軍艦島

念願の軍艦島へ行った。
ツアーでないと上陸できないので、幾つかあるうちの1つのツアーを前もって(飛行機やホテルより早く)申し込んでいた。が、前日に「高波の為、欠航になりました」と電話が来る。おいおい。急いで他のツアーのサイトを見ると、今日の午前だけ運航するツアーを見付け、飛び込みセーフ。ツイテル。

長崎港から18km離れた場所に位置する、正式名称「端島(はしま)」。「軍艦島」という名称は、閉山後長年放置され、建物が風化し、廃墟となったシルエットが軍艦「土佐」に似ていることから通称として呼ばれるようになった。


軍艦島

上陸すると、まるで戦争映画のセットの中にいるような感覚になるが、戦争の跡地ではない。1974年に閉山してから46年が経ち、その間に台風や高波などの被害も被り、あらゆるものが風化し、木造建築物はほぼ崩壊し、鉄筋構造のアパートや学校などだけが廃墟マンションのように残っている。鉄筋構造物も年々崩壊していっているらしい(だから、上陸しても見学できる場所はほんの一部に限られており、元住民でさえも見学エリア以外は立ち入ることが出来ない)。


軍艦島

↑ 右に見える四角い鳥居のようなカタチをしたものは、石炭を運ぶベルトコンベアーの支柱。精選された石炭がベルトコンベアによって貯炭場に蓄えられ、運搬船に積み込まれ、八幡製鐵所などに運ばれた(そこで鉄が作られ、鉄筋構造の建物や橋が造られ、日本の近代化が加速することになる)。

その奥に見える建物が7階建ての小・中学校(1958年、S33年建設)。軍艦島には、他にも、体育館やプール、病院、映画館、パチンコホールなどもあったらしい。


軍艦島

↑ 軍艦島の炭坑は、三菱鉱業(現 三菱マテリアル)が経営していた。1890年(明治23年)に三菱が10万円(現在の価値で約20億円)で島を買収した。
この赤い建物は「総合事務所」と言われていたものであり、経営の中枢の役割を果たしていたらしい。


軍艦島

↑ 離れて見るとこんな感じ。
 この場所だけは倒壊を防ぐために支えているのが分かる。


軍艦島

今回上陸して、ガイドさんから詳しい説明を聴いて知ったのだが、この小さな島から海面下1000メートル地点まで石炭の採掘作業をしたという。1日8時間勤務✕3交代制=24時間体制での採掘。海底でも気温は30度、湿度95%という悪条件で、仕事が終わると炭で全身が真っ黒になるという過酷な仕事だったらしい。ガス爆発など常に危険と隣り合わせで、実際に死者も多かった。それでも出炭量が増加するにつれ、人口も増え、最盛期には約5300人がこの島に住み着いた(当時の東京都の人口密度の9倍にもなった)。


軍艦島

仕事は過酷であったが、給与は良かったようで、初任給は今の価格に換算すると約50万円だったという。島内の人達はなかなか良い生活をしてたようで、国内のTVの普及率が数%の時代に、島内は100%だった。日本の産業の近代化を担っているという誇りもあったのではないか。


軍艦島

↑ 近代化の片鱗はこの島の建物からも伺える。この建物は1916年(大正5年)に建設された日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造のアパート。奥の建物は地階もある。104年前にこういう建物が建設されていたことに驚いたし、最新の技術がこの島で活かされたことも驚いた。


軍艦島

という訳で、色々と勉強にもなった。楽しいツアーだった。軍艦島上陸記念証明書なるものをもらった。

廃墟を廃墟のまま保存するというのは大変なことらしい。ガイドさんいわく、「来年来た時は景色が変わってるかもしれません」と苦笑い。廃墟が進めば(かつてここで採掘していた社員同様)ガイドさんも職を失う。

行ったことがない人は、早めに行った方がいいかも。