトイレットペーパーを買いに行った知人を見て、「恐怖や不安というよりとても興奮していました」「何というか満たされない承認欲求が満たされている感じ」と書かれていた。こういった衝動的行動に、強い正義感と快感が得られる人がかなりの割合で存在するのだろう。

先日発売された中野信子さんの『空気を読む脳』も、この日本人の生得的な協調性を取り上げている。冒頭から特攻隊を取り上げている所が面白い。日本人の脳には独特の遺伝的な特性があることが分かっている。その遺伝子特性が、日本人を(自分の利益を失っても)不正をした相手に制裁を加えたいという気持ちが世界一強い民族にした可能性があるという。冷静で合理的な選択をするよりも熱狂することを望むのだ(第1章参照)。それが第二次世界大戦の特攻を生み出したという。つまり「カミカゼ遺伝子」なるものが現代の日本人の脳内にも息づいているというのだ。(赤の他人である)有名人が不倫したことや、反社会的勢力と関わっていたことを、これでもかという位に徹底してバッシングする日本人の特異な言動も、この「カミカゼ遺伝子」から説明がつく。

有名な話だが、もともと人類は一夫多妻制であり、乱婚を営み、子孫を残していた。もちろんその遺伝子が今の代にも引き継がれている。人口の約50%が不倫遺伝子を持つらしいが(P73)、人類の歴史を振り返ると特に不思議なことではない。乱婚時代の方が圧倒的に長いのだ。不倫バッシングを行う日本人も、他人のことを言えた義理ではない。中野信子さんは、これを「絶対的自己矛盾」と述べている箇所は少し笑えた(P75)。

この同調圧力、自己犠牲、滅私奉公、他者監視、封建主義、全体主義、絶対的自己矛盾…といった特質を持つ日本人と協調しなければならない空気感に生きづらさや息苦しさを感じる事が多い。「他人の目を気にしすぎ」な他人といることにすら疲れる。

私は、バッシングというエンターテイメントに無駄な時間を割いて、自分の正義感を正当化するような人生は虚しいと思う。もっと自分の幸せを考えた方がいいと思うし、自分が幸せになるための超自己チューな生き方を模索した方がいいと思う。小室哲哉を引退に追い込むよりも、彼がライブに出た方が、どれほど多くの国民を幸せにし、快感を与えただろうか。

Self Control.

鴻上尚史著『不死身の特攻兵 ―軍神はなぜ上官に反抗したか』 (講談社現代新書)




私の留守中に、父がぷらっと孫の顔を見にやって来ることがある。その時に、手土産(?)として、読み終えた本を持ってくる。それが、単に、「捨てるのも何だし」と持ってきたものなのか、私に薦めたいから持ってきたものなのかは分からない。そういう本が私の本棚に何冊か眠っている。

先日、加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読み終えた後に、「そういえば、本棚に特攻兵の本があったような…」と思い、取り出してきたのが本書『不死身の特攻兵』。父の友人の兄が特攻兵だった。

この本も、先日紹介した『独ソ戦』同様に、衝撃的な内容だった。

太平洋戦争で生き残った特攻兵にインタビューして編まれた内容。今の日本がどれほど平和かということを思い知らせる。

爆撃機に爆弾をくくりつけ、敵に体当たりするという特攻隊(特別攻撃隊)に多くの青年が駆り出される(はじめは「特殊任務」と言われ、体当たりの任務とは聞かされてなかったようだ。P42〜参照)。上官の命令には絶対服従である。その上官から「必ず死んでこい!」と特攻を命じられる。いくら国のためとはいえ、自分の命を捧げることができるだろうか。青年たちも苦悩する。生きて帰ってきたら「なぜ死なないんだ!」「この臆病者!」「特攻隊の恥さらしだ!」と激昂される。そうやって何度も何度も同じ命令をされ続け、罵られ続ける。自暴自棄になり特攻して死んでいく者もいる(P141〜参照)。そこまでする必要があるのか…という思いを持つ者も当然にいるが、命令に背くことは出来ない。これが「戦争のリアル」である。

このような「カミカゼ」を支えたものは何なのか。当時の青年は、祖国のために積極的に喜んで自分から「志願した」のだと書かれた文献もあり、それは戦後ベストセラーになり、翻訳もされた。それが、いまでも「カミカゼ」の根強いイメージとなっている。しかし、著者は、他の文献や特攻兵へのインタビューを通し、それは事実ではない(=嘘)だと述べている(第4章参照)。絶対服従の中、「本当は死にたくないんだけどなぁ〜」なんて言える雰囲気でもないのは容易に想像がつく。遺書ですら上官を経るというから(P219参照)、当然に「志願した」ように書くだろう。そういった遺書も後の書籍等のエビデンスになっている。

特攻への志願の度合は、実戦経験・技術的熟練度の高い者や高学歴者ほど「批判的」であり、年齢も学歴も低い者ほど「積極的」であったらしい(P226)。そういう人ほど、マインドコントロール(洗脳)しやすいというのだ(P221参照)。

