女性をターゲットした雑誌だと思うが、たまに買う。
特集「ひとりの時間は大切。」
冒頭で、「ひとりの時間」を大切にしている人への質問、っていうコーナーがある。
Q1.いつ、ひとりの時間を作っていますか?
(回答:一部抜粋、少し表現変えてます)
・毎日、必ず
・常にひとり
・週1、2回
・週末
・仕事の合間
・仕事帰り
・家族が寝静まった夜中
・毎朝、6時か7時頃
・深夜、12時〜2時
・誰かに会っている時にこそ、ひとりを感じる
Q2.どこで、どんなことをしていますか?
(回答:一部抜粋、少し表現変えてます)
・本を読む、執筆する
・家で日記を書く
・レストラン、美術館、クラブに行く
・サウナに行く、ドライブする、焼肉を食べる
・図書館で調べ物をする、スケッチする
・銭湯で考え事をする、集中して料理する
・山小屋で暖炉の火や星空を眺める
・植物園で写真を撮る
・カフェで、すること・したいことを書き出す
・白熱を飲む、クライミングに行く、瞑想する
・バーで飲む
・一人旅
・在来線で移動する
・いつも大体。
Q3.ひとりの時間はなぜ大切ですか?
(回答:一部抜粋、少し表現変えてます)
・本来の自分に戻れる
・心や体を休める最高の時間
・自分から湧き上がる感性を大切にするため
・想いを消化するため
・自分のペースを取り戻し、能動的に活動するため
・「いただいている愛」を再確認させてくれる幸せな時間
・自分以外の誰かを感じるための時間
・軌道修正の時間
・自分らしさとは何かを思う時間
「ひとりの時間」も色々。
私の回答と被るものは、赤字にしておいた。
この雑誌に、名著『自分ひとりの部屋』の著者 ヴァージニア・ウルフ(1882-1941)が取り上げられている。ウルフは、90年前の第一次世界大戦後に本書を出版し、「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たなければならない」というメッセージを発している。当時、「ひとりの時間」を持てる女性は、中流階級以上の限られた存在だったらしい。ウルフは、小説家を目指す者に限らず、「ひとりの時間」を持って書くことを薦めている。そこから自分の思考を育て、知的自由を得られると考えていたから。(本書P55参照)
私の座右の書『ぼんやりの時間』において「ぼんやりの時間は貴い」というようなことが書かれているが、「ひとりの時間」というのも貴いものだと思う。
しかし、「ひとりの時間」=「孤独」であり、悪であると考えている人が少なくないような気がする。中高年のひきこもり、お年寄りの孤独死などが社会問題化しているからだろうか。「孤独担当大臣」なるものが誕生したのには違和感があるが、その孤独相が「社会的な孤立を防ぎ、人と人とのつながりを守る活動を推進したい」(2021/2/12日経より)と語っていたことはもっと違和感がある。
人と人とのつながりって、そんなに大切なものなんだろうか。守るものなんだろうか。
私が人とつながれないことが問題なのではなく、私がつながれない社会に問題があるのだ。なのに、私に「人とつながれ」というから、私は人から逃げるのだ。逃げて逃げて逃げまくるのだ。
この「私」を、「ひきこもりの中高年」「孤独死するお年寄り」「不登校の子供」「出社できないサラリーマン」などに置き換えてみたらいい。
人とつながったり、人と迎合することよりも、周りと境界線を引き、「ひとりの時間」を大切にし、自分とじっくり向き合い、自分がホントに幸せだと思う人生を選択すべきだと思う。というか、私はそういう生き方しかできない。
いまもひとり。
孤独を感じることはない。
本を読み、ブログを書き、あー、幸せ。