clapham inn

今日は(今日も?)ひとりで飲みたい気分だったので、行きつけのプレハブ小屋のパブで飲んだ。久しぶりに泥酔した。

「父の日は、父に感謝を表す日」(wikipediaより)

父の日、母の日、敬老の日・・・こんな下らないものを誰が作ったのか。

年に一度しか感謝を表することができないのなら、それは感謝ではない。幼稚園児が父の日に手紙を書かされるかの如く、外圧で言わされるものでもない。感謝とは、日常的に心の奥底から湧き上がってくる感情であり、特定の日に表現することを強制されるものではない。自発的に表すものではないのか。

巷の本には、幸せになるには大切な人に感謝の気持ちを伝えなければならない、というようなことが書かれているが、思ってもいないことを言うから関係が複雑になる。そして人間関係に疲れる。両親との関係がギクシャクしている人はごまんといるし、絶縁している人もいる。親とて人間である。完璧な人間なんていない。間違えたこともするし、子を傷つけることもある。子は、親子関係においても深い傷を負いながら成長していく。親もまた然り。「感謝を表す日」を作るくらいなら「許しを請う日」を作った方が良いと思う。

三砂(みさご)ちづるさんという方の『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』(ミシマ社)という本に、「親になるとは、許されることを学ぶことなのだ」と書かれている(P68〜)。親は、子供のために、良かれと思って、一生懸命やる。しかし、その多くは子供の向かう方向とは間違えている。子供を傷つけ、痛めつけることもある。だから欠点だらけの私を許して欲しいと祈るような思いだったと。まぁ、そんなもんだろうと思う。人間だもの。そうやって、自分の親の有り難みを理解し、親を許し、親に感謝するようになる。

三砂さんの本を初めて読ませて頂いたが、私がいま住んでいる西宮市に育ち、音楽が好きという点で、とても親近感が湧いた。本書に、マイケル・ジャクソンのスタンフォード大学での講演(2001年)の一部が引用されている(YouTubeでも音声だけ公開されている)。マイケルは、こんなことを言っている。

「・・・かならず親というのはまちがうものです。だって、私たちすべてはただの人間にすぎないのですから。子どもたちには私のことを手厳しく非難したりしないでいてほしい、そして私が至らなかったことは許してほしい、と思うにつけ、私は、自分の父親のことを思わざるを得ませんでした。若い頃私は父を否定していましたけれども、今は、父は父のやり方で私を愛してくれていたのだ、と認めないわけにはいかなくなったのです。
(略)
あなたたちにお願いしています。そして、私自身にも願っている。私たちの親に、無償の愛、という贈り物を届けられるように、と。」(訳は三砂さん)

無償の愛は、親から子どもに与えるものではない。
無償の愛は、子供から親に贈るものだと。

見え透いた美辞麗句なんて言うつもりはないが、今、ここに私がいるのは父の背中を見て育ったからだ。



自分と他人の許し方、あるいは愛し方
三砂ちづる
ミシマ社
2020-05-23