公認会計士武田雄治のブログ

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おすすめの本

佐藤正午著『月の満ち欠け』(岩波文庫的)

月の満ち欠け


佐藤正午さんの直木賞受賞作『月の満ち欠け』が文庫化。
この週末に読了。

めちゃくちゃ面白かった。

佐藤正午さんはすごい作家だと思う。
以前読んだ『鳩の撃退法』も頭の中が交錯するすごいストーリーだったが、本書も頭の中が交錯しまくりだった。佐藤正午さんの本を読む時は、ペンとメモが必要かもしれない。

単行本刊行から2年の作品を「岩波文庫」に入れられないからと岩波文庫的に文庫化され、巻末には伊坂幸太郎さんの「解説お断り文」をそのまま載せるといった、岩波らしくないお茶目さも最高でんな。

直木賞を受賞すれば、岩波をも動かすのか。
左下のマークまで月の満ち欠けになってるし・・・。


岩波文庫的 月の満ち欠け
佐藤 正午
岩波書店
2019-10-05

加藤諦三著『どうしても「許せない」人』 (ベスト新書)

どうしても「許せない」人 (ベスト新書)
加藤 諦三
ベストセラーズ
2008-01-09



感情をもつ人間である以上、「絶対に許せない」「死んでも許せない」ということは、いくらでもある。
(略)
だから、人間である以上、「絶対に許せない」ことがあるのは自然なことだ。
(略)
しかし、つらいことを乗り越えてそのことに向き合うことは重要である(P126)

心理学者 加藤諦三氏の本は何冊か読んできたが、どれも気付きが多く、参考になる。

「許せない人」がいることに対して、「許せ」「忘れろ」と書いている本もあるが、私はしっくりこない。それが簡単に出来るなら悩みなどない。「喜怒哀楽」があれば、「許せない」こともあるのが当然ではないか。本書では、序章から「『許せない』と思うことは心理的に正常である」(P8)と述べている。但し、「許すべき人」と「許してはいけない人」があり、「許してはいけない人」として、人を騙す人などを挙げている(P6)。

著者 加藤諦三氏は、人を騙す人とは、以下のような者だという。

●騙す人は自分のことしか考えていない(P83)
●それでいて自分がひどいことをしているという意識はまったくない(P83)
●自分が騙した人がどれだけ傷つき、苦しみ、滅びていっても、何も感じない(P84)
●人に同情するということは一切ない(P84)
●彼らにとっては他人は人間ではなく、ものなのである(P84)
●(彼らにとっては)蟻を潰しても、大きな動物を殺すほど心は痛まないのと同じこと(P80)
●騙す人は普通の善良な人の感覚がない(P80)
●人を騙す人に幸せな人はいない(P82)

こういう者を「許せない」と思うのは、上述の通り、正常なことである。この時に大切なことは、「許す」ことではなく、「憎しみを乗り越え、命をまっとうすること」である(P89)。憎しみや復讐のために自分の時間・人生を無駄にしてはいかない(P146〜)。憎しみの感情をコントロールできるかできないかで人生は決まる(P173)。

著者は、このように述べている。
自分を騙した人を憎んでいるうちはまだ地獄である
憎しみがなくなって、心が落ち着いたとき、はじめて自分が「地獄にいた」ということが分かる。地獄にいるうちは自分が地獄にいるということが分からない。

そして、それを乗り越えて、はじめて自分を騙した人を心の中で断ち切ることができる
心底「あんな人はどうでもいい」と思える。無理なく「あの人は自分とは関係のない人」と感じる。感情的に離れることができる。
(P8〜)


また、このようにも述べている。
自由とはしたいことをすることではない。
(略)
大いなる自由とは、深く傷つき、生涯復讐の鬼となって生きるだろうと思われていた人が、その憎しみを乗り越えて、今を生きられることをいうのである

人間の自由とは、どこまでその憎しみを乗りこえられたかということである。
自分だけが自分の人生を決めることができる
(P151)

この憎しみを乗り越えるのに大切なことは、それに対する「意味付け」であろう。
(※ これについては、先日、上田紀行著『かけがえのない人間』の書評において、「怒り」について書いた時の話とも通じる)

