今日は、京都四条の顧問先へ。
覚悟はしていたが、京都は暑すぎる。
熱波を浴びているような暑さだった。
顧問先の社長と新規事業立ち上げの打ち合わせをし、その後、行きつけのワインが美味しいお店へ。
いつもサーブしてくれるKさん、ソムリエ試験の受験勉強中だが、1次試験は突破したらしい。おめでと!
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そういえば、昨日(8/27)のYouTube Liveの後、梅田で行ったワインバーが最高に良かった。
これまで関西に40年以上住んでいたが、梅田で美味しいワインが飲める店はないと思っていたので、梅田を避けていた。が、やっと見つけたよ。しかも阪急梅田の高架下。しかも100回以上通ったことがある所。灯台下暗しだ。
グラスワインでも十分美味しかったし、食事も美味しかった。
リピ確定。
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昨日(8/27)の「春秋」、いい文章だ。
どこで読んだのか忘れたが、夏休みの終わりに学生の自殺が増えるらしい。学校に行きたくない人が命を絶つのだろう。気持ちは理解できる。私も学校に行くことは苦痛でしかなかった。
学校に行くことへの苦悩に限らず、何かとコンプレックスを抱えた学生時代を過ごしてきた。それは社会人になってからも消えることはなかった。
ある時、上の「春秋」でも取り上げられている平野啓一郎氏の『私とは何か』という本を読んで、随分と救われた。平野啓一郎氏は、この本の中で、自分の中に複数の「分人」が存在し、どちらの「分人」も自分であり、付き合う人によって違った自分が引き出されるということを述べている。
自分が相手によって変わるのではなく、付き合う人によって違った自分が引き出される。だから、自分が最も愛する人とは、最もいい自分の顔(人格)を引き出してくれる人だ。だから、平野氏は愛をこのように定義している。『愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ』(同書P138)。これ以上にしっくりくる愛の定義はない。そういう人は大切にすべきだと思う。
大学の前期授業を受講してくれていた女子学生から相談を受けたことがある。
「20人が在籍するゼミのメンバーと打ち解けることができず、飲み会があってもうまく話すことができない。楽しさよりも疲れを感じる。そんな状況なのでゼミ合宿も欠席した。もうゼミを辞めようかとも思っている。先生が同じ立場だとしたらどのような選択をなさいますか?」
そんな内容だった。
私も大学時代は20人くらい在籍するゼミにいたが、その中で話したことがある人は4人しかいなかった。あとのメンバーは、1年間、一言も話したこともない(でも、その4人は今でも仲が良い)。
みんな、そんなもんじゃないのかな。
学生時代だけでなく、会社に属しても、全員と気が合うことなんて有り得ないし、「友達100人できるかな?」なんて、出来る訳ない。協調性なんて考えなくていいし、ムリに協調しようなんて思わない方がいい。性格を変えようなんて思わない方がいい。「割り切り」が必要。自己チューでいい。うまく付き合える人とうまく付き合っていけばいいのだ。そういう人と、笑顔で心を開くように心掛けておくだけでいいと思う。
なので、私はその学生にお伝えした。「ゼミは続けた方がいい」と。「『所属はするが、依存はしない』という距離感でいとけ」と。
今後、社会に出ると、色んな所に「所属」する。その都度、気が合わないからといって辞める訳にはいかない。友達も、大切な人も、数名もしくは1人、いたらいいじゃないか。大切にしてくれる人を大切にし、大切にすべき人も大切する。それが一番幸せだと思う。不特定多数と仲良くするが、大切な人を大切にしない人は多い。そういう人とは距離を置くか縁を切るべきだ。
人間関係で悩んでも命まで断ち切ることはない。
他人は他人。自分は自分。別人格。
自分らしく生きていこう。
自分自身を愛しよう。
自分自身を愛させてくれる人を愛しよう。