コロナ禍において、一部を除き、多くの書店がシャッターを下ろした。政府の定義する「生活必需品」に本が入らないことに、「なぜ?」と思ったのは私だけではないと思う。
書店で働く人達ももどかしい気持ちだっただろう。「誰も来店でいない店頭で誰にも開かれることのない本を入れ替え、出版社に返品するのは、一体誰のための仕事なのか」(P10)と、(昨日も紹介した)梅田 蔦屋書店で人文コンシェルジュされている三砂慶明氏は、本書『本屋という仕事』の冒頭で記している。
しかし、時代の転換期は、何かが失われる一方で、新しく生まれるものもある。これからの書店の現場で何が生まれようとしているのか。その問いに、17人の書店員が寄稿と鼎談で答えている。
我が国の書店の数は、この20年で半減した。「若者の読書離れ」が原因だと言われるが、「若者の読書離れ」という言葉が初めて確認されたのは、今から45年前の1977年のこと。45年前20歳だった人は、現在65歳になっている。そう考えると、現役世代はすべて「若者の読書離れ」世代といえる(P203参照)。さらに、近年はamazon、電子書籍が浸透してきた。そんな環境の変化に晒されながら、書店を営むということは、一種の信仰であり、狂気であり、根拠なき希望なのかもしれない。
熊本で「橙書店・オレンジ」という書店を営む田尻さんという方の寄稿が印象に残る。田尻さんの書店は、「弱者の本ばかり置いているね」と言われたことがあるらしい(P61)。なるほど、世の中には「弱者の本」というものが一定割合あるような気がする。この田尻さん、「どんなジャンルの本が置いてありますか?」と問われると、ちょっと気持ちが萎えるという(P60)。なぜなら、一冊の本を読んだだけで人生が一変することはないし、読んだだけで成功するなら誰も苦労はしない。田尻さんは言う。「一冊の本にではなく、読んできた一冊一冊すべての本に何かしらの影響を受けるのではないだろうか。気に入らなかった本にすら。」(P60)そう、気に入らなかった本にすら、影響を受け、救われることがある。
本書で、蔦屋書店の北村さんとう方が「本屋は全てセレクトショップです」(P81)と言っている。だからこそ、書店員の「選書眼」が重要になる。書店員は、出版社・卸から届いたダンボールを開け、書棚を整えるところから仕事が始まる。その時に、その書店員の想いが棚に並んでいるのだ。
本が好きな方、本屋が好きな方にとって、本屋で本棚を眺め、背表紙を眺める時間も読書の時間。書店員の想いを読み取りながら、書店員の信仰、狂気、希望を(行間ならぬ)”棚間” ”本間”から読み取る時間も貴いものだと思う。
本屋を訪ねよう。
本は、本屋で買おう。