なぜそのようなことが起こったのか、自分に弱みがあったのではないのか、自分の側にも問題があったのではないか、被害者意識になっているだけではないか、これを学びに代えることはできないのか…といったことと向き合わなければならない(第5章参照)。

ここで、我々が気を付けなければならないことがある。それは、「許せない」という思いが、相手が自画像と合わないことや、相手が自分の要求通りに従わないことによる、神経症的な怒りや、欲求不満的な怒りになっていないかどうか。世の中には、こういった神経症的傾向が強い人がたくさんいる。こういう神経症的な人が「許せない!」と言っているケースがあるが、こういうケースの場合、「許せない」という怒り自体を改めなければならない(P98)。怠ける子どもに叱り付けたり、欲求不満から異性に怒りをぶつけたり、淋しさを回避するために人を支配したり、相手の気持ちも考えずに正論をぶちまけたり・・・といったエゴイスティックなことを自分がやっていないだろうか。こういう場合は、「自分が変わる」ということが必要である(第4章参照)。

-----

人生は不条理である。思い通りにならないものである。
生きていけば、怒ることもあれば、許せないこともある。

私も、これまでの人生において、どうしても許せない人間が数名いる。人を騙すといったレベルではない酷い裏切り行為、邪悪な行為で私の心の安らぎを奪っていった者がいた。「許せ」と言われて許せる訳がない。

こういう「許せない人」のことを、忘れるのか or 忘れないのか、許すのか or 許さないのか、復讐するのか or 復讐しないのか、裁くのか or 裁かないのか・・・、正しい方法なんてない。大切なことは、仮に自分が破壊的な状況に追い込まれたとしても、精神面まで破壊されないことだ。著者がいうように、悔しさや憎しみや怒りを心の中で乗り越えなければならない

本書は数年前から私の座右の書のひとつであった。「許せない人」により感情が乱されそうになるたびにこの本を開いた。そして、私はこの言葉に何度も救われた。

騙される人は悔しくて眠れぬ夜を過ごすことがあるかもしれないが、心の底から笑うときもある。だが、騙す人は心の底から笑うときがない。(P81)

実際にその通りだと思う。

ひどいことをするヤツはいる。

そういうことをするヤツの気持ちを考えてあげられる「心のゆとり」をもっておきたい。

どんなにひどい虐待を受けても、それが外に現れずに、明るい顔をしている人が、将たる器なのである。(P129)




【こちらもオススメ】
伊集院静著 『追いかけるな  大人の流儀5』(講談社)
M・スコット・ペック著『平気でうそをつく人たち ―虚偽と邪悪の心理学』 (草思社文庫)
マーサ スタウト著『良心をもたない人たち』 (草思社文庫)

映画『蜜蜂と遠雷』

蜜蜂と遠雷


アポとアポの間が3時間ほど空いていたので、映画蜜蜂と遠雷を観に行った。映画館に行ったのは久しぶり。

原作は、史上初の直木賞と本屋大賞をW受賞した恩田陸の『蜜蜂と遠雷』原作を読んだ時、映画化して欲しいと思う一方で、映画化はムリじゃねーかとも思ったのだが、映画化された。

当然に原作通りではないので批判もあろうかと思うが、私は非常に良い映画だと思ったし、もう一度観たいとも思った。ネタバレになるから内容については触れないが、この作品から、音楽の美しさ以外に、色んな「ギフト」を頂いた。映画を観て「…って話だったのか…」と思う箇所が幾つかあった。

主演女優の松岡茉優さんという方を初めて知ったが、この女優の表情、演技力、鬼気迫る演奏にも引き込まれた。他のキャストも最適だと思う。

この映画はひとりで観に行ってよかった。
しばし、余韻に浸りたい。

岡田尊司著『死に至る病』 (光文社新書)




子育て中の母親 必読。


生物学的に、人に幸福を与える仕組み3つしかないらしい(P98)。
(この3つがないと、つらいことばかりなのだ(P100) )

