すごい文章を書くなぁ〜。

春秋_20201216b
([出処]日経電子版)


今年も色々とあったけど、「いま、ここ」を楽しみたいね。

絶望と希望は、コインの表と裏の関係。
解釈次第。

過去は変えられないけど、
過去の意味付けは変えられる。

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以前、YouTube Liveで「読書の効用」について喋ったことがある。この収録前に、ある視聴者の方から「死に対して考えさせられるオススメ本はないでしょうか?」という事前質問を頂いた。大好きな方が癌で亡くなったという。

私はこのLiveで、坂井律子著『〈いのち〉とがん』(岩波新書)と、船木亨著『死の病いと生の哲学』(ちくま新書)を紹介した。船木亨さんは哲学者。死や生というテーマと向き合ってきた哲学者が、癌を患い、抗癌剤などによる「拷問のような治療」により耐え難き苦痛を味わい、身体があっという間に「ポンコツ」になる(P152)という経験のドキュメントと、その時に何を思ったのという思考の過程が書かれている。

この本を読んで改めて思うのは、死は生のゴールではなく突然不運にやってくるものであり人生は所詮フィクションということだ。人は、生が無限に続くと錯覚するが、いつか終わる。その人生は、ストーリー性が全くない物語であったり、歴史に残らない物語だったり、物語にもならないものだったりする。大半の人は(あらゆる生物のように)食べて、糞便して、動いて、寝て、さらには怠惰や快楽や依存を求めながら生きていく。しかし、著者は、癌の治療に入ると、「したいこと」が「生きること」に変わり、本気で心配してくれる人の存在が救いになった、という(第6章)。

コロナ禍において、自粛警察、県外ナンバー狩り、ドラッグストアへの行列といった奇妙な行動をする人が溢れたのも、「死んでしまうかもしれない」という状況下で、「生きたい」という根源的な欲望が全面的に出たからだ。人間は「利己的な遺伝子」により設定されているから、生命の安全を脅かされれば、自分さえよければ他人はどうでもいいというヒトの本性が現れる。

人間の根源的な欲望は「生きる」ということであり、それ以上ではない。それ以上のものを求めるから、怒り、妬み、恐れ、ストレスなどが生まれ、人生に絶望することになる。あらゆる期待や執着を手放し、(上のチンパンジーのように)「いま、ここ」を楽しんだらいいと思う。そして、仮に自分が病気になった時に、本気で心配してくれる人を本気で大切にすればいいと思う。


死の病いと生の哲学 (ちくま新書)
船木 亨
筑摩書房
2020-07-07