宿泊していた宿で朝刊を見ていたら、大学入試共通テストの問題が載っていた。相変わらず知識量・記憶力を問うような問題ばかり。こんな問題を解くために、貴重な高校3年間を犠牲にして、スタバや図書館に籠もっているのかい。

渋沢栄一(1840-1931)の『論語と算盤』(初出1916年)は、度々読み返す本で、今日も読んでいた(現代語訳だけど)。渋沢栄一は、本書の中で、知識詰め込み型の教育(知育)を痛烈に批判している。本来の教育は、100人の中から1人の秀才を出すものだが、知育に偏った教育では99人の平均的な人材を作ることになる。精神を磨くことをなおざりにした結果、似たりよったりの人材ばかりが生まれることになったということを、いまから100年以上前に指摘しているのだ。知識詰め込み型の「知育」だけでなく、道徳を磨く「徳育」が重要だと述べている。

しかし、100年経っても学校教育は何ら変わっていない。絶望でしかない。


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昨日で阪神大震災から27年。

これまでの人生において、「死ぬかも」と思ったのは、この時だけだ。

たまたま運良く生き残ることが出来たけど、家が倒壊していたら死んでたかもしれない。

神戸に地震がくることなんて100年ないと言われていたが、突然震度7の地震がきた。人生は想定外であり、理不尽であり、不条理だと思う。これからも、いつ地震がくるか分からないし、どこで噴火するか分からないし、いつ事故に合うかも分からない。はっきり分かることは、「人生はいつ終わるか分からない」ということだ。

だからこそ、いまやるべきことに集中し、いまここを全力で生きることが大切なんじゃないかなぁと思う。


人生をホントに楽しんでいるのか?
ホントにやりたいことをやっているのか?
やらない言い訳を並べてるだけじゃないか?
ストレスを我慢していないか?
無駄に疲れていないか?
自分を見失っていないか?
自分を見限っていないか?
他人の目を気にしすぎていないか?
他人の言動に悩んでいないか?
過去のことをくよくよしていないか?
家族だからといって分かり合えると思っていないか?
SNSに溺れていないか?
余計なことに首を突っ込みすぎていないか?
何かに怒りを抱えていないか?
他人を変えようとしていないか?
他人に期待していないか?
ネガティブな感情に支配されていないか?


いい意味で、もっとバカになっていい。
いい意味で、もっとアホになっていい。
いい意味で、逃げたらいい。
いい意味で、一歩引けばいい。
いい意味で、放っておけばいい。
いい意味で、捨てればいい。
いい意味で、忘れたらいい。
いい意味で、ドライになればいい。
いい意味で、世間知らずでいい。
いい意味で、ジコチューでいい。


他人から何を言われようが屁とも思わなくていいし、人と比較するような人とは関わらなくていい。「嫌われる勇気」を持った方がいい。

自分を大切に、自分が手に入れたいものを手に入れ、自分が得たい感情を掴み取るべきだと思う。

クソ真面目に知識を詰め込んだり、教養を高めたり、「哲学する」ことも大切だと思うが、それより大切なことがあるんじゃないかな。笑顔とか、愛とか、感謝とか。

死んだら後悔もできないぜ。