 \戸的な満足、快感エンドルフィン系
  (ex) お腹いっぱい食べる、性的な興奮
◆|成感、報酬系の満足ドーパミン系
  (ex) テスト問題が解けた、マラソンに完走した等の「やった!」という快感
 精神的充足感オキシトシン系
  (ex) 愛、愛着

ここで、「愛着」の仕組みがうまく機能しない時(=による幸福が得られれない時)、人は以下の2つの行動により(代替的に)幸福を得ようとする。(P100〜)
 如短絡的にエンドルフィンを放出をさせることにのめり込む
  (ex) 過食、セックス依存
◆如短絡的にドーパミンの放出をさせることにのめり込む
  (ex) 薬物、ギャンブル、アルコール、買い物、ゲーム等への依存


はしょって書いたが、これで、精神病とも神経症ともつかない現代の奇病の「原因と結果」がハッキリと分かるだろう。

あらゆる依存症、過食嘔吐、摂食障害、ADHD(注意欠如/多動性障害)、うつ、躁うつ、境界性パーソナリティ障害、解離性障害、気分変調症、発達障害・・・といった現代社会で異様に増加し続けるこれらの症状は、「愛着障害」が関わっていることが明らかになっている。


私が、冒頭で「子育て中の母親 必読」と書いたのはなぜかといえば、これらの症状が、中高年ではなく、子どもに急増しているからである。その理由は、書き始めると長くなるので省略するが、先日紹介した上田紀行著『生きる意味』に書かれている戦後の「生きる意味」の喪失感に通じるものがある。戦後の利益主義、効率主義が無機的社会を生み、親子の絆さえもバラバラに粉砕したケースが増えてしまった(P156)。

私が「怖いなぁ〜」と思ったのは、子どもが「愛着障害」にあることの原因が、親との関係に問題があるということを、親の方が気づいていないケースが少なくないということ(P196〜)。一部の親は、親が子どもよりも賢明な方法や正しいことを知っているのだから、子どもにそれを求めることは当然のことだと思い、親が抱いた基準や期待に沿って子どもを動かそうとしている子どもはそれに内心反発し、心がつぶれそうになっているのに、我が子の心の声に気づかない子どもも自分と同じことを望んでいると勘違いしていることも珍しくない

子どもは、母親という「安全基地」(=頼れる場所)を求めている。しかし、母親の愛着が機能していないため、子どもにとって「安全基地」になれない子どもは、ありのままを愛されず、無条件の愛を与えてもらていないと感じる(=オキシトシン系の精神的充足感がない)。すると、上述した「愛着」の仕組みがうまく機能しない時の  のような異常な行動(ゲーム依存等)を取る。母親の方は、何が起きているのか、自分でもどうしていいのか分からないまま、自分の「常識」が通じない子どもに手を焼き、怒り、嘆き、叱り続ける(P198〜)。

このような子ども対して、親がしなければならないことは、子どもの「病気」を治すことではない(P188)。自分自身(=母親)が子どもの「安全基地」になれるようにサポートすることである(P189)。このような母親に共通することは「安全基地」になる能力に欠陥が見られることであり(P204)、「共感性」が乏しい(P206〜)。「安全基地」とは、あくまで最終的に本人を自立させることであるため、「ほどよい世話」「ほどよい関わり」ができなければならない(P204)。本人が求めてもないのに、口出し・手出しをすることは、危険が迫っているような時以外は控え、本人の主体性を尊重した対応を優先しなければならない(P206)。

母親がそういうことをせずに、子どもが依存しているものを取り上げるようなことをしたら、子どもにとっては生きながらえるのに必要なものを失うことになる。

するとどうなるか。

最悪の場合、「死に至る」
何をしても喜びが感じられない人間は死を選ぶ。

「死に至る病」からの回復は、愛着の安定と、安全基地を提供することである。



-----

最後に、最近流行りの(?)「自己肯定感」というコトバについて、とても共感したので備忘のために抜粋。

自己肯定感を持ちなさい、などと、いい年になった人たちに臆面もなく言う専門家がいる。が、それは、育ち盛りのときに栄養が足りずに大きくなれなかった人に、背を伸ばしなさいと言っているようなものだ。自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える。

