2019年のノンフィクション本屋大賞受賞作。

いつか読みたいと思っていたら、もう文庫化。ならばと購入。
読みだしたら止まらなかった。面白かった。

日本人の母ちゃん(著者)と、アイルランド人の父、「ハーフ」の息子の3人は、イギリスで暮らす。息子は、小学校は市内ランキング1位のカトリック校に通っていたが、中学校は(息子の希望により)「底辺中学生」へ通う。学校に通う生徒達も、地域の人達も、国籍、民族、宗教、肌の色が違うし、裕福な人・貧しい人、両親が揃ってる人・シングルの人など、多様な人が玉石混交といる。そんな環境の中で、「ハーフ」の息子も(当然に?)差別的なコトバを浴びせられる。

息子の部屋にあったノートの端に、小さく、息を潜めているような筆跡で、落書きがしてあるのを、母ちゃんは見つける。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

-----

本書は、全体を通して、「エンパシー」(empathy)=「他人の感情や経験などを理解する能力」の大切さを教えてくれる (エンパシーについて書かれているのは4ページだけなのだが、全体を通してのテーマとなっている)。

「多様性」はいいことだと言いながら、差別や偏見がなくなることはない。人と違って当たり前だし、人と違うことは素晴らしいことなのに。

息子が母ちゃんに疑問を投げかけるシーンがある。
「多様性っていいことなんでしょ? 学校でそう教わったけど?」

これに母ちゃんは、このように答える。
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が耐えないし、そりゃない方が楽だけど、無知を減らすからいいことなんだと思う。」(注:一部編集した)

人は、人と違うから、理解しようとする。理解しようしないから、無知のまま差別や偏見や喧嘩や争いが生まれる。「人の関心に関心を持つ」ということの大切さを改めて本書から教えてもらった。

-----

そしてもう一つ、本書が教えてくれたのは、子供への向き合い方だ。

中学生の男子は、ホルモンバランスが崩れやすく、感受性もブレやすい年頃だと思うが、母ちゃんは同じ目線で正面から一人の人間として向き合う。ひたすら続く2人の会話が面白いのだが、その中にぽろっとポリティカル・コレクトネス(PC)のことを伝えたりする。「ハーフ」の意味が分からない息子に、その意味や、それがPC的に問題あることや、「ダブル」と言ってる人が増えていることなどを伝える。息子は、自分が「ハーフ」や「ダブル」と言われることに違和感を持つ。「半分」でも「2倍」でもなく、「half +half =1」なんじゃないの? と。

そうやって、親子で向き合いながら、エンパシーを持ちながら、息子が成長していくことが本書を読みながらも見えてくる。子供には、子供っぽいところもあるが、大人っぽいところもある。子供と思って接するといつまでも子供のままだが、大人として接すると大人に近づいていく。著者(母ちゃん)は、そのバランスの取り方がうますぎる。もっと早くに読んでおきたかった。

-----

最近、ブレイディみかこさんの新刊書『他者の靴を履く』が発売された。本書は、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の続編といってもいいと思う。

新刊書の冒頭で、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』に4ページしか書いていない「エンパシー」のことが話題になったことが「謎」だというようなことが書かれているが、新作『他者の靴を履く』も、(そのタイトルからも分かるように)エンパシーがテーマになっている。どちらから読んでもいいと思うが、どちらもオススメ。