驚いたのは、戦争賛成派の新聞の部数は大きく伸びる一方で、戦争反対派の新聞の部数はどんどん落ちるというデータ(P256)。日露戦争に反対していた新聞は発禁が続いて、最後には廃刊になったという。メディアが世論を熱狂に導き、戦争を煽ったともいえるのではないだろうか。

特攻隊の経験がある方が、あるインタビューを受けた際に、「死ぬことについて恐怖はなかったのか」と聞かれて、次のように回答している。
「ほんとうに死を恐れない人間がいるだろうか。特攻出撃までの日々は、苦悩そのものとのもう一つの闘いで、体験した者のみが知る複雑な悲痛な心境であった。私は本音を言えば死にたくなかったし、怖くなかったと言えばうそになる。しかし、軍人である。命令は鉄の定めだ。悲しい運命とただ諦めるより仕方なかった」(P285)

しかし、このインタビューに対しては、たちまち非難が乱れ飛び交ったという。「死ぬのが怖かったとは何事か!」「取り消せ!」などと(P286)。

ポツダム宣言を受け入れ無条件降伏した後、浦賀港に戻った特攻兵は、浦賀の一般市民から石を投げられた、という記述もある。「日本が負けたのは、貴様らのせいだぞ!」などと罵られたらしい(P158〜)。私は、ここの記述も胸を痛めたが、これが当時の「世間」空気なのだろう。この空気感は今もなお続いているように思う。どんな死であっても、死は痛ましいもので、命は尊いものなのに。

著者には『「空気」と「世間」』(講談社現代新書)という本も出されている。こちらはまだ読んでいないし、どんな内容か存じ上げなていないが、著者が関心を持っている分野が、そこにあるのだろう。本書『不死身の特攻兵』で著者が伝えたかったことは、「9回出撃して、9回生きて帰ってきた佐々木友次さんをたくさんの日本人に知ってほしい」(はじめにより)ことだと書かれているが、それを通して、この日本人の「空気」「世間」の疑問を解きたかったのではないか(本書の最終ページを見ても、そう思う)。

これ以上書くと、私も一般市民から石を投げられるかもしれないので、この辺で。

大木毅著『独ソ戦 ―絶滅戦争の惨禍』 (岩波新書)

独ソ戦


この帯を見て購入。

たまたまではあるが、読み始めた日に『新書大賞2020』が発表され、本書『独ソ戦』が大賞を受賞。我ながら本をチョイスするセンスに長けていると思う。

さて、本書『独ソ戦』、これはすごい本だった。

1941年にはじまった『独ソ戦』は、「人類史上最大にして、もっとも血なまぐさい戦争」(はじめにより)といわれている。ソ連の死者数は3000万人、ドイツの死者数は(独ソ戦以外も含め)800万人超(ちなみに当時の日本の総人口は7000万人超)。一般市民も含め、敵とみなした者や、ナチ体制にとって危険と思われる異分子、ドイツの占領支配の障害となるであろう教師、聖職者、貴族、将校、ユダヤ人などを「みな殺し」にし、絶滅を追求する絶滅戦争を実行したのだ。軍事的な合理性など逸脱した狂気としか思えない。(P98〜参照)

捕虜を虐待し、殺戮する残虐なシーンが多く登場し、何度も胸が締め付けられそうになった。ソ連の大都市レーニングラードでは、ドイツ軍が市内への物資輸送を遮断したため市民の飢餓が蔓延し、最後には死肉食・人肉食が横行したという(さらに、死肉食・人肉食の嫌疑で市民を逮捕する)。「これが人間か」というような愚行が行われていたのだ。(P110〜参照)

個人的に興味深かったのは、独ソ戦とホロコーストとの関連(P107〜)。ナチス・ドイツは最初からユダヤ人絶滅を企図していたのではなく、ユダヤ人を国外追放しようとした結果、国外に逃げようとしなかった貧困層、高齢層という、ナチスの眼からすれば最も残って欲しくなかった分子が「滞留」することになってしまった。加えて、領土拡張によりナチス・ドイツ支配下にあるユダヤ人の数は急増することになった。このように、大量移住計画が破綻した結果、システマティックな「絶滅政策」へと舵を切っていくことになったのだ(1942年1月、「ユダヤ人問題の最終的解決」が正式に国家の方針として採用され、労働可能なユダヤ人は劣悪な条件での労働を課して自然に死に至らしめ、労働できない者は毒ガスで殺害することになる)。このドイツの愚策により、ソ連軍も人道を踏みにじる蛮行が繰り返され、通常戦争を超えた空前絶後の暴力・犯罪行為が遂行されて、ナチス・ドイツの崩壊まで戦い続けることになったのだ。

歴史は、都合よく編集され「虚像」を作ることがある。しかし、本書は、ドイツ戦史研究家の著者により「史実」として確定しているものを多面的に新書1冊にまとめてくれている。約4年にわたり、数千kmの長い戦線で行われた戦争を新書1冊にまとめることは簡単ではなかったというが(それは読んでいて痛感するところでもある)、人類史上最悪の戦争を新書1冊にまとめてくれた意義は大きい。

かなりオススメの一冊。







【こちらもオススメ】
舟越美夏著『愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった』(河出書房新社)
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