一番大切な人にさえ、自分を大切にしてもらえなかった人が、どうやって自分を大切に思えるのか
(P20)



【こちらもオススメ】
岡田尊司著『生きるのが面倒くさい人 ―回避性パーソナリティ障害』 (朝日新書)
岡田尊司著『人間アレルギー ―なぜ「あの人」を嫌いになるのか』 (新潮文庫)
岡田尊司著『あなたの中の異常心理』(幻冬舎新書)
上田紀行著『かけがえのない人間』(講談社現代新書)
苫野 一徳著『』(講談社現代新書)
山竹伸二著『「認められたい」の正体』(講談社現代新書)
宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』 (新潮新書)
トッド ローズ著『ハーバードの個性学入門』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

書くこと

今日読んだ本に、とても共感できることが書いてあった。

書くとは、思いを相手に伝えることでもありますが、自分のなかにあって、自分でも気づかない思いを感じ直してみることです。
(若松英輔著『本を読めなくなった人のための読書論』(亜紀書房、P40)より)

その通り。

私は、「暇ができたらモレスキン」、「暇ができたらモレスキン」、「暇ができたらモレスキン」・・・と、心の中で自分に言い続けている。

あらゆる情報を1冊のノート(私はモレスキンを使っている)にまとめている。思ったこと、考えたこと、気づいたこと、反省点、振り返り、気になった小説の一文、取っておきたい新聞記事・・・なんでもかんでも1冊のノートに書き留めたり、貼り付けたりしておく。そのノートは常に持ち歩き、常に読み返す。思考を脳みそに擦り込ませるように。単に読み返すだけではない。色んなページを行ったり来たりしながら、ある日の思考と、別の日の思考を、ツナいでみたり、合わせてみたり、ズラしてみたり、関係性を考えてみたり、境界線を見つけてみたり、B案を考えてみたり、抽象化してみたり、ということを繰り返していく。それが新たな1ページのネタになる。そうやって「知」は移動する。

ノートに向き合い、自分と向き合い、考え抜くという時間を持つことにより、思考が思想や哲学に昇華されていき、自分の軸が出来上がっていく。特に、ネガティブな出来事があった時や、ネガティブな感情になった時に、じっくりとノートに向き合うことにより、自分の思想や哲学が編まれるのではないかと思う。

だから、出来るだけノートに向き合う時間を確保するようにしている(私の場合は寝る前の時間に1日を振り返ることが多い)。



この本には、こんなことも書かれていた。

「読む」ことを始めるために準備していただきたいのは、誰かがすすめた「ため」になる本ではなくて、何も書いていないノートと使い慣れたペンや鉛筆なのです。
(前掲書P34より)

これも同意。遠回りにみえる時間こそ、人生にとって大切な時間だと思う。







本を選ぶポイント

昨日(10/7)の日経朝刊より。

これもいい内容。




どういう本を選んだらいいか。ポイントは3つある。

まずは書店に行って面白そうなタイトル、すてきだと思う装丁の本を選び、本文の最初の10ページを立ち読みしよう。作者が一番力を入れて書いた部分が面白ければ、その本はきっと面白い。僕は毎週3冊くらい本を読んでいるが、最初の5ページで判断している。

2つ目は古典。何百年も市場で選ばれてきたのだからいいに決まっている。

3つ目は新聞の書評だ。大学の教授や芥川賞作家などのプロが選び、推薦しているからだ。書評を読んで面白そうだと感じたのなら、きっとあなたは推薦者と感性が合っている。

書店、古典、書評の3つは、私も本を選ぶポイントにしている。
書店は週数回は行く。書評は新聞だけでなく、書評サイト「HONZ」、書評ブログ「すご本」は欠かさずチェックしてる(新刊書を中心に紹介する書評サイト、書評ブログの購読・閲覧はやめた。興味がなくなってきた。)。

あとは、関心ある分野(これまで読んできた本の分野)と繋がりがありそうな関連本を片っ端から買ったり、読書好きの友達から紹介してもらった本を片っ端から買ったり・・・、そうやって積ん読の本が100冊以上はある。読み切れなくてもいいかと思い積み上げてるが、どこかでまとめて読んでみたいと思う。


