ホーチミンの市街地から北に約70kmの場所にある「史跡クチトンネル(クチの地下道)」へ行ってきた。以前から行ってみたいと思っていたところ、昨夜合流した顧問先の社長が、ベトナム人の知人Rさんと共に、私のために仕事を休んでアテンドをしてくれることになった(マジ感謝!)
ホーチミンの市街地からGrabでタクシーをチャーター。1日チャーターして、1,300,000VDN(7500円)。片道2時間の旅。
クチ(Củ Chi)という街はどこにでもありそうな自然が広がる田舎街であるが、 ここがベトナム戦争時は激戦地だったのだ。このクチの熱帯雨林の地下には全長約250kmものトンネルが掘られ、アメリカ軍を翻弄させた(攻略できなかったアメリカ軍は、ダイオキシンを含む化学物質や枯葉剤を大量に散布することになる)。
戦争時に使用された戦車、飛行機などが生々しく残っている。とにかくデカイ。
敷地内には、これ以外にも武器、兵器、米兵を撃退するために仕掛けられた落とし穴なども残されている。

米軍による爆弾の跡も残っていた。直径10mくらいの大きな窪みが至る所にあった。
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クチトンネルに到着したら、まずはベトナム戦争時の記録映画を鑑賞する。英語字幕付き。
そして、いよいよ地下トンネルへ。
敷地内に見学ができる地下トンネルは2ヵ所があり、観光用に広げられた一部のトンネルには実際に入ることもできる。
大人ひとりがギリギリ入れる幅。
階段はかなり急な勾配。
内部はこんな感じ。高さは1.3m位だろうか。
気温は36℃位あるし、腰をかがめながら歩かなければならないし、数m歩くだけでも結構つらい。しかも、頭や肩を何度も壁にぶつけながら歩くことになるため、痛い…。
とはいえ、これは観光用に広げられたトンネルであり、実際に使われていた地下トンネルは、米兵が入って来られないよう、もっと狭く造られている。
これが、その狭いトンネル。
今回アテンドをしてくれたベトナム人女性Rさんが先に入ってくれた。入るのも一苦労するほど狭い入口。
地下トンネルを何十mかくぐって、別の場所から出て来た時には、他の観光客も拍手喝采。よく戻ってこれたね〜と。
せっかく来たので、私も挑戦。
地下2〜3mまで滑り落ち、そこから真っ暗で狭いトンネルが続く。先が見えないトンネルはハッキリ言って怖い。よくこんなものを作ったもんだ。
無事出口へ。
泥だらけになったが、これは良い体験ができた。
けど、この穴を掘り続けた人達は、何を思っていたのだろうか。地上戦・空中線で戦う兵力が劣っていたため、何年もかけて、人の手だけでトンネルを掘り続けたのだ。生きる伸びるため、逃げきるために。沖縄にも数々の「ガマ」と呼ばれる防空壕があり、首里城の地下にも(現在立入禁止だが)全長1kmのガマがある(なので首里城が激戦地になった)。これらのトンネルやガマが敵を翻弄したとも言われているが、命を守るために、掘ることだけに命をかけた人もいる。
滝のような汗が止まらぬ炎天の下、50年前、75年前を想う。
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地下トンネル観光が終わったら、もう15時。
Rさんが、芋(キャッサバ芋、タロ芋、サツマイモ)とお茶を買ってくれた。キャッサバ芋は、下の写真の黄色い芋。これがベトナム人のおやつらしい。茹でられたホクホクの芋でホッと一息。
ちなみに、タピオカの原料は、このキャッサバ芋らしい。初めて知った。
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クチトンネルの敷地内には射撃場もある。
射撃はしたことがないので、これも良い体験かと、やってみた。300,000VDN(約1700円)で5発撃つことができる。
人生初の射撃。1発で的に当ててやる! と思ったものの、5発とも的に当たらず…。
私の後で、顧問先の社長も、Rさんも、それぞれ5発ずつ撃ったが、全員1発も当たらず…。ちーん。
銃で人を殺めることは簡単なことではない、ということが分かった。
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そんなこんなで楽しんでいたら夕方になったので、帰路につくことに。
Rさんが、「帰る途中に有名なレストランがあるので、そこで夕食を取ろう!」と提案してくれた。芋しか食べてない我々は直ぐにでも何かを食べたい気分であったので、そのレストランへ向かった。
「ここはお金持ちがたくさん来るレストランなの」とRさん。確かに、駐輪場には各国の新車が並んでいた。
店は東南アジアでよくみるフードコートのような造りだったが、地元の富裕者っぽい人で溢れていた。
料理はRさんがチョイスしてくれた。ライスペーパーを水で濡し、肉や香草や野菜を巻いて、ナンプラーやらよく分からないソースやらを付けて食べる。シンプルな料理だがめちゃくちゃ美味しかった。
今日は何リットルもの汗をかいたような気がする。キンキンに冷やしてくれていたタイガービールも美味しかった。
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ホーチミン市街地に戻ったら、すっかり日が暮れていた。
アテンドしてくれた2人には改めて感謝!
そして1日付き合ってくれたタクシーの運転手にも感謝!
最高の体験ができた1日だった。