アウシュヴィッツ強制収容所に収容された体験記は、『夜と霧』『これが人間か』『溺れるものと救われるもの』など多くの本が出版されている。映画でも『シンドラーのリスト』『戦場のピアニスト』など数え上げたらキリがない。映画も事実を忠実に再現したものだろう。目を覆いたくなるような映像の数々は、私の脳裏に焼き付いて離れない。善良な市民はいかにして残虐者になったのかという本も数多く出版されており(『責任と判断』『普通の人びと』等)、私自身の関心事の一つでもある。
ということで、蔦屋書店で本書が平積みされているのを見て、中身も見ずに買ってしまった。
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著者は、1920年ドイツ生まれのユダヤ人。
1933年にヒトラーが権力を握ると、ユダヤ人という理由だけで学校を退学させられる。教育を受けるため、隠偽証書類と偽名を使い、ユダヤ人ということを隠して、自宅から列車で9時間も離れた場所の学校に入学する。13歳で家族の元を離れ、そこから5年間、身元を偽り続ける。それは、孤独でつらいものだったいう(第1章)。そりゃそうだろ。
無事に学校を卒業するが、両親の結婚記念日にふたりを驚かせようと、こっそり故郷に帰った所でナチスに捕まる。捕まった時には、なぜ拘束されるのか、これから何が起こるか、全く分からなかったらしい。しかし、そこから非人道的なムゴイ拷問の生活を3年も受けることになる。家族も友達も殺される。
「なにもかもが非現実的で恐ろしかった。なにが起こっているのか理解できなかったし、いまだにまったく理解できない。これからも決して理解できないだろう。」(第3章)
本書を読み進めながら、余りにも残虐な収容所の実態を知り、「死んだ方がマシじゃねーか」と思わざるを得なかった。衣食住すらままならない場所で、一切の尊厳や自由を奪われ、いつ撃ち殺されてもおかしくない状況の中で、まともに生きていけるだろうか。
著者も命を絶つことを選んだことがある。被収容者の間で「フェンスに行く」という言葉が生まれたらしい。それはアウシュヴィッツ収容所を囲むフェンスまで走っていき、電気が流れている有刺鉄線をつかんで自殺することを意味する。著者はフェンスに行こうとした。しかし、収容所で親友になったクルトという男が、著者をフェンスに行かせなかった。彼が生き残れたのは、クルトという親友がいたからだったのだ。
話は少し飛ばすが、著者は終戦近くに奇跡的に脱出することに成功し、米兵に救出された。体重は20kg台まで落ち、しばらく入院し、ドイツから逃れ、ベルギーに向かう。そこでまた奇跡が起こる。親友のクルトと再会するのだ(そんなことがあるのか!?)。
ここからまた話を少し飛ばすが、著者もクルトも、素晴らしい女性と出会い結婚する。著者は子供にも恵まれる。
しかし、3年にも及ぶ収容所生活は、心に深い傷を残したに違いない。結婚しても心を閉ざし、幽霊のような存在だったという。自分の感情と向き合うことから逃げていたのだ。そんな彼を、妻と子供、親友の存在が救っていく。
何年か経って著者は気付くのだ。被害者意識からは何も始まらない。自由を感じることもない。幸せは自分が作るものであり、自由を感じるには苦しみという重荷を下ろすことだと。そして、すべてを分かち合える友を大切にすることだと。
世の中には様々な不条理がある。傷付くこともたくさんある。そこで口をつぐんで、逃げることは簡単だし、楽だと思う。著者もそう思っていたという。しかし、もっと早くに心を開いていればどうなっただろうか。
本書の最後のコトバが染みる。
「野原にはなにもないが、なにかを育てようと努力すれば庭ができる。それが人生だ。なにかを与えれば、なにかが返ってくる。なにも与えなければ、なにも返ってこない。一輪の花を咲かせるのは奇跡だ。しかし一輪の花を咲かせられれば、もっと多くの花を咲かせられる。一輪の花は、それだけでは終わらない。大きな庭の始まりなのだ。」(第15章)
あの有名な曲じゃないけれど、世界にひとつだけの花を、一生懸命咲かせればいいのかもしれないね。
心を開いて、すべてを分かち合える友を大切に。