最近、出口さんのこの本を買った。まだ全部読んでないが、分かりやすさが半端ない。つくづく、この人は化け物だと思う。

哲学と宗教全史
出口 治明
ダイヤモンド社
2019-08-08





【関連記事】
2018/10/4 「僕が本を読むのは『面白いから』、これに尽きます」(出口治明)

かけがえのない人間




先日紹介した上田紀行著『生きる意味』は、自分が「かけがえのない存在」であり、自分が本当に求めているものに従って生きていくべきだということを気づかせてくれた「かけがえのない本」である。

この本の3年後に上梓されたのが本書『かけがえのない人間』

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このブログで何度か書いてきたが、日本人の多くは「他人の目」や「世間」を気にする「恥の文化」の中で生きてきた。そこに他人からの「同調圧力」が加わり、「ありのままの自分」を見失い、虚無感や無力感に溢れる。人と違うことは素晴らしいことなのに・・・。

まず、我々は自分が『かけがえのない人間』であるということを認める(自己認識)というところから始めなければならない。

それは、具体的には、
 ●私は大切にされるに値される存在であるということ
 ●私は愛されるに足る存在であること
 ●私は思いやりを受けるに足る存在であること
 ●私は素晴らしい存在であること

を認めること。

著者は、「自分自身が大切にされるに値するものだということを認識できない人が、どうして人に優しくしたり(略)できるでしょうか」と言っているが(P51)、確かにおっしゃる通りだと思う。

では、「自分自身がかけがえのない存在だと扱われていない場合はどうしたらいいのか?」

実は、著者は、本書を上梓する前に、インドでダライ・ラマ14世と会い、5時間にわたって対談をしている(その内容は別の本に収録されているらしい)。この時に、著者はダライ・ラマにも同じ質問をしている。ダライ・ラマの答えは、私も驚いたし、著者も驚かされたという(P45)。

ダライ・ラマの答えは、「怒るべきだ」


ダライ・ラマは、怒りには2つあるという(P44〜)
 1つは、慈悲から生じる怒り(=愛と思いやりから生じる怒り)
 1つは、悪意から生じる怒り(=誰かを傷つけたいという怒り)


「悪意から生じる怒り」は、破壊的であり暴力的であるから、当然良くない。しかし、「慈悲から生じる怒り」は、「正当な怒り」であり、「持つべき怒り」であるという(P46)。社会的に正しくないこと、差別・暴力に対しては、無関心であってはならず、強い怒りを持つことは当然である(P45)。また、尊重されるべき人間が危険に瀕していたり、苦しんでいたりということに関しても、愛と思いやりから生ずる怒りが湧き上がるのは正当なものである(P46)。

そのため、自分のかけがえのなさを奪っているものがあれば、泣き寝入りするのではなく、自分自身を思いやり、慈しみ、時には怒りを持って自分も社会も変えていかなければならない(P52〜)。

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「怒り」というと、ネガティブなことであり、良くないことのように言われることもあるが、人間はネガティブな出来事があった時に、自分なりの思想・哲学を編むものではないかと思う。著者も、「かけがえのなさ」に気づく大きなチャンスだと言っている(P207)。大切なことは、ネガティブな出来事が起こった時に、その出来事がどんな意味を持っているのかという「意味付け」ができるかどうか(P206参照)。

これまでの人類の歴史を振り返れば、そこに常に争い、暴力、戦争があり、色んなものを奪い合ってきた。しかし、ひとり孤独に生きている人はいない。著者もダライ・ラマも、人間の根底には、愛と思いやりがあり、それが社会を支えているという(第1章、第5章参照)。しかし、「愛されたい」と思うだけではいけない(P235)。愛と思いやりは受け身でもなく、押し付けでもないから。「どうしたら愛されるのか」ではなく、「何を愛して生きるのか」を考えること、それが「かけがえのない人間」という自己を確立することになり、自分や社会を変えることになる

愛される人から愛する人になれ。

これが本書のメッセージであり、最近出版された新刊書でのテーマでもある。


FACTFULNESS

FACTFULNESS


色んな人から薦められ、橘玲氏の本でも引用されていた『FACTFULNESS』

ようやく読み始めたが、読み始めたら止まらない。これはおもしろい!

