昨日の続き

結局のところ、人間は「完全なる善」(=あるべき姿)なんて求めるべきではないのだ。長い歴史の中で、「完全なる善」の体現者なんて、きっと一人もいない。濁りのない海水なんてないように、濁りのない人間なんていない。人に道徳を説く人間だって、裏では悪事に手を染めている。

自分にも他人にも「あるべき姿」を求めるから、双方が疲れるし、孤独になるし、思考停止になる。成れの果てに正義中毒者を生み出し、同調圧力、付和雷同、他者監視、全体主義に繋がり、生きづらい環境を作る。精神疾患も自殺も、不登校も離婚も、他人に「健全な優等生」を求めることにも原因があるんじゃないか。

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脳科学者・中野信子さんの本は、これまでかなり読んできたので、最近出た『ペルソナ』も読んでみた。「初の自伝」らしいが、ざっくり言えば、正義中毒者(毒親など)から回避してきた半生が描かれている。

「健全な優等生」でない者は、「社会不適合者」といわれることがある。著者も自身のことを「社会不適合者」だと認めている(P75)。「社会不適合者」は、「健全な優等生」を求める人たち(親、教育者、職場など)との関係をこじらせてしまう。

では、「社会不適合者」は、「健全な優等生」を目指すべきなのか。道徳を説いてくる人間を叩きのめせば幸せになれるのか。いずれも違う。

私も「社会不適合者」だと思っているから共感できる箇所は多くあった。特に「自分をどれだけ大事にできるか、そのやり方を大人になってからでも学ぶべき」(P52)という点は大いに共感する。

自分を大事にするために、「言いたいことを伝える」ということが自分の身を守る武器になるし(P68〜)、世間や他人が提示した選択肢とは異なる「第三の生き方」を選ぶことも大切である(P52〜)。著者が、結婚しても子どもを持たず、アカデミズムに属しているのにバラエティー番組に出演している訳が、本書を読んで理解できた。

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「完全なる善」の体現者なんていないのだから、他人(家族、生徒、部下など)に世間の理想を体現しようなんて思うべきではない。もし自分がそのような「ハラスメント」を受けたとしても、憎しみや恨みといった負の感情の呪縛に苦しまず、「愛して欲しかった」というような感情を伝えるべきなのだろう。

とはいえ、簡単に感情のコントロールができるなら、悩みなんてないんだろうけど…。

自分自身も含め誰もが濁りも弱点も持っている。人生に深みを求めるべきではない。人間を無色透明にしてくれる存在なんてありえない。人間なんて所詮、沈殿物か浮遊物に過ぎない。それを容認した上で、互いの存在を承認し合える人間関係を築くことができれば幸せだと思う。それがたった一人の相手だとしても。