この週末も特にアポイントもないため、Prime Video Day。

先日『アイヒマン・ショー』を鑑賞したので、その関連で『ハンナ・アーレント』を鑑賞。この映画も、アイヒマン裁判の実際の映像が随所に使われている。

アイヒマン裁判を傍聴したアーレントは、アイヒマンは根源的な悪人や巨悪なサディストではなく、上からの命令に従っただけだと感じる。思考することを放棄した結果、モラルまで判断不能となったのだ。そして、そのことを『ザ・ニューヨーカー』という雑誌に寄稿すると、それがナチを擁護したと解釈され、大論争となり、世界中からバッシングを受けることになる。

映画の中では『悪の凡庸さ』というコトバを使っているが、アーレントが言いたかったのは、人間は思考することができなくなると、平凡な人間が残虐行為を起こすということだ。世界最大の悪も、ごく平凡な人間が行う悪なのだ。

(ちなみに、矢野久美子著『ハンナ・アーレント』(中公新書) を読むと、アーレントがどれほど「思考」をしたかが強烈に伝わってくる。)

映画の中での、アーレントの『思考とは、自分自身との静かな対話である』、『私が望むのは、考える事で人間が強くなることです』というセリフが印象に残る。

人間は思考することを放棄すると、人は誰でもアイヒマンになりうるのだ。

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話は反れるが、この時代は煙草を吸う人が多かったのだろう。この時代の映画を観ると必ず煙草を吸うシーンが登場する。それも半端ない回数で。煙草のニオイが苦手な私は、見ているだけで頭が痛くなりそう…。この映画のハーレント役の女優は、撮影中に何百本の煙草を吸ったのだろうか。どうでもいいことを考えてしまう。