奴隷のしつけ方
ジェリー・トナー マルクス・シドニウス・ファルクス
太田出版
2016-04-08


同じ書店を週1くらいのペースで定点観測すると、棚の変化を楽しめる。紀伊國屋書店は新刊とベストセラーを売る書店というイメージがあるが、ジュンク堂書店は書店員さんが売りたい本を売っているイメージがある。書店員のこだわりのようなものを棚から感じることができる。書店で本を買うことの醍醐味でもあると思う。

『奴隷のしつけ方』というすごいタイトルの本が文庫化された時、行きつけの丸善&ジュンク堂書店梅田店が本書を大量に平積みしたのだが、その翌週辺りから同書店のベストセラーランキング(文庫)の1位となり、しばらくの間、ランキング上位を維持していた。まさに書店と書店員が売りまくった本といえる。

そういう本は、めちゃくちゃ面白いか、(個人的な関心と合わず)読むに値しないか、どちらかだ。本書はめちゃくちゃおもしろかった。古代ヨーロッパは、ごく普通に「奴隷」が飼われていた。本書は、社会文化史専攻の著者が、『奴隷のしつけ方』を「マジメに」論じたもの。

多くの奴隷が生まれながらにして奴隷ではないように、多くの主人は生まれながらにして主人ではない(P21参照)。奴隷という身分は本性によるものではなく(P119参照)、鞭を振り回せばいいというものではない(P66参照)。部下を雇うにはマネジメント能力が必要であるように、奴隷を飼うにも「しつけ方」が必要なのだ。奴隷に対して理不尽であれば、信頼関係は生まれず、奴隷は主人の目を盗んで逃げていく。しかし、振る舞いが適正であれば、奴隷からも尊敬され、骨身を惜しまず働いてくれる(P64参照)。

2000年が経ち、制度が変わっても、人間はあまり変わっていないと感じる。奴隷のように人を扱う者もいれば、すぐにキレて暴力を振るう者もいる。不品行、不道徳に働く者、ウソ、隠し事、ごまかし、怠慢を平然と行う者もいる。多くの人間は、主人のように振る舞いながらも、エゴイストの塊であり、奴隷であり、精神的に不自由なのだ

結局のところ、人間関係は、愛と思いやりなのだと思う。
愛と思いやりが欠如すれば、あらゆるものがうまくいかない。

理不尽に慣れてはいけない。
どんな身分であろうと、どんな肌の色であろうと、LであろうとGであろうと、意志と精神は自由であるべきだと思う。