与那国島

朝、石垣島空港に戻る。
日本最西端の与那国島へ向かう私の後ろ姿。


与那国島

久しぶりのプロペラ機


与那国島

行ってきます。


与那国島

30分で与那国空港に到着。


与那国島

滑走路1本の小さな空港。回転台もめちゃ小さい。


与那国島

与那国島には3つの集落があり、その中で1番大きな「祖納」(そない)という場所のゲストハウスにチェックインして、ぷらっと集落を散歩する。歩いて1分で汗が吹き出る。猛烈な暑さだった。

ちなみに、前方に見える赤い建物は、ドラマ「Dr.コトー診療所」のお食事処として使われた建物。実際はお食事処でも店舗でもなく、ただの赤い建物。



与那国島_ナンタ浜

少し歩くと「ナンタ浜」というビーチに出る。とてもキレイ。しばらく見惚れた。

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与那国島は以前から行きたい島の一つだった。ホントは5月上旬頃に一人で来る予定だったが、GWと重なり、宿が空いてなかったので断念した。今回、旅人Tさんが、与那国島に行くというので乗っかった。それをニャンに言ったら、ニャンさんも乗っかった。

ニャンさんが、「与那国島といえば、沢木耕太郎の『視えない共和国』やなぁ〜」という。「何のこと?」、「え、タケちゃん、知らんのかいな!」、「タイ人がなんで沢木耕太郎を知ってんねん!」、「タイ人も読んどるわい!」・・・ということで、石垣島・与那国島に来る飛行機の中で『視えない共和国』が収録されている『人の砂漠』という本を読んでいた。

沢木耕太郎といえば、私の人生観を変えた『深夜特急』の著者であるが、『視えない共和国』は、沢木耕太郎が『深夜特急』を書く前、それこそ、海外旅行に行ったこともない時期に書いたノンフィクション。おそらく取材・執筆したのは20代の頃と思われる。20代の頃からこれほどの取材を重ねて文章を書いていたことに驚かされた。

その『視えない共和国』に「ナンタ浜」が出てくる。この本が出たのは約40年前。当時は、与那国島は人も多く、景気も良かった。夜になると誰からともなく「浜へ行こう」となり、月夜のナンタ浜に出て、若い男女が集まったらしい。闇夜となれば、また若い男女が集まる。何がなされていたかはハッキリと書かれていないが、おおよそ想像できる…。そういう場所だったらしい。いまはその面影もないが。


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日本最西端

日本最西端の島の最西端まで行った。


日本最西端

遠くに台湾が見える。

与那国島は沖縄本島から500km以上離れているが、台湾まで約100km。沢木耕太郎『視えない共和国』によると、明治時代までは与那国島と台湾の間の交流は盛んだったらしい(P175)。台湾の貨幣まで流通していたという。そこで様々な貿易・売買・交換が行われていいたため、与那国島はとても豊かな島だった。

しかし、国境が引かれることにより、与那国島は「日本の果ての島」という位置づけになってしまう。もし国境線がなければ、この島は「果ての島」ではなく、どこにでもある「単なる島」だったのだ(P177)。

『昔、与那国は台湾のひとつだった。台湾さえ離れなきゃ、もっと与那国は豊かだった。戦争でいちばん損したのは沖縄で、それより損をしたのが与那国だろうな』(P175)

国境とな何なのだろうか。


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Dr.コトー診療所

島の南には、ドラマ「Dr.コトー診療所」のロケ地となった診療所(志木那島診療所)が残っている。


Dr.コトー診療所

私はこのドラマを見たことがないので、ナンノコッチャわからんのだが、このドラマのために作られたセットらしい。


Dr.コトー診療所

待合室や入院室などもそのまま残されていた。


Dr.コトー診療所

ドラマでは、与那国島ではなく、志木那島(しきなじま)だったらしい。

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与那国島

与那国島は、日本最西端なので、日本で最も日の入りが遅い。
今日の日の入りは19:40だった。
宿のルーフテラスより。


与那国島

20:00頃に暗くなり、幻想的な光のカーテンが与那国島を覆う。

街頭も自動車もほとんどない集落は、しばらくすると闇夜と変わり、満天の星空が姿をあらわす。砂を散りばめたような星空だった。

丸い地球に「最果ての島」なんてない。果てを作ってるのは人間が勝手に引いた国境なのだ。自由に国境を超えて、地球上を舐め回したい。