八日目の蝉 (中公文庫)
角田光代
中央公論新社
2012-12-19



蝉は、七年も土の中にいて、外に出てると七日目に死んでしまう。
仲間はみんな死んじゃったのに自分だけ生き残っちゃったとしたら悲しいよね。

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年末年始に、角田光代さんの『八日目の蝉』を読んだ。角田光代さんの小説を読むのは初めてだったが、惹き込まれた。

不倫相手の赤ん坊を誘拐し、東京、名古屋、小豆島と逃亡生活を送るオンナと、その娘として育てられた女の子の話。小豆島でのお祭りで2人が仲良くいるところの姿が全国紙に掲載されてしまい、それを不倫相手(=女の子の父親)が見付け、オンナは逮捕される。3年半の逃亡劇が「やっと」終わり、女の子は本来の親の元に無事戻るのだが、3年半の間に、誘拐犯と女の子には「親子関係」が生まれていたのだ。血の繋がりのない2人は引き裂かれるが、記憶から消えることはない。

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どんな子供でも、一度や二度は、なぜ生まれてきたのか、なぜこの父親の子供なのか、なぜこの母親の子供なのか、と思ったことはあるだろう。親は親で、なぜ父親になったのか、なぜ母親になったのか、なぜ子供を授かったのか、と思ったことがあるのではないだろうか。

本来、無償の愛をもって愛し合うはずの「親子関係」が、時には憎しみ合い、時には目を逸らし、時には逃げ、時には事件になる。夢にまで見たマイホームが、狭く窮屈な場所になる。そうやって、7日しか生きられない蝉は、家族を憎みながら自分を守り、すべてに背を向けて、逃げていく。

逃げに逃げた八日目の蝉は、幸せなのか。悲しみしかないのか。そんなことを大人になった女の子は問うことになる。

女の子と知り合った千草という女性のコトバが、その問いの答えなのかもしれない。
「八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから。見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと思うよ。」

他方で、刑期を終えた誘拐犯は、すべてを失い、乾いた抜け殻になってしまったが、手のなかにまだ何か持っているような感覚が消えない。

親子とは何なのだろうか。生きるとは何なのだろうか。

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『八日目の蝉』がamazon primeで観ることができるので、読後にこちらも観た。
泣いた。切ない。


八日目の蝉
森口瑤子
2013-11-26