島本理生さんの『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』が文庫化されたので、読んだ。

島本理生さんの本は、『イノセント』『ナラタージュ』『ファーストラブ』『あられもない祈り』『RED』と読んできた。

それぞれの作品の主人公は、特殊な事情を抱えている。

『イノセント』は幼い息子を抱えるシングルマザー
『ナラタージュ』は男性教諭を愛した女子学生
『ファーストラブ』は父親を殺した娘
『あられもない祈り』は婚約者がいる男を愛する若い女性
『RED』は不倫をしてしまった既婚女性

こういう人たちが恋愛をするのは、世間一般的には、”タブー” なのかもしれない。汚らわしいのかもしれない。批判されるのかもしれない。しかし、それって、(赤の他人の)芸能人の不倫を痛烈に攻撃する愚民と同じではないのか。恋愛ってそんな単純なものか。

本作『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』の主人公は、重い病気を抱えた男を愛する結婚適齢期の女性。

これまで読んできた島本作品に共通することは、過去・現在に何かを抱えている人が登場する。しかし、人は、無意識に過去・現在の自分から距離を取り、感情に蓋をし、自分に嘘を付き、自己欺瞞と自己正当化を繰り返して生きていく。

だが、人は、どこかで赤の他人と出会い、時間を共にすることにより、他者や自分を発見し、そして、自分や過去とも向き合わざるを得ない場面がやってくる。そのようなシーンを通して、人と人が出会うことは素晴らしいことだと気付かせてくれる。

本作の主人公は、薬が欠かせない重い病気の人と出会う。親にも妹にも反対されるが、その人と恋に落ちる。相手はいつ死ぬか分からない。子供が出来ないかもしれない。それでもその人と生きることを決める。

本作の「文庫版あとがき」で、島本理生さんは「『当たり前』と言われていることが実はそんなことなくて、それぞれ選び取るものも違っていて自然なのだ」と書かれている。人生は有限であり、選択して生きていけるものなのだ。

どの作品も何らかの事情を抱えた人が登場するが、それぞれがピュアな恋愛を通して自分の人生を選択していくプロセスを描いている。そんな『当たり前』の風景に私は惹かれるのだろう。他に比べてポップな作品だったが、良い作品だった。