萩城下町

念願の萩に来た。
昔から来てみたかったが、めちゃくちゃ遠い場所と思い込んでいた。思い込みとは怖いもんだ。実は新山口駅から車で1時間の場所なのだ。神戸から2時間半。東京やグアムへ行くのと同じ時間で萩に行ける。


萩城下町

萩も無人だった。今日も地球上で俺ひとり状態。もう慣れた。「こんな時期に旅なんて…」と言われることもあるが、こんな安全に旅ができる日は永久にないかもよ。人がいない。宿も安い。渋滞もない。行列もない。天国じゃないか。東京の電車の方が何万倍も危険だと思う。

萩の城下町の一部(町人地)と、上級武家屋敷がある堀内という場所と、萩城跡の3地区が「萩城下町」として世界遺産に登録されている。町のいたる所で江戸時代の地図が掲げられているが、当時の町割がほぼ残されていることが分かる。長崎のように近代化が進まなかったのが良かったのかもしれない。高いビルもない。

世界遺産の区域を隅から隅まで歩いた。武家屋敷や町家が連なる。白壁や土壁の建物が並び、風情があって良い感じだった。


萩城下町

町人地と上級武家屋敷がある場所の境は堀があり、総門(屋敷の一番外側にある大門)が設けられ、武家地への出入りをここで監視していたらしい。高級住宅街の門衛のようなものか。上と下の写真は、その総門を復元したもの。この総門の内側で今でもフツーに生活をしている人がいるようだが、上級国民的な生活をしているんだろうか。


萩城下町



下の写真は、上級武家屋敷外にある「鍵曲(かいまがり)」といわれる城下町特有の鍵の手のように直角に曲げられた道。あえて見通しを悪くすることが武家地の防衛策だったらしい。こういう道が残ってることもすごいことだと思う。都市開発なんてしたら、真っ先に区画整理をされて潰されるだろうに。

堀内鍵曲



萩城は、天守閣などの構造物は解体され、堀の一部と石垣だけが残る。ここに来て、ようやく観光客2組と遭遇した。1組は日本人とフランス人のカップルだった。久しぶりにフランス語を聞いた。

萩城跡



萩城から見える日本海がキレイだった。夏は海水浴場になるらしい。大河ドラマ「花燃ゆ」のロケ地らしい。

萩城跡展望所



上述の通り、世界遺産の域内で、今でもフツーに生活している人がいる。フツーの民家もある。高校もあれば、中学もある。宿もある。そういう光景も不思議だった。

歩いていると、萩高校というのがあった。下がその正門。めちゃくちゃ風情があって格好良い学校だなぁ〜と思って、思わずシャッターを切った(というかスマホの画面を押した)。
奥にある石には「至誠」の文字。「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」(吉田松陰)。精一杯の誠意で相手に接すれば、それで心を動かされない人はいない。愛だね。

萩高校正門



その隣にあった萩西中学も、思わずシャッターを切った(というかスマホの画面を押した)。
「萩西中 WEST 愛」。いいね、これ。愛だねぇ。
いいこと(E)すてきなこと(S)に、トライ(T)し続けたいね。そういう人生で在りたい。

萩西中WEST愛


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萩城下町から東に1km位の場所に「松陰神社」がある。吉田松陰を祭神とする神社。吉田松陰の出身地がこの辺りらしい。つまり、吉田松陰は上級武家屋敷街の出身ではなく、下級武士の子だった。しかし、そこからの活躍は歴史の教科書の通り。

松下村塾



松下村塾の塾舎が残っている。とても小さい。8畳と10畳半の間が2つあるのみ。松蔭が20代の頃に、この小さな場所から明治維新のリーダー達を育てたのかと思うと、己の浅学非才ぶりに情けなくなる。が、他方で、私も近々引っ越しをすることだし、自宅で松下村塾のような私塾を開くのもアリかと空想した。(黒字社長塾と同様に)月額20万円(前金)で「知のMAP」の提供と「コーチング」を実施し、知的幸福度を高める私塾。空想だけど、依頼が10人を超えたらやろうかな。

松下村塾



松下村塾の隣に「至誠館」という吉田松陰の博物館のようなものがある。そこで面白そうな入門書を買ってみた。まだ途中までしか読んでいないが、幼少期から大勉強家・大読書家であったことが分かる。松蔭も6歳頃(?)から中国古典(孔子)を研究していたのか。私が私塾を開いたら、西洋哲学よりも中国古典を教えたい。なーんて、また妄想が広がる。

吉田松陰


長くなったので、続きは別のエントリーで。