NYに住んでいた映画監督 想田和弘氏は、2020年春、日本へ一時帰国した。しかし、コロナの影響により飛行機が飛ばなくなり、NYへ帰れなくなったため、妻の実家のある瀬戸内海に面する港町 牛窓に滞在する。その時の奇妙な快感・安堵感から、27年間住んだNYからの撤退と、牛窓への移住を決める。

牛窓に移り住んた想田氏は、詩人の山尾三省氏の『アニミズムという希望』という本に出会い、2つの時間があることを知る。

1つは、「文明の時間」(直進する時間)、もう1つは、循環し回帰する「自然の時間」(循環する時間)

前者の「文明の時間」にいると、昨日より今日、今日より明日と進歩し、後退することはない。スマホやPCの性能が進化し続けるのも、我々が働き続け、稼ぎ続け、馬鹿高い家賃を払い続けるのも、常に直線的で一直線に前に進むことが、世の中の主流の「価値観」だからだと言えるだろう。

しかし、大都会にいる人間以外の人間や、動物や、魚や、昆虫や、木や、草など、生きとし生けるものは、もれなく「自然の時間」(循環する時間)を生きている。地球は自転し、朝昼晩、春夏秋冬、生老病死を48億年前から変わることなく、このサイクルを回り続けているではないか。

つまり、直進する時間に生きているのは、一部の人間だけなのだ。直進する上でライバルがいないから、独走し、地球の支配者のように傲慢に振る舞い、我が物顔をして地球・環境を破壊し尽くしてきた。

想田氏がNYを撤退し、牛窓に移住したことは、直進する「文明の時間」から撤退し、循環する「自然の時間」とともに生きることだったのだ。

これは決して後退ではなく、自然の時間を主体に生きていくことであり、進歩や拡大への飽くなき渇望からの解放であり、自由になることである。

コロナ禍においても、人類は文明の力を使い、ウイルスを力づくで抑圧しようと大混乱に陥っているが、私たち人間も自然の一部であることを思い出すべきだろう。

ここまでは、『撤退論』という本の中の想田和弘氏の寄稿文を(一部編集の上)要約したもの。関心がある方は全文を読んで欲しい(13ページだけなので)。

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私も今年いっぱいで大阪を撤退し、沖縄に完全移住する。「なぜ?」とよく聞かれる。想田和弘氏の寄稿文を読んで、理由が分かった。際限なく成長を求める「文明の時間」から撤退したかったのだ。自分らしく生きていける環境を探していたら、私の場合、たまたま沖縄にハマった。想田和弘氏が牛窓への移住を想起した時に、「重い荷物を地面に下ろすような安堵を覚えた」と書いているが、まさに私も同じような感覚だった。

これからは、循環する「自然の時間」を意識しながら、これまでとは違う経験・体験をしていければと思う。



撤退論
平川克美
晶文社
2022-04-26