読売新聞(2020/8/13)に興味深い記事があった。

「罰(バチ)が当たることがある」と考える人の割合は、1964年(56年前)は41%だったが、2020年は76%だったらしい(世論調査結果)。

しかも、面白いことに、1964年は歳が上るほど「バチがあたることがある」の割合が増える傾向にあったが、2020年は若い世代ほど「バチがあたることがある」の割合が増える傾向にあった(下表参照)。

罰が当たる
([出所]読売新聞(2020/8/13))


これは何を意味しているのか? 特に、2020年は若い世代ほど「バチが当たる」「バチが当たるべき」という意識が高いのはなぜなのか?

この記事には、将来への悲観は若い世代ほど影響を受けやすく、世代間の不公正の不満が募っているとみることもできる、と書かれていたが、はたしてそうなんだろうか。将来への悲観や世代間の不公正に不満を抱えている若者なんて見たことはない。

以前、大病を患った20代の方が「バチが当たった」と言っているのを聞いて驚いたことがある。過去に悪行を繰り返してきたからだという。バチ(罰)とは、上の図表にもあるように、「神仏が、人の悪行を罪にして、こらすこと」(広辞苑)という意味であり、伝統仏教に起源がある考え方である。しかし、現代ではその宗教心は失われている。いまでは、単に悪行をした(もしくは悪行をしていなくても「罪の意識」がある)から「バチが当たる」という思考になる。

さらにこの記事で、某大学教授が、悪行をした他人に対して「バチが当たるべき」という意識が若い世代ほど強いのではないか、と述べられており、これは大いに頷いた。世間を意識し、他者を監視し、不満があると攻撃する。ネットリンチ然り、自粛警察然り。そういった歪んだ正義感や処罰欲求が若年化しているというのだ。

「バチ当たりめ!」から、「バチが当たってしまえ!」への現代人の意識の変化といえようか。それが上の世論調査の結果への反映だとしたら、この国は相当気色悪い。

こんだけブログを書いててナンだが、他者と世間の目から無縁の世界で暮らしたい。

バチが当たるかしら…。