渡嘉敷島

那覇から西へ30kmの場所に慶良間諸島(けらましょとう)という大小20あまりもの島々がある。その慶良間諸島周辺の海は世界屈指の透明度を誇り、「ケラマブルー」と称されている。

今日は、慶良間諸島のひとつ、渡嘉敷島(とかしきじま)へ日帰りで行ってきた。


渡嘉敷島

高速船なら35分、フェリーなら70分で行くことができる。
高速船で行きたかったが、高速船がドック期間中(定期検査期間中)だったため、フェリーで移動。

渡嘉敷島の港に着くと、「ようこそ渡嘉敷小中学校へ」の横断幕。新入学生? 異動?

船内は、観光客よりも島民と思われる人の方が多かった。

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渡嘉敷島に着いて、レンタルバイク(原チャリ)を借りる。原チャリを乗るなんて、高校生の時以来じゃないかな。「充電させてもらえませんか」の出川哲朗になった気分で、島内をゆーっくりドライブする。


渡嘉敷島_阿波連ビーチ


まず向かったのが、阿波連ビーチ(の展望台)。

上から見ても、「ケラマブルー」!!

あまりの美しさに、ひとり叫んでしまった。



渡嘉敷島_阿波連ビーチ


展望台を降りると、トンネルが。自然にできたのだろうか。

トンネルの向こうに青いビーチ!!



渡嘉敷島_阿波連ビーチ


誰もおらんのかい!



渡嘉敷島_阿波連ビーチ


ホントに誰も泳いでないし、海の家も閉鎖されていた。
コロナの影響だろう。

ビーチで着替えて、無人の海に飛び込んだ。広い海を独り占めじゃ。



渡嘉敷島_阿波連ビーチ


いつもリゾート地に行く時は、水着とゴーグルしか持って行かず、何も付けずに素潜りしていた。しかし、今回はシュノーケル一式を持参し、コンタクトレンズもハメて、ちょっとホンキで魚になろうと思っていた。で、魚になった。

海を潜っている時は、なぜか中島みゆきの曲が頭の中を流れる。「冷たい水の中を震えながら昇ってゆけ、ファイト!」と。

全長800メートルあると言われるビーチの端から端まで泳ぎ、さらに沖の方まで行こうとしたら、どこから来たのかカヌーに乗ったオジサンに「これ以上沖の方に行くとサメが出るぞ」と止められた。で、そのオジサンは沖の方へ消えていった。

おいおい、カヌーでも危ないだろ・・・。


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渡嘉敷島_渡嘉志久ビーチ


阿波連ビーチを潜った後、もう一つの有名なビーチ、渡嘉志久ビーチにも向かった。


渡嘉敷島_渡嘉志久ビーチ


ここも数名しか泳いでいなかった。


渡嘉敷島_渡嘉志久ビーチ


お構いなく、魚になった。
が、ここは浅瀬であり、熱帯魚やサンゴはほとんど見られず。
時々ウミガメにも出会える場所らしが、どれだけ泳げど出会えなかった。

ただ、2つのビーチの水の透明度は素晴らしかった。
もう少し水温が上がれば、もっとキレイな景色が楽しめるのだろうか。
那覇の近くにこんな場所があるなら、きっとまた来る。


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渡嘉敷島


こんな美しい渡嘉敷島も、沖縄戦の時は激しい攻撃にさらされたという。渡嘉志久ビーチの傍に「旧日本軍特攻艇秘匿壕」なるものがあった。


渡嘉敷島


海上特攻艇の秘匿格壕。リアルな姿で残っている。


渡嘉敷島


google mapで地図を見る。米軍の上陸がなぜ慶良間諸島なのか、なぜ渡嘉敷島なのか、なぜ渡嘉志久ビーチなのか、不思議でならない。地理的な要因だけじゃないのだろう。wikipediaによると、「渡嘉敷島に海上挺進第3戦隊 (隊長: 赤松嘉次) の基地が置かれていたため」だという。1945年3月27日に米軍が上陸。28日には赤松隊の命令で渡嘉敷島の赤間山の空き地に集められ集団自決が始まった。住民の約半数にあたる368名もの人が犠牲となっている。こんな小さな島で、住民の過半数が集団自決をするなんて…。なんてことだ。

この赤間山には「集団自決跡地」があり、観光名所となっているため、原チャリで向かったが、残念ながら数百m手前で道が堰き止められおり、見ることができなかった。おいおい。馬力のない原チャで標高200メートルも登ってきたのに、行き止まりかよ。。。



そんなこんなで、魚になったり、プチ観光したりしながら、あっという間に16時の帰りのフェリーの時間となった。充実すぎる渡嘉敷島旅行だった。


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17時過ぎに那覇のホテルに戻り、シャワーを浴びて、街に出た。

夜は、懐かしの友と旭橋の料亭で再会した。

7〜8年前に沖縄に仕事で来た時に、色んなアテンドや運転手をしてくれた会計事務所勤務のNさん。一度しか会っていないが、当時の強烈なキャラが忘れられなかった。沖縄料理店で踊り狂っていたNさんを昨日のことのように思い出す。

Nさんも、あの時以来、「読んでない記事はない」というくらい毎日ブログを読んでいてくれたらしい。たまに見かける「武田雄治よりも武田雄治を知っている人」が沖縄にもいた。

ということで、お互い、久しぶりという気はしなかった。

確か、あの時はロン毛だったような気がするが・・・。
まぁ、私の髪も白くなってしまったからね。
お互い頑張ったもんね。7〜8年の間に。


沖縄


話は尽きなかったが、さすがに数時間潜った後の日本酒は酔った。
2軒目で飲んでいた辺りから記憶が薄れていったが、楽しかったことだけは憶えてる。

美味しいお店を予約して頂き、ご馳走になり、お土産まで頂き、なにからなにまで今回も有難う。沖縄に飲み友達が増えたことが嬉しい。またお会いしましょう。

今日も生涯忘れられない1日となった。

沖縄_酒肴庵


(※ Nさんの写真は許可を得て掲載している)