鷲林寺

特に予定のない日曜日。
天気が良いので、自宅の近くにあるハイキングコースを登っていった。

かなり急な坂が続くコースだったので、汗が吹き出した。
所々に大阪平野が一望できる展望台がある。絶景だった。


鷲林寺

鷲林寺(じゅうりんじ)というお寺を目指した。

2日前、恩師平松先生の逝去を知った時は、平静を装っていたが、思った以上にショックが大きかったのかもしれない。昨夜も随分早くに寝てしまった。メンタルもフィジカルも疲れ切っていた。やけ酒を浴びていた弟子たちもいたらしい。誰しも大切な人がいなくなるのは辛いことだ。

今日、ハイキングをしながら、命の儚さについて考えていた。

どんな高級ワインも飲んでしまえば消えて無くなる。ブランド物の服もいずれは捨てられる。すべてのモノは消耗品なのだ。家やクルマだって(資産ではなく)消耗品なのだ。そして、人生も消耗品なのだ。「すべての男は消耗品である」という本があったが、「すべての人間は消耗品である」と思う。いずれ消えるのだから。

蔵書だって大半は読み返されずに消えていくのだ。それでも本を読むことは無駄ではない。意味がある。人間も、生きることは無駄ではない。意味はある。


鷲林寺

1時間以上歩いて、目的地に付いた。山の上はまだ紅葉していた。

兵庫県西宮市の山の上のお寺に、なぜか分からないが、武田信玄のお墓がある。武田信玄が僧侶になるために得度をし、その頭髪を埋めたという伝説がある七重の石塔がある。

以前から噂は聞いていたが、実際に見たことがなかったので、探した。

鷲林寺


場所が分からず、結局ググったが、見付かった。七重の石塔。信玄公之墓。

武田信玄の墓


ようやくお参りすることができた。
武田の名に恥じぬ人生を歩むぜと、強く手を合わせた。

人は、誰かの子孫であり、
人は、誰かに何かを残そうとする。

しかし、使い切れないほどのカネやモノを貯めることに努力するのではなく、
カネも体力も使い切るほど人生を楽しむべきだと思う。

残すのは足跡だけでいい。
社会に生きた証を残すことができれば、それでいい。

所詮消耗品なんだから、楽しんでナンボやと思う。

一度、平松先生と北新地で飲んだことがある。何軒ハシゴしたか憶えていないくらい私は泥酔したが、その後も先生はどこかの店へと消えていった。思えば、これまで一度たりとも家庭の臭いを感じたことがない。ご家族を見たこともない。人生を、会計と関学と酒に注ぎ込み続け、最後まで生き切ったんじゃないだろうか。そして、誰も消せない足跡を残した。カッコいい生き様だと思う。

気持ちを切り替えて、山を下りた。
人生は一度きり。いつ終わるか分からない。
だから、楽しむことに躊躇せず、弾を撃ちまくろう、と改めて思った。