知覧特攻平和会館

今回 鹿児島に来た目的は、「知覧特攻平和会館」だった。以前から来たいと思っていたが、なんせ遠い。かつて陸軍の飛行場があった場所なので、都心部から遠く離れている。今回、ようやく念願の場所に来ることができた。

入館すると、いきなり海底から引き揚げられた戦闘機が無残な姿で迎えてくれる。館内で撮影できたのは、この戦闘機くらい。あとは撮影禁止だったが、すべてを写真に収めて、ここで紹介したいくらいだった。

広島、長崎、沖縄ひめゆりの各資料館と同様、知覧も展示の数々に言葉を失った。

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第二次世界大戦の終戦間際に、米軍が沖縄に上陸した。この時、日本軍は米軍に勝てるだけの体力が残っていなかった。そこで日本軍は、人類史上類のない作戦に出る。爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃するという「特攻」の戦略に出たのだ。「特攻」に出たのは17歳〜32歳の青年。恋人、婚約者がいる青年もいれば、子供が3人いる父もいた。大半の人は、ご両親がまだ生きていただろう。しかし彼らは、「皇国の安泰を得る為に」と、敵艦に突っ込んでいき、若くして散っていった。陸軍の特攻戦死者は1,036名。そのうち(沖縄から近い)知覧飛行場から出撃した戦死者は439名と多い。

この「知覧特攻平和会館」には、その特攻戦死者の遺影、遺品、遺書など約5000点を展示している。既にここを訪れたことがある友からは、「ハンカチ1枚じゃ足りない。バスタオルを持参して行け」と言われていた。私はハンカチすらも持ってくるのを忘れてしまった・・・。こみ上げてくるものを抑えるのに必死だった。


 知覧特攻平和会館


会館の外に、「三角兵舎」といわれる、特攻隊員たちが出撃するまでの起居していた宿舎が復元されている。特攻隊員は知覧に来てから数日後には「特攻」に出撃したらしい。出撃命令は約12時間前に発せられたという。その12時間で青年達は、両親などに遺書を書いた。その遺書には、特攻は「日本男子の本懐」であるとか、「立派に死ぬ事が軍人の本分」であるとか、国民や社会の「期待にこたえる」ことが喜びであるとか、「人世(人生)悔いなし」とか、とても20歳前後の青年が書いたとは思えないような文が並んでいる。そして、多くの遺書には、皇国のために敵艦を必ず沈めるという文と共に、両親・兄弟・姉妹への感謝の言葉が綴られている。特に、母親に宛てた手紙が多いように感じた。悲しまないでくれ、元気でいてくれ、と。涙なしには読めない。

館内の展示物の中には、出撃前の隊員の写真も多く飾られていた。なぜか、多くの写真が笑顔だった。そういう写真を選んだのか、ホントに笑顔だったのかは分からない。数時間後に死ぬという正気を失った状況では人は笑うしかないのか、それとも恐怖や不安を隠すために笑っているのか。この中に10代の若者がいるかと思うと胸が締め付けられる。

この特攻は、なんと終戦(1945年8月15日)の直前まで続けられたという。失わなくてもいい命がどれだけあったのだろうか。ただ、彼らの決意によって、失わなくて済んだ命もあったに違いない。ここに来る前日、知覧に何度も来たことがある友から、杉並区の山田宏区長(当時)の成人式でのスピーチ『英霊の遺書』を教えてもらった。興味がある方は、8分14秒、お付き合いください。


 知覧特攻平和会館


館外には、先日観た映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』で使用された戦闘機『隼』が展示されていた。


 知覧特攻平和会館


どーでもいい話だが、この『隼』のすぐ近くに、『ラーメン隼』がある。
ここで味噌ラーメンを食べた。
2日連続のラーメン。
旅をすれば体重が増えるわけだ。。


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池田湖


「知覧特攻平和会館」の後、薩摩半島を南に下り、「池田湖」という湖へ。


池田湖

菜の花畑が続く、インスタ映えスポットらしい。
秘書から、菜の花の中に入って「映える写真」を撮るように司令を受けたが、大量の蜂(おそらく数千匹)がブンブンと飛んでおり、そんな小さな敵艦に体当たりする勇気もない私は離れた場所からズームで写真を撮るのが精一杯。

戦争より怖いのは人間だが、人間は蜂の大群には勝てない。


池田湖


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さらに薩摩半島を南に下り、JRの日本最南端の駅、西大山駅へ。
奥に開聞岳という標高924mの日本百名山の一つが見える。絶景。

日本最南端の駅_西大山駅



私が駅に到着するや、1日数本しかない電車がやってきた。ラッキー。

日本最南端の駅_西大山駅



ちなみに、場所はここ。
日本最南端といっても、終着駅ではない。

日本最南端の駅_西大山駅



駅の周辺には、観光客を狙ったような土産物屋が1軒だけあった。
知覧の名産「知覧茶」を使ったソフトクリームを食べた。

日本最南端の駅_西大山駅


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他にも色々と寄ったのだが、長くなるのでこの辺で。

夜は指宿(いぶすき)温泉の宿に泊まって、温泉に浸かり、芋焼酎を久々に飲み、ひとりで酔っ払い、21時に就寝した。。。

今日は鹿児島の左側(西側)の薩摩半島を満喫した。
明日は鹿児島の右側(東側)の大隅半島へ向かう。