オリオンビール_75beer

本日(2022/5/15)で、沖縄本土復帰50周年。



NHKスペシャル『証言ドキュメント “沖縄返還史”』という番組を観た(2022/5/15初回放送)。「戦後最大の外交交渉」と言われる “沖縄返還” に関して、交渉当事者の証言を記録した膨大な映像・音声等を元に、交渉を再構築したというもの。

基地が返還されないことの怒りは、沖縄本土復帰前の沖縄でもあったようだ。
しかし、安全保障やアメリカの機嫌を考えながらの佐藤栄作元総理による10年にも及ぶ外交交渉は「さすが!」としか言いようがない(佐藤は1974年にノーベル平和賞受賞者)。


▼上:琉球新報(1972/5/15)、:琉球新報(2022/5/15)
沖縄_基地
(※ 画像はネットより拝借した)






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NHKスペシャル 沖縄戦 全記録 [DVD]
NHKエンタープライズ
2016-05-27




沖縄のことをもう少し知っておこうと、『沖縄戦全記録』というDVDも観た。米軍が撮影した800巻の膨大なファイル等を元に、日本で唯一の地上戦を伝えてくれる。映像で観るとすごいな…。

沖縄戦での死者は約20万人、うち沖縄県民は約12万といわれている。84,074人は特定されており、NHKがその戦死者84,074人の死亡日や死亡場所を分析することにより、地上戦の経路・実態を可視化していった。

すると、驚くことが分かったのだ。米兵が沖縄本島(読谷村)に上陸したのが1945年4月1日で、そこから南下して首里を陥落したのが1945年5月31日だということは、既に文献等から分かっているが、実はこの時点での沖縄県民の戦死者は4万人以下なのだ。戦死者の約6割は、6月1日以降に亡くなっている。

首里を陥落したことにより、事実上、戦争は終結したのだが、そこからも(米軍の本土侵略への時間稼ぎをするために)戦いを継続することを決定し、住民13万人がいる南部へと戦線が移動することになってしまう。そして、同年6月6日から南部で掃討戦が開始し、被害が拡大したのだ。6月20日に前線が最南端の喜屋武岬に到達すると、多くの住民が岬から身を投じて自決した。1日で5500人が亡くなった日もあった。

なぜ、これほど多くの一般住民が戦死したのか。南部へ撤退したことや、米軍が火災放射器で壕に逃げる一般人を焼き尽くす等の常軌を逸する無差別攻撃をしたことだけではない。「一億玉砕」「天皇万歳」の思想を刷り込まれたこと、敵の捕虜になる恐怖から集団自決に追い込まれたこと、さらに、日本軍の兵力不足により14歳以上の男子が「防衛召集」され一般住民が軍に組み込まれたことも、戦死者を増やすことになった。さらに驚くことに、日本軍が(敵の攻撃を避けるために)一般住民の服を着るように命令されていたのだ。

NHKがすごいのは、この時に沖縄戦の最前線にいた米兵を見付けて、米国まで行って取材しているのだ(当時20歳前後だった米兵は、もう90歳を超えているため、生存者を探すのも大変だったのではないだろうか)。取材を受けた元兵士は、「敵が兵士か住民かの違いが分からないため、敵が撃ってくる前に、撃ち殺すしかなかった」というようなことを語っていた。そして、「翌日、戦場に戻ると、何の罪もない一般住民が何人も死んでいた」と。その元兵士は、当時を振り返りながら号泣していた。

1日でも早く戦争が終わっていたら……、沖縄でこれほどの住人が死ぬこともなかっただろうし、その後、原爆が投下されることもなかったかもしれない。

歴史に「if」はないが、そこから学ぶことは多い。
これからも、沖縄のこと、失敗の本質、人間の悪の凡庸さについては学び続けたい。