事実(FACT) はひとつ。解釈は無限。
我々の多くが、いかに思い込みや解釈で生きているかを痛感する。
そして、マスコミの報道等も事実(FACT) ではないことが多いということも分かる。
識者といわれる人たちも事実(FACT) を分かっていないということも分かる。

これは読むべし。そして唸るべし。

ちなみに、バンコクを「汚い」「貧しい」「不潔」な街だと思っている人が少なくないが、それはおそらく10年〜20年前のバンコクのイメージが伝染しているのかもしれない。事実(FACT) ではない。場所によっては東京の方が「汚い」「貧しい」「不潔」だし、場所によってはバンコクは新宿を超えている。

思い込みや解釈は恐ろしい。




哲学的に「愛」を論じる

愛 (講談社現代新書)
苫野 一徳
講談社
2019-08-21



苫野一徳(とまの いっとく)氏。30代の哲学者。
私と同じ関西学院高等部出身だが、大学は早稲田。かなり珍しい経歴。

本書は、哲学的に「愛」を論じている。

著者は、広義の「愛」には、々イ、愛着、0Α↓た燭琉、という段階があると考えているようである。

,鉢△涼奮は、エゴイズムや執着がある。
やい涼奮は、エゴイズムや執着を超えたものである。

では、の「愛」とは何なのか?

この文章がポイントかと思う。
・・・「執着」に囚われることさえなければ、そのような意志を持つことができれば、わたしたちは、自らの「愛着」をそのような「愛」へと育て上げていくことができるのではないか・・・
(P64、赤字箇所は本書では傍点)

つまり、「愛」とは、
(=湧き上がってくるもの)だけではなく、
(=意志しうるもの)である(P195参照)。

そして、フロムの名著『愛するということ』を引用しながら、「愛」とは、他人への依存心、他人を利用しようとする欲求、ナルシシズム的な要素を超えたものであり、我々は理性の力によってナルシシズムを克服しなければならないという(P200〜)。

しかし、現実的に、理性の力のみによってナルシシズムを克服することは難しい。
ナルシスティックな人間は、理をもってナルシスティックだから。

では、そういう人は、「愛」やぁ嵜燭琉Α廚謀達することはできないのか?

ここで、私がこのブログで何度か書いてきた「存在承認」がキーワードとなる。
つまり、著者は、存在をそのまま承認してくれる人との出会いが、ナルシシズムを克服する最大の契機となり、それが「真の愛」への最大の契機になるという。

「あなたはOK、それでOK」と言ってくれる存在との出会いは、わたしを反動的ナルシシズムから救い出し、「愛」の可能性の条件を切り開いてくれるに違いない。親、保護者、教師などの一つの存在意義は、ここにこそあると言うべきだろう。(P205)

以前も書いたとおり、人は「存在承認」が得られなければ、人間関係が面倒くさくなったり、世間から逃避したくなったり、ひきこもりたくなったりするものだ。自分の存在意義を見失い、生きることも面倒くさくなる。逆にいえば、「存在承認」が得られれば、そこに笑顔が生まれ、愛が生まれる。

つまり、「存在承認」をしてくれる人を、理をもって、意志をもって、愛することが「真の愛」なのだ

愛は受動的な感情ではなく、能動的な活動である。
そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込むもの」である。
愛は何よりも与えることであり、もらうことではない

(エーリッヒ・フロム『愛するということ』より)

「真の愛」とは、愛する女性の美しさや才能を失ったとしても、私への愛を失ったとしても、亡くなったとしても、その人のことを変わらずに愛し続けることだ(P209参照)。

だから、「無条件の愛」「無償の愛」は、本来の「愛」ではない。「真の愛」とは、「存在承認」をしてくれる人を、理をもって、意志をもって愛することによって、その愛に条件などないと意志しうるものなのだ。

