学校の「当たり前」をやめた。』の著者 工藤勇一氏(元麹町中学校長)と、『同調圧力』の著者 鴻上尚史氏の2人が、「学校」について対談した本が発売された。この2人が対談したらどういう結論になるのか想像できるのだが、興味あるテーマなので読んでみた。

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まず、こんな調査結果を。
世界9カ国の17歳〜19歳、各1000人の若者を対象にした意識調査結果(P98より)。

自分を大人だと思うか

愕然とする結果。
すべての項目について最下位。しかも、いずれの数値も他国の半分程度。
「将来の夢を持っているか」については、日本・韓国以外はほぼ100%がYESと回答しているが、日本は60.1%に過ぎない。「自分を大人だと思うか」については29.1%に過ぎない。

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もう一つ、別の調査結果を。
日本、米国、中国、韓国の4か国の高校生を対象にした意識調査結果(P101より)。

自己評価

「自分はダメな人間だと思うか」にういては、72.5%がYESと回答している。

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こういう結果をみて、「日本はダメだ」「子供はダメだ」で済まされる問題なのか。工藤勇一先生は、「日本の教育の最大の課題はこの調査結果にこそある」(P99)と述べているように、これは日本の教育の問題なのだ。私もそう思う。

日本の教育は、明治以降から富国強兵のための一斉教授型の受け身の授業を続けている(P79、P254参照)。個人の自律や、多様性という考え方はなく、国家や校則(ブラック校則)に従属する人間を育成してきた。人と違うことは許さず、髪の色も、ソックスの色も、言動も、何もかもが人と同じことを求めてきた。協調性が重視され、個性を潰してきた。そんなことを何十年とやってきたから、教師も親も生徒も「教育とはそんなもの」と思い込んでいる。

これが「当事者意識」を低下させ、「自己肯定感」を低下させた。戦後教育の成れの果てである。「自分で考えない」教育をしてきたため、自律せず、自己肯定感が低く、他者に対する優しさもない(P102〜参照)。

ここで、工藤勇一先生が麹町中学校などで行ってきた改革については、他の本にも書かれているが、本書にも詳しく書かれている。私が最も共感したのは、学校教育の最上位目的として、「個人のwell-being」「社会のwell-being」を置いていることだ。社会の多様性(タイバーシティ)を受け入れつつ、個人の自律を促し、社会も子供もwell-being(幸せ)を目指すべきという考えを示し、そのために不要なもの(宿題、定期試験、ブラック校則、担任制、一斉教授型授業など)を廃止した。

人間はみんな違っていいのだ。誰一人として同じ人間なんていないのだから。

しかし、人間はみんな違っていいという教育をすると、当然に対立が起きる(様々な利害を持った人物が集まると対立が起きるのは会社でも同じこと)。ここで、リーダーに求められるのは「対話」である。先日紹介したソニーの平井一夫元社長兼CEOの本や、ダイキンの井上礼之会長の本にも書かれていたように、利害が対立した人たちを束ねるには「対話」をするしかない。対話を通して、全員を当事者に変えていき、「腹落ち」するまで話し合うことによって、他者との違いを受け入れ、合意することができる(P207、P245、P256等参照)。そうやって対立する「個人のwell-being」と「社会のwell-being」を同時に達成させていく。

と、マネジメント論やモチベーション論の教科書に出てきそうな話であるが、それを複数の学校で実践され、結果を出してきた工藤先生はすごいとしかいいようがない。はたして、他の先生方がマネできるのかというと、どうだろうか?

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先日、本書のタイトルと同じ「学校ってなんだ!?」というブログ記事を書いた。ここでも書いたが、戦後から何も変わらないシステムが、これから変わるとは思えない。正しい教育を受けさせたいと思うのであれば、教育を受けさせる「場」を変えるしかないとも書いたが、もう一つ補足すると、大人が変わらないといけないと思う。

それは、「人間はみんな違っていいのだ」という当たり前のことを理解し、子供に自分の価値観を押し付けないということだ。

子供を愛していない親はいないと思うが、そうであれば、親のエゴを捨て、子供のwell-beingを最優先に考えるべきだと思う。

そもそも学びは可能なかぎり自由であるべきだと思うんです。自分の意志で独りで学んだり、学び合ったり、こうした学びの環境があることこそ個別最適だと私は思っています。(P255、工藤氏談)