公認会計士武田雄治のブログ

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おすすめの本

人格も行動も環境によって変化する

私は、外向型なのか? 内向型なのか?

私は、人前に出るのが好きなのか? 嫌いなのか?


自分でも自分の人格がよく分からない。よくある心理テストのようなものをやってみると、概ね自分の人格を把握することが出来るが、完全には当てはまらない。きっと私以外の人もそうだと思う。人は誰しも多重人格だから。

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昨日紹介した『ハーバードの個性学入門』に、こんな話が載っている。

ワシントン大学に正田祐一という教授がいて、子どもの発達に関してトップクラスの研究者らしい。6週間のサマーキャンプに来た数十人の子ども達の行動を全て記録・分析した結果、あることが明確に分かった。

それは、個人の人格も行動もコンテクスト(特定の状況)によって決まる、ということ。

例えば、遊んでいる時は外向型でも、授業中になると内向型になる人がいる。普段は「良い子」でも、友達といると攻撃的になる人もいる。人格は環境によって変化する。

私に置き換えると、セミナー講師として数百人の前で喋るのは平気だけど(外向型)、4人を超える飲み会に行くのは苦痛でしかない(内向型)、となる。

だから、自分が外向型の人間なのか、内向型の人間なのか、なんて分からない。コンテクスト(特定の状況)によって私の人格も行動も変わるのだから。

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正田祐一は、あの有名な「マシュマロ・テスト」の追跡調査も行っている。マシュマロをすぐに食べてもいいが、15分待てば、もう一つのマシュマロを食べることができるという実験。自制心が高い人の方が、学業でも良い成績を収めるという結果が、子育てや学校教育に応用されてきた。しかし、この「マシュマロ・テスト」もコンテクストが変われば結果が変わるらしい。

子育てや学校教育や社員育成の際にも、コンテクストを無視して、性格や行動を直そうとしてもダメだといえる。逆に、道徳的な行動もコンテクストにより左右されるのかもしれない。

我々は、限られた情報に基づいて相手の性格を判断していることになる。なぜなら、我々も、相手にとってのコンテクストの一部だから。


ユニークな個性を磨くべき




面白い本だった。

「個性学」なる学問があるらしい。

日本の教育システムは、個性を潰し、出る杭を打ち、個人の「才能の原型」や「自分らしさ」を見失せるものだと思う(ってことは以前も書いたとおり)。個性を伸ばすような教育をすべきだと思うのに、『平均』に近い人(or すべての科目が平均点以上の人)は才能があり『平均』からかけ離れた人(or 科目によって平均点以下がある人)は無能とみなされ余り評価されない。そこにずっと疑問を抱いている。個々の尖った才能を伸ばすことより、どれだけ『平均点』が高いかを競わすために公教育も受験教育もあるように思えてならない。学校や塾は、ユニークな個性も独創性も才能も奪い取り、標準化された人間を育てる「収容所」のようにも思える。

だから、「個性学入門」なるタイトルの本を見付けた時、自然と手に取ってしまった。

本書は、もともと早川書房から『平均思考は捨てなさい −出る杭を伸ばす個の科学』(原題:"The End of Average - How we succeed in a world that values sameness") というタイトルで刊行されていたものが、最近改題され文庫化されたもの(つまり、原題には、「個性学」も「ハーバード」も無いんだけど、『平均思考は捨てなさい』というタイトルにも十分惹かれるものがある)。

教育だけでなく、子育ても、職場も、医学の研究も、製品・設備・機器も、あらゆるものが『平均という気まぐれな基準』が前提に設計されているが、本書は、『平均的な人間』などどこにもいないことを様々な事例やエビデンスを元に明らかにしていく(平均的なコックピットに合う体型の操縦士はいない、など結構衝撃を受けたエビデンスもあった)。

本書では、個性に関して「3つの原理」を示している。
それは、以下の3つ。
1.バラツキの原理
人間の才能にはバラツキがある。

2.コンテクストの原理
人間の行動は状況によって変わり、才能も状況によって発揮される。

3.迂回路の原理
ゴールへの道は個性によって決定され、しかもどれも妥当な方法である。

本書を読むと、他人と比較することがどれだけ無意味なことなのかを痛感する。

家庭での子育て、学校での教育、職場での育成は、人それぞれの「個性」に着目していないことが多い。著者は、少なくとも伝統的な公教育制度については「個性の諸原理に反している」(P263)と述べている。さらに、「私たちの学校や仕事を平均的なシステムではなく、個人にフィットするように設計し直せば、どれだけの才能が花開くか想像してほしい」(P264)とも。

幼児がハイハイしてから歩き始めるまでの行動パターンですら25種類もあるという(P179参照)。正しい行動なんてないし、正しい偏差値なんてものもないし、正しい体型なんてものもない。他人より識字能力が低かったり、発達障害と診断されたりすることも、実は「個性」のレベルなのかもしれない。

個性を必死に隠そうとする人がいるが、ユニークな個性を磨くべきだ。

他人と比べず、生き急がず、自分の個性を最も発揮できる方法で、コツコツと進むことが最良の方法なんだろう。人の上に立つ者はそういう教育・育成をしなければならないと思う。

論語と算盤




2024年からの新紙幣(一万円札)の顔に採用された渋沢栄一。

先月のSBMセミナーで渋沢栄一の話をしたのだが、意外と渋沢栄一を知らない受講生が多かった。

私もそれほど詳しい訳じゃないけど、生涯に約500の会社設立に関わったという、とんでもない起業家・実業家である。設立に関わったという企業には、東証、東京ガス、キリンビール、サッポロビール、帝国ホテル、東京海上HD、みずほ銀行、王子製紙、東洋紡・・・といった錚々たる企業もある。三井や三菱を超える財閥を作ることも出来たであろうが、渋沢栄一は大株主として会社を支配するという考えはなかったらしい。資本主義勃興期だった当時、資本家に出資させ、経営を他人に任せる株式会社制度を定着させることを優先したのだ。その貢献を称え、『日本資本主義の父』とも称されている。

キャッシュを使うことはホントになくなってしまった今、「なんで新紙幣やねん!」ってツッコミを入れてしまったが、日本の紙幣の顔に相応しい人物だとは思う。

渋沢栄一の有名な著書に『論語と算盤』がある(初版は大正5年,1916年)。最近は現代語訳も出版されている。私はちくま新書のものを愛読している。経営者、起業家の方は必読書。

私が独立・起業したのは2005年で、ITバブルにより数百億円を手にする20代・30代起業家がゴロゴロと誕生した時期でもあった。「金儲けは悪いことですか?」というコトバを残して収監された人も出てきた時期でもある。資本市場がちょっとおかしなことになってるなぁ〜って時期に『論語と算盤』に出会えたのは、とても運が良かったと思う。

本書において、『経済道徳合一説』という理念を打ち出している。その名の通り、「経済」と「道徳」は合一だという考え。『右手に論語、左手に算盤(そろばん)』という言葉は余りにも有名だ。

論語とソロバンは一致させるべきものである(P97)

本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して長く続くものではないと考えている(P86)

独立してから多くの経営者と接する機会があったが、「尊敬できる経営者」に共通していることは、皆が『右手に論語、左手に算盤』という両手のバランスが取れていることだ。バランスが狂っている人は、長続きしない。

私はここでいう『論語』を人間学、哲学、思想に、『算盤』を会計学、マーケティングに、それぞれ広く解釈している。まだ独立して14年しか経っていないので、人間学、哲学、思想なんて身に付いているとは到底思えないが、経営に大切なことは道徳観、倫理的価値観であるという考えだけは独立した直後から持っているつもりだ。

渋沢栄一は決して富を得ることが悪いことだとは言っていない。まっとうな富は、正しい行動により手に入れるべきものであり、道理を伴わない富なら貧しい方がマシだ、ということを言っている。私もそう思う。先日も書いたとおり、富は後からついてくるものであり、追いかけるものではないと思っている。金の亡者のような人は多いが、私はそういう人とは付き合わない。

『論語と算盤』や『論語』をきっかけとして中国古典も随分と読んできたが、それらの中で最も好きなコトバが『天網恢恢疎にして漏らさず』というコトバだ(老子より)。天の網の目は粗いように見えるかもしれないが、決して悪を逃すことはないという意味だ。他人に嘘を付いたり、騙したり、蹴落としたりしながら、自分だけが満足できればいいと思っていても天罰を受ける。悪は裁かなくても自爆する。

私は、巨富を得たいとは思わないが、尊敬される会計士でありたいとは思う。そのためには会計学だけでなく人間学を学ぶ必要がある思っている。残りの人生、自分の思想・哲学を完成さえるという闘いだと思っているし、生きるとはその闘いに挑み続けることではないかと最近思い始めた。

ノートが人生を変える




他人の事はど〜でもいいと思っているが、人様の「ノート」と「本棚」だけは覗いてみたい。その道で成功した人のものは特に。「本棚」については写真集のようなものが多く出版されており(例えばコレ)、著名人の棚を覗くこともできるのだが、「ノート」については殆ど公開されることがない。さすがに、プライベートのノートを公開することは私も抵抗がある。


シアトル・マリナーズ 菊池雄星投手が学生時代から14年綴ったノートが公開され、書籍になったというので買ってみた。これは良かった。「チラ見」程度に公開しているのかと思ったら、最初から最後までほぼノート。しかも、プロに入団した後のノートまで公開している。


雄星ノート


プロ2年目辺りが人生で一番どん底で、この頃からメンタルトレーニングを取り入れたらしいが、その時のノート(ワークシート?)まで公開してくれている。

こんな貴重なものを1400円(+税)で覗いていいのか・・・


この本を読んで、改めてデジタルデトックスをしようと思った。PCに向き合っていても人生は変わらない。ノートに向かう時間をもっと取るべきだ。

菊池雄星投手も書いている。人生で一番大事なことは行動することだ。想いが強くなってから行動するのではなく、行動を起こしていくことによって、想いがより強くなっていく。そして、ノートを書けば書くほど、自分の想いが強くなっていく。ノートを書くことも、僕にとって行動の一つだ、と。(P6〜7)。

昨日も書いたように、ノートに書いたものは実現するが、書かないものは忘れる。PCやタブレットではなく、何かノートを1冊、常に持ち歩くことをオススメする。ノートが人生を変えるから。



正常とは、持続的に変化しながら、バランスを保つこと




12年ぶりに再読した。

昨日紹介したい酒井律子『<いのち>とがん』(岩波新書)は、「生きるとは」「死ぬとは」を考えるきっかけになった。この本を通して、正常細胞やガン細胞といった話を学ぶと、新たな疑問が沸いてきた。「生命とは」なんぞやと。

12年前に読んだ時も、嫉妬するほどに面白いと思ったが、再読しても思うことは同じだった。嫉妬するほどに面白い。生命科学最大の問いである「生命とは」なんぞやという答えを探す分子生物学者の格闘をダイナミックに描く。

ちなみに、本書は、第1回新書大賞を受賞し、65万部を超えるベストセラーに(wikipediaより)。

めちゃくちゃ長い人類の歴史の中で、遺伝子の本体がDNAで、そのDNAの二重らせん構造を解明し、「生命とは、自己複製を行うシステムである」とひとつの答えに到達したのは1950年頃の話。さらに、別の科学者により、生命とは(分子レベルでは)絶え間なく破壊され、入れ替わる「動的な状態」(dynamic state)であるという別の概念を示す(福岡ハカセは、この概念を拡張し「動的均衡」(dynamic equilibrium)という概念を示す)。私たちは、爪や毛髪が絶えず新生し古いものと置き換わるように、身体のありとあらゆる部位(臓器も組織も骨も歯もタンパク質も体脂肪も)は絶え間ない入れ換えが行われている。

よく私たちはしばしば知人と久闊(きゅうかつ)を除するとき、「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。(P162〜)


壊れただけを修理するのではなく、すべてを絶え間なく壊し続けながら、もとの平衡を維持している。それが一定の閾値を超えるとある種の異常(病気など)として表れ、修復しきれない時点で死を迎えるが、多少の欠落であればそれを埋め合わせようとうる「滑らかさ」「やわらさか」を持っている(P264、P265参照)。生命は、機械のように部品を抜き取ったり、交換したりすることはできず、「時間」の流れに沿って進むしかない不可逆性があるなかで、動的(dynamic)なバランスを取っている

本書でとても印象に残っているのは、「正常さは、欠陥に対するさまざまな応答と適応の連鎖」(P271)というコトバ。正常とは、異常がないことではない秩序を守るために、絶え間なく壊されながら、持続的に変化しながら、バランスを保つことだ

人生そのものじゃないか。

死があるから、生き切るために色んなものを捨てる




あの日のブログの記事については、いまでも会う人、会う人から驚きと同情の言葉を頂く。善意と存在を踏みにじられた私の心の傷は消えることなどあるまい。先日、あるセラピストと会うなり、「心の傷がすごすぎる」と言われた。ですよね・・・。

人生は不条理なものであり、思い通りにいかなくて当たり前だと思ているが、「人生において意味のないことは起こらない」とも思っている。では、こんな不条理なことが起こった「意味」は何なのか。その「意味付け」については、日々考えている。

少なくとも、あの日以来、心理学(人間の異常性)と病理学(癌)については、並々ならぬ関心を持つことになった。これまでならスルーするような情報まで吸収するようになった。この『〈いのち〉とがん』という本は読売新聞の読書欄で紹介されていた本だが、昔なら見向きもしなかっただろう。

本書の著者 坂井律子さんは、NHKの番組制作者。本書は、自らが突然膵臓(すいぞう)癌を宣告されてから、感じたこと、考えたこと、勉強したことなどを記録したもの。人に何かを伝えることを仕事にしてきた方が記録したものだけに、単なる闘病記とは次元が違う。まるでNHKのドキュメンタリー番組のような内容と展開は、患者になったからこそ書けるものばかり。読みながら、自分がいかに無知で浅学かを思い知らされた。

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序章で、「手術はゴールではなくスタートラインなのだった」(P27)と書かれている。初めは意味が分からなかった。しかし、第1章に入ってから、ページをめくる毎に衝撃を受けた。著者も、「術後の後遺症と化学療法は、のんきな私の想像をはるかに超えており」(P34)、復職しようとか、勉強しようとか思っていたことなどが、「無知な妄想」(P35)であったと述べている。

第2章で、抗がん剤の恐怖について詳述されている。改めて無知ほど恐ろしいものはないと思った。抗がん剤は、第一次大戦中のドイツ軍の連合軍攻撃において使われたマスタードガスから発想されて開発された猛毒の化学物質であるという(P66〜)。この強烈な化学兵器の攻撃から生き延びた人の中に、骨髄の細胞が特異的に破壊されている人がいることにある病理学者が気付く。そこから研究者が白血病の癌細胞だけを選択的に攻撃する化学物質として抗がん剤を開発していく。しかし、その猛毒は特定の細胞だけを攻撃するのではなく、正常な細胞にも(当然に)作用を及ぼす。胃の粘膜や、頭髪の毛根など、あちこちにダメージを与える。それでも身体に与えるダメージ以上に、癌がダメージを受けてくれることを狙い、猛毒を摂取する。著者は「賭けるしかない」(P68)と、化学療法を受ける。その副作用の記録は壮絶だった。癌ではなく副作用との闘いともいえる。そこまで苦しみながら、なぜ抗がん剤治療をするのか。それは、ここでは書かないが、最後の章まで読むと分かってくる。

最後の最後、あとがきにおいて、「私は、言葉の力を得て、病気と向き合えたことを改めて感謝しながらまださらに生きていきたいと思っている。」という一文で本書を締めくくっている。これは少しショックだった。なぜなら、本書の途中まで読んだ所で、著者の癌が再発・再々発し、原稿が未完のまま遺されることとなったことを知ったからだ(未完の原稿を編集したようだ)。上の一文は、亡くなる20日程前に書かれたもの。著者が亡くなる直前に、この一文を書いた意味、この本を残して逝った意味を、じっくりと考えた。

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本書の中で印象に残っているのが『死の受容の嘘っぽさ』について(P195〜)。
「死は誰にでも平等に訪れる。それがいつかは差があるにしても、必ず誰にでも死は訪れる。しかし、どうしても、そこに在るということを意識せざるを得ないのが、やはりがんという病気なのだと思う」(P204)。癌の告知の瞬間から、死はそこに在る。著者は、死の受容を説く本を読んだが自分は納得できなかったという。なぜなら、常にそこに在るんだから。「だから、死を受け入れてから死ぬのではなくて、ただ死ぬまで生きればいいんだと思う」(P218)と述べている。

こういうことを言うと反発を食らうかもしれないが、大病にかからなくても、余命宣告を受けなくても、ある程度の歳になると死を意識せざるを得ない。人生はすぐに終わると思っているから、時間と身体(存在)を意識し、生きることに必死になる。決まった時間に寝て、7時間以上睡眠を取り、毎朝必ず体重を記録し、食べるものに気を付け、日用品に気を配り、毎週トレーニングを欠かさず、毎年健康診断を受け、ストレスになることから避け、心の平安を確保しながら、自分と格闘する。ストイックだと言われることがあるが、そうじゃない。死がなければ惰性で生きているに違いない。死があるから、生き切るために色んなものを捨てるのだ

生きることと、死ぬことは、相反することではなく、同じことではないか。生きるとは死ぬこと。生きるとは死ぬための格闘。著者が死ぬ直前まで原稿を書いたように、鈴木大拙が死ぬ直前まで親鸞の教典の英訳をしたように、死ぬまで自分と格闘する。それが生きるということだ。

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一冊の本が、人生(人生観)を変えるという経験は、これまで何度も何度もしてきた。この本も、間違いなくその一冊となる。知人が癌になったことから、この本を読んだというものも、何か意味があるに違いない。その知人とはあれから会うことも出来ず、どういう様態かも詳しく分からないことがもどかしい。今から思えば、癌を告知されたであろう昨年9月中旬に、何かを守り、何かを捨てようとしたのだろう。今は生き切るための格闘をしていると信じたい。人生は格闘だ。俺も闘う。お前も負けるな。完治することを陰ながら祈りつつ、数年前に私のセミナーで出会えたことに感謝したい。


自分の「キャラ」に合った生き方を選ぶべき

人生は攻略できる
橘 玲
ポプラ社
2019-03-07



読書好きの人なら、「amazonのカスタマーレビュー(評価)が分かれる本は良い本だ」ということに気付いている。本書『人生は攻略できる』も良い評価と悪い評価が分かれている。つまり、良い本なのだ。こうやってブログで薦める前に、既に何人もの仲間に薦めた。

悪い評価のコメントを見ると、「まとめ本」「焼き直し」「重複している」といったことを書いているが、こういうコメントを平然と書くヤツは、どんな本を読んでも、何も得られるものはない。世の中の多くの本が「まとめ」「焼き直し」「重複」なんだから。

本書は、橘玲氏がこれまでに何冊か上梓した人生設計についての本を、若い読者に向けてシンプルにまとめたもの。橘玲氏の『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』という本(初出は2002年)は、私の人生を変えた本のうちの一つであり、その後上梓された本からも相当の影響を受けている。当然、それらの何冊かの本の「まとめ」「焼き直し」「重複」だからこそ、1冊の中に濃縮還元された高い価値がある。

タイトルの通り、人生を攻略する方法が書かれている。

仕事もプライベートも含め、どうしたら幸せな人生を送れるのか。誰しも考えることであると思うが、誰しもが理詰めで攻略できる方法を知っている訳ではない。私は、過去の橘玲氏の本か講演か忘れたが、「キャラ」というコトバを使っていたことに共感したことがある。人それぞれに「キャラ」がある。その「キャラ」に合った生き方を選ぶべきなのだ。それが、すなわち「自分らしい」生き方になる(本書ではP42〜参照)。私が「自分らしさ」を大切にしているのは橘氏の影響が大きいかもしれない。

そうやって、仕事も働き方も、人間関係も友情も、自分で選んでいけばいい。

本書にこんな話が載っている。
橘氏がバリ島に行った時の話。

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夕方にネットカフェにいくと、サーファーズを終えた欧米の若者のたまり場になっていた。彼らは夕方からネットカフェで仕事をするという。不思議に思って橘氏が「いまから仕事?」と若者に訊いてみたら、「時差があるだろ」「ヨーロッパはちょうど朝の9時なんだ」と。

彼がいうには、毎日会社に通うのはもちろん、せっかくいい波が来ているのに朝から働くのはバカバカしいしい。でも、海外に場所を移して時差を利用すれば、夕方までサーフィンを楽しんで、それからちょっと働いて、真夜中になったら踊りにいくという理想の生活が実現できるというのだ。

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海外旅行は長期の休みが取れる時に行く(もしくは定年退職してから行く)という考えが、日本人のガラパゴス的な考えなのかもしれない。東京でも東南アジアでも白人のバックパッカーがPCで仕事をしているのを見かける。

幸福の土台である自らの「資本」を活かしながら、どのような生き方を選んでいき、人生を攻略するべきか。橘氏の本を読んだことがある人も、ない人も、一読の価値はある。

ありがとう

言葉は力 2018
藤尾秀昭・編
致知出版社
2018-09-27



結構真面目に時間をかけて書いたブログのエントリーは大してアクセス数は伸びず、数分で軽〜く書いたエントリーはアクセス数が突き抜けたりする。訳分からん。

まぁ、アクセス数なんてどうでもいいので、昨日『致知』の話をした流れで、今日は『致知』の本をご紹介。

この本は、雑誌『致知』創刊40周年記念として出版されたもの。読者が『致知』から特に感銘を受けた言葉を選び、それを編集したもの。編集者の藤尾秀昭さんってのは、致知出版社の社長さん(ご存知ない方は画像検索してみてください。)。

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ある読者がピックアップしたこの言葉は何度読み返しただろうか。

大きなことを成し遂げるために
力を与えて欲しいと神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった

(中略)
成功を求めたのに
得意にならないようにと、失敗を授かった

(中略)
求めたものは何一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられていた
私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ

(2007年3月号特集「命の炎を燃やして生きる」より)


もう一つ。

つらいことがおこると
感謝するんです

これでまた強くなれると
ありがとう
悲しいことがおこると
感謝するんです

これで人の悲しみがよくわかると
ありがとう
ピンチになると感謝するんです
これでもっと逞しくなれると
ありがとう

(2014年5月号 ヒューマンウェア研究所所長 清水英雄)


この清水英雄さんの言葉をピックアップしたのは、71歳の読者。本書には、この選者の想いも綴られている。仕事では一営業マンから社長にまで上り詰めたが、家庭では、長男は統合失調症、アルコール依存症、宗教依存症、次男はギャンプル依存症、ローン地獄、妻はステージ4の手術不可能といわれた膵臓ガンだった。しかし全てに真正面から向き合い、克服してきたという。

人生は不条理なものだ。思い通りにいかなくて当たり前思い通りにいったら奇跡。「起こることは正しいこと」とはとても思えないが、「人生において意味のないことは起こらない」とは思う。人は誰しも不条理な境遇にありながら、ひどく落ち込む人もいれば、陽気に寛容に振る舞える人もいる。結局、条理か不条理か、幸福か不幸かは、「心の問題」なのだ。今の不条理をどう解釈すればいいのか。上の2つの言葉はそれを教えてくれる。

今日で東日本大震災から8年。あの日、罪もなき多くの方が亡くなり、多くの方が悲しみに暮れた。過去に起こったことは変えられないが、その意味付けは変えられる。その意味付けが、自分の選んだ人生なのだ。

人間学の探求

致知出版社


6日の朝刊に致知出版社の全面広告が載っていた。雑誌『致知』の創刊から41年も経ったらしい。私が『致知』を定期購読をした後に創刊30周年の全面広告を見た記憶がある。書店で売ってない雑誌に全面広告、しかも創刊30年・・・すごいなぁ!と驚いた。あれから11年も経ったのか。会計・税務の専門誌以外に10年以上も定期購読している雑誌は『致知』だけだ。

10年前は「人間学の探求」というものに少し背伸びをして読んでみたに過ぎない。10年前の私は、まだ自分の生き方・働き方に揺らぎがあったので、世界を代表する経営者・著名人や、角界の代表者・成功者がどういうモノの見方・考え方をしているのかを覗いてみたかったという知的好奇心のようなものが湧いていた。『致知』を読むと、これまでビジネス書で知った経営者像・成功者像とは全く違う世界があることを知った。それが「人間学」だ。彼らは、人物を創っている。人はいかにあるべきか。人はいかに生きるべきか。どのように精神を鍛え、どのように運命を開くのか。これまで考えたこともなかったようなことが、毎号、書かれている。「致知の何が面白いんだ!」と言われたことは何度もあるが、浅学非才の私には新鮮過ぎる内容に思えた。

『致知』と出会った頃に中国古典を読み始め、東洋哲学、東洋思想、西洋哲学、西洋思想などにも関心をもつようになった。安岡正篤や森信三というとんでもない人物を知り、彼らの本も読み漁った。人生の原理原則のようなものが薄っすらと見えてきた気がする。「右手に論語、左手に算盤」ではないが、「右手に哲学・思想、左手に会計・マーケティング」が必要なんだろなと。

とはいえ、私はまだまだ人間として欠陥だらけであると自覚しているが、汝自身を知ることはできるようになったかもしれない。ちなみに、安岡正篤は自己を自覚することを「自得」といい、すべての出発点だともいっている。50歳で仕事を一区切りさせようと思っている今、ようやく出発点に立ったな、という感覚でいる(ホントに)。

『致知』の最新号(2019年4月号)の特集は「運と徳」というテーマ。運がいい、運が悪いというのはたまたまかもしれない。けど、人徳ある者に幸運がやって来るものではないだろうか。本誌に、私の好きな「易経」の一文が載っている。(P38、SBI北尾CEOへのインタビュー記事より)
『積善の家には必ず余慶(よけい)有り。
 積不善の家には必ず余殃(よおう)有り。』

(善行を積み重ねた家には、その功徳により幸せが訪れ、
 不善を積み重ねた家にはその報いとして災難がもたらされる。)

善を積むといっても修行僧のような生活をするつもりはない。世俗的な成功にも興味がない。富や名声にも興味はない。しかし、残りの人生、左手の世界(会計・マーケティング)から右手の世界(哲学・思想)にライフシフトし、また違った貢献をしたいと考えている。『致知』とのひょんな出会いがなければこんなことは考えなかったかもしれない。これも運だと思う。いつかは致知出版社から本を出せるような人間になりたいとも思うし、それが50個ある夢の一つでもある。

(※画像は致知出版社のブログより拝借しました)

『読む時間』

スティーヴ・マッカリーの「読む時間」
スティーヴ・マッカリー
創元社
2017-09-26



とあるブックカフェで見付けた写真集『読む時間』

読書にふける人々のスナップ写真だけを納めたものだが、心が打たれ、買ってしまった。

世界各地の図書館、公園、路上、自宅・・・で、人々が読書にふける姿が撮られているだけ、といえばそれだけの写真集。私が時間を忘れる程にこの写真集を眺めていたように、被写体の人々が夢中で本を読んでいる。これまで人々が本を読んでいる姿なんてまじまじと眺めたことはなかったが、その姿や表情は何とも美しいということに気付かされた。人々が本を読んでいる、というより、本が人々を吸い寄せているのではないか、とも思わせるような作品ばかり。

時に気に入ったのが、この写真。


読む時間


カンボジアのバコン寺院で撮られたものらしい。仏教の僧侶たちが修行の合間に勉学に励んでいるのだろうか。机の前や椅子の上ではなく、雑草がボーボーに生えている古びた寺院に置かれた岩の上というのがまた良い。そんな場所でも読みたい何かがあったのだろう。

この写真集には、こういったシチュエーションで撮られたものが多い。所かまわず、ちょっとした空き時間に、手元に活字があったから読んでいる、というような。バーカウンターであろうが、ボンネットの上であろうが、立ちながらであろうが。

日本の大学生の53%は1日の読書時間がゼロらしいが(全国大学生協連公表、2018年2月)、活字に飢えるということがないのだろうかと不思議に思う。ネットに向き合う時間を、読書に充てれば、どれだけ人生が豊かになるんだろうか…。

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ちなみに、この写真集は、1971年にアンドレ・ケルテスという写真家が出版した『読む時間』という写真集のオマージュとして発売したものらしい。驚くことに、上の写真集の写真家・スティーブ・マッカリーがNYに移り住んだ時に、同じビルにアンドレ・ケルテスが住んでおり、そこでの出会ったという。そんなことがあるのか。

ということで、アンドレ・ケルテス『読む時間』(原題「On Reading」)も購入。


読む時間
アンドレ・ケルテス
創元社
2013-11-13



こちらは1915年から970年までの間に撮影された作品なので、古い写真が多いが、それだけに味がある。昔から人々は活字に夢中になっていた。その瞬間をケルテスは絶妙にとらえている。

この写真集の中で一番気に入ったのが、この写真。


読む時間


1969年にNYのワシントンスクエアで撮影された作品。

人々がスマホに向かっている姿を見ても何とも思わないが、本と向き合っている姿が美しいのはなぜだろう??
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