ダナン


2年前の今日はベトナムのダナンにいた。「何もしない」ことをしようと、ぼーーっと過ごせそうなホテルを選び、250mもあるプールサイドで読書と執筆をしていた。4日間、観光地のホイアン以外は行かず、ホントにぼーーっと過ごした。

久しぶりにこういう旅をしたくなってきた。


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言語化

日経の『春秋』を担当されている大島さん、ホントに良い文章を書くなぁ〜と毎朝関心する。

今日のコラムも、タイムリーすぎるトピックスで関心した(是非読んで欲しい)。

『言語化という作業にはふつう重い責任が伴う』。これはホントにそう思う。たかが「要請」にすぎないとしても、それが法律に基づかないものであるとしても、罰則がないものであるとしても、言語化されて発せられたものには重い責任が伴うと私も思う。特にそれを発したものが、政治家や専門家といわれる人であれば、たかが「要請」にすぎないものであっても強い強制力がある言語に置き換わる。新型コロナの専門家といわれる人が何かを発すれば、その科学的根拠の有無に関わらず、9割の人は信じる。ここに受け手側の読解力は関係ない。上のコラムで谷川俊太郎さんが言っているように、空語であったとしても「言語であるゆえに逆に現実をつくってゆきかねない」のだから。言葉にするとは、それほど重いものだと思う。

(なお、ベストセラーになっている西村秀一著『新型コロナの大誤解』は、コロナ専門家の言説を鵜呑みにしてはならにと警鐘を鳴らしている。彼らがいまの現実をつくっているともいえるのだから。)

菅、西村、小池、吉村といった人たちの発する言葉は、めちゃくちゃすぎて言葉を失う。発言の軽さ、責任の無さ、言い訳の見苦しさ。こんな人たちがリーダーシップを取って、誰が支持し、付いていくのだろう。秋の総選挙は波乱が起きるだろう。私はこれまで自民党を推していたが、今回ばかりは投票しないと思う(かといって、投じたい党がないのだが。)。小池、吉村も、頻繁にTVに出て軽い言葉を発しているが、結局は支持率を上げるための自己アピールに余念がないだけで、都民に寄り添っているとは到底思えない。結局この人たちは、リーダーとして何をしてきたのか。

そういえば、「また飲みに行きましょう!」と言われ、笑顔で手を握られたけど、その後二度連絡が来ないという人が何人もいる。そうやって信頼というものは失われていく。仮にその人から連絡が来ても付いていくことはないだろう。菅氏の「(緊急事態宣言は)これが最後」という言葉を誰も信用していないように、軽い言葉は全てを溶けて失わせる。