小中学生くらいの子供を持つ父親・母親から聞く話の3位以内に入るのが、子供のスマホ・ゲーム問題。スマホ・ゲームを買い与えたが最後。ルールも守らず、宿題もせず、寝る時間を削ってでもやる。注意をすれば、「うっせー」「うぜー」「くそババー」「てめぇ」「しね」といった言葉を浴びせられる。スマホ・ゲームを取り上げたり、隠したりした日にゃ、暴れるわ、暴力を振るうわ、手も付けられない状況になる。そんな我が子に、ブチ切れるか、見て見ぬ振りをするか、もしくは両方か、という家庭が多い気がする。

親の気持ちはよく分かる。「てめぇ」「しね」などと言われる筋合いはない。ブチ切れて当然。誰に対してその口を叩いてんだ、このクソガキめが! と言ってやれ。

けど、それで問題は解決しない。

子供はいったい何を考えているのか?? それをうまくまとめてくれているのが本書『スマホ危機 親子の克服術』 (文春新書)。著者は、 これまで『スマホ廃人』など家族・教育問題の書籍を多く上梓されているジャーナリスト。

本書を読みながら、小中学生の頃を思い出した。あぁ〜、そういえば、親に隠れてエロ本を読んでたなぁ〜と。自室とか、友達の家とか、学校の裏庭とか…。親に内緒で遊んでいた「居場所」ってものがあった。

時代は変わり、あれから何十年か経ち、今の子供たちの「居場所」はスマホの中になったのだ。そこで、親に隠れてエロ本を読むように、親に隠れてオンラインで誰かとつながっている。私はオンラインゲームをしたことがないので分からないのだが、今のオンラインゲームはゲーム内の友達と一緒に遊べるようになっているらしい。だから、スマホ・ゲームを取り上げられるというのは、これまで安心して遊べた「居場所」が奪われ、仲間が奪われることにほかならない(P195参照)。だから親が許せなくなる。あらゆる暴言、暴力を使ってでも「居場所」を取り戻すのだ。

では、なぜそこに「居場所」を求めるのか。それは、家庭内に「子供なりの生きづらさがあるからだ」(P203)。子供だけでなく、大人だって「承認欲求」というものがある。最近流行りの言葉でいえば「自己肯定感」だろうか(P202)。しかし、家庭内での承認が欠如しているので、不安になる。スマホ・ゲームの世界では、たくさんの人と繋がりながらリア充ぶりをアピールすれば、多くの人から存在を承認される。家庭内でも不安があるからオンラインに承認を求めるが、オンライン上でも(いつ友達との繋がりが消えるか分からないという)不安がつきまとう。だから一層、オンラインの繋がりを求める。親とのルールを破ってでも、寝る時間を削ってでも、スマホ上での繋がりを求めることに必死になる。

このように見ていくと、問題の本質は、大人も子供も同じなのだ。大人も子供も不安があり、大人も子供も承認を求めている。分かりあえないのは、親が「ゲームをするとバカになる」とか「勉強しないと大学にいけない」とか、正論を振りかざすからだ。誰しも正論を振りかざす人間に心を開くことはできない。

これは親子関係に限らず、教師・生徒、上司・部下の関係にも当てはまると思う。相手への存在承認なくして、相手が心を開くことはない。

人を思い通りに動かすことなんてできるはずがない。血の繋がった親子だって同じ。人には人の世界観がある。子供に価値観を押し付けたり、子供の世界観に土足で踏み込んだりする親が多いと思うが、自分がされて嫌なことは子供も嫌に決まってる。

本書は、どうすれば親子の関係を克服できるかの術が書かれてる(第6章)。実際はそう簡単にはいかんやろ…とツッコミを入れたくなる箇所もあるが、まずは親が変わらねばならないという点においては参考になると思う。


【関連図書】
陰山英男『子どもの幸せを一番に考えるのをやめなさい』 (SB新書)
アグネス・チャン『スタンフォード大に三人の息子を合格させた 50の教育法』(朝日新聞出版)
宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』 (新潮新書)
森信三『家庭教育の心得21―母親のための人間学』(致知出版社)