与那国島_フィエスタ

あっという間に与那国島の最終日。

朝9時にチェックアウトした。起きたばかりというゲストもいたが、手を振って見送ってくれたゲストもいた。




チェックアウトした我々は、なぜか腹がペコペコだった。
「どこかで何か食べよう」となったが、ここにはマクドもスタバもない。喫茶店のようなものも見たことがない。google mapで島中の飲食店を調べたが、大半のお店が11:30開店か、臨時休業だった(臨時休業のお店までタイムリーに教えてくれるgoogle先生はすごいと思う)。ちなみに、朝からテイクアウトできる店もないし、コンビニも1軒もない。難民になった。

11:00に開店するお店が比川という小さな集落にあったので、比川までレンタカーで向かったら、11:00前から「営業中」のノボリを掲げている店を見付けた。八重山そばのお店だった。八重山そばが食べたいと思っていたのでラッキー。


与那国島_楓食堂


店内は70代の女性がひとりで切り盛りをしていた。聞けば、5年前に与那国島に作られた陸上自衛隊駐屯地で働く人たちの朝食を提供するために、朝7時から店を開けることがあるという。

陸上自衛隊が与那国島に進出する際は、賛成派と反対派で大きく分かれたらしい。両者の気持ちはよく分かる。本土(内地)からの移住者が大量に人が流れてきたら与那国島の文化や伝統が守れなくなるかもしれない。とは言え、戦後(1950年前後)6,000人以上いた人口が1,689人まで減少している(2021月6月末時点)。この島には高校がないため、小中学校を卒業すると、多くの人は島を出る。島を出た人の多くは戻ってこない。人口減少に歯止めがかからない上に、隣国の軍事的脅威もある。駐屯地ができることのメリットも大きい。

6年前の住民投票の結果、賛成派多数となり、陸上自衛隊駐屯地が設立された。その結果、与那国町は、個人住民税収の増加率(2019年と2009年の比較)で日本トップの自治体となった(増加率152%)。人口も9%増加した(日経新聞(2021/7/3)より)。自衛隊員は(駐屯地にモノがそろっているため)町にそれほどお金を落とさないらしいが、税収も人口も大きく増加したことのメリットは大きい(はず)。

だが、良い話ばかりではない。

「お母さんは賛成だったんですか?」と聞くと、「私は賛成に投じた」という。米軍基地ができる訳じゃない。自衛隊なのだ。実際に台風の時など島の復旧に尽力してくれて助かっているという。しかし、小さな集落が3つあるだけの町である。誰が賛成し、誰が反対したか、全員が知ることになる。そして、反対派の人は、お母さんのお店に来なくなった。いまだに「分断」が起きているという。悲しいかな、小さな島に大きな問題が横たわることになった。

お母さんも、小中学校を卒業した後、島を出た。医療関係の仕事を東京・九州・沖縄本島でやってきた。65歳で定年退職してこの島に戻ってきた。何か商売しなきゃと思って食堂を始めた。この島の住民は、お母さんのように内地から戻ってきた人や、移住者が多い。ずっと島にいるのは漁師や役所勤めをしている人など少数なのかもしれない。お母さんは言う。「島を出たことがない人が役所勤めをしてるんだから町が変わる訳がないよね…」。かといって、移住者を増やせばいいという問題でもない。それは「分断」の問題だけではない。与那国には、日本とも沖縄とも違う文化、伝統、慣習があるのだ。言い出したらキリがないが、大病院も火葬場もなく、土葬の文化が残る島で、どうやって骨を埋めるというのか。「Dr.コトー診療所」なんて実在せず、病気や怪我をすればヘリをチャーターしなければならない時もある。「与那国に住むのはカネがかかるのよ」「移住なんてするもんじゃいわ」とお母さん。それだけではない。この町にはプライバシーはない。おいそれと移住者が永住することができるとは思えない。

「イノベーション」なんて横文字が最も似合わない場所だと思うが、このままでは衰退しかないことは誰もが分かっているはず。これが日本の果てで起きている問題ではなく、日本全体の問題だということも。与那国島にいると日本の大きな問題が対岸の火事でないことが分かる。

八重山そばだけで随分と長居をしてしまったが、最後にすごく良い話を聞かせてもらえた。


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ランチを終えた我々は、飛行機の時間まで島内を観光した。

道路の上を与那国馬が歩く。歩行 ”馬” 優先。

日本にこんな場所があろうとは。

与那国島


与那国島


与那国島


与那国島_ニャンさん

Tさん、ニャンさんと。
ここでYouTubeの収録をしたが、Tさんには逃げられた。。。


与那国島


与那国島


与那国島


与那国島への移住者になることはないが、旅人としてはまた来たい。これまで色んな所へ旅をしたが、そのどれとも異なる場所だった。短い時間だったが、貴重な経験ができた。

我々は、午後の便で再び石垣島へ戻った。