本書は、そういうことが難し〜〜く書かれている。哲学者っぽく。


【関連記事】
2019/3/12 無償の愛

生きる意味

生きる意味 (岩波新書)
上田 紀行
岩波書店
2005-01-20


この本の初版は2005年。その頃、かなり話題になったと記憶してる。

先日紹介した、山竹伸二著「『認められたい』の正体」(講談社現代新書、2011)を読んだ後に、本棚から十数年ぶりに本書『生きる意味』を取り出して、再読した。

この本は、こんな一文で始まる。

私たちがいま直面しているのは「生きる意味の不況」である。

どういうことか。

戦後の日本人は、「他の人が欲しがるもの」=「私の欲しがるもの」であった。三種の神器(洗濯機、TV、冷蔵庫)や、マイホーム、クルマ、ブランド品などを手に入れることが「生きる意味」となっていた。そのため、「他者の欲求」を生きることを無意識に植え付けられていた。しかし、バブル崩壊とともに、そのような人生観も崩れ去った。

だが、「他者の目」を強く意識しながら行きていた日本人の自我の構造はそう簡単には変わらない。ルース・ベネディクトが『菊と刀』(1948)で指摘したとおり、欧米などの「罪の文化」と対比し、日本は「恥の文化」である。

常に「他人の目」「世間」を強く意識するから、日本人は「人生の質」より「数字」を優先し、「数字」を信仰してきた。年収、年商、偏差値、点数、寿命・・・など、数値が大きければ良いと信じてきた。しかし、「数値」を追いかけなればならない動機が明確でないのに、常に数字を追い求めるから、「生命力」を失っているのではないか。

例えば、親は子供に「そんなことをしていたら世間では通用しないのよ!」と他人と比較するような躾をする。一見愛情深い親を装っているが、「条件付きの愛」を押し付け、親の期待に沿う「いい子」に育てているにすぎない。子供は「ひとりの人間」であることを無視されるため、自尊心を傷つけられ、いつまでも大人になりきれず、無力感と虚しさにうちひしがれる。

また、病気になると「寿命が一年でも伸びるならそのほうがいいじゃない」と患者側でも安易な選択を繰り返してきたため、検査漬けの生活を送ることになる。抗がん剤治療を行った結果、辛い闘病生活に入り、人生を振り返ることすらできずに他界される人は少なくない。

経済が成長し豊かになってきたが、そこに「中身」がないと感じる人が多いと思うそれは「他人の目」や「世間」を意識しすぎるあまり、自分自身が「かけがえのない存在」ではなく、(誰とでも交換可能な)「どこにでもいそうな存在」に成り下がっているからだ。数字や効率性を追い求めすぎた結果、生きる意味を見失っている。

これが、著者のいうところの、戦後日本の「生きる意味の不況」の正体・原因なのだ。

いまは「モノの時代」ではないし、数字や効率性を追い求める時代でもない。いったん立ち止まって「人生の質」(Quality Of Life)を追い求めるべきである。そこには「他人の目」や「世間」を意識する必要はない。自分自身の心に素直になって、自分が本当に求めているものに従って生きていくべきである。著者はいう。「誰でも自分の人生を創造することができるのだ。あなたはあなたの人生の主人公なのだ」(P137)と。

私たちは、他人と比較するのではなく、「成長を内側から見る目」が求められている(著者はこれを「内的成長」と呼んでいる。P143)。それは、自分自身の「喜び」や「苦悩」に向かい合うことであり、抑圧された自分自身から「我がまま」に生きることへの転換でもある(第6章、第7章参照)。

モノの時代から心の時代になったと言われるが、我々は「内的成長」を繰り返し、自分自身が「かけがえのない存在」だと意識できているだろうか。自尊心を取り戻しているだろうか。親、家族、恋人などから「無条件の愛」によって愛されるに足る存在だと知ることができてきるだろうか。

個人が「内的成長」により自律し、さらに、互いの存在を承認し、互いを尊重し合える関係・社会になれば、非常に幸せだと思う。私もそういう人間関係を求めてやまない。


プロフィール
公認会計士 武田雄治


●武田公認会計士事